【俺は別にダグラスと仲良くしたいわけじゃない】

 

 目が見えなくなってから――いや、オリバーとのことがあってからだろうか――クララベルは過敏ぎみだ。気を張っているのか、疲れやすくなっている。

 今日はクララベルの誕生日の招待客や手配品の目録などに目を通している。


「何だか目が疲れたわ」

「お前、ついこの間まで見えなかったんだからな。油断するなよ」

「わかってるわよ。休憩しましょ」


 こてんと俺の肩に頭を預けてくる。

 最近やけにクララベルとの距離が近い。それどころかキスをしても嫌がられない。

 皆のいる場所でだけではないのだから、本当に俺との接触に慣れておくつもりなのだろう。少し複雑な気分だ。

 その複雑さとは裏腹に、肩に寄りかかられたぐらいで、多幸感を感じてしまう。

 喧嘩をしていたのも忘れて、肩を抱き寄せる。

 近くにいるだけで安心するし、なんだったら離れたくない。

 本当は引き寄せるだけじゃ足りない。ぎゅうぎゅうに抱きしめてむさぼりたい。


(……竜の血のこういうところ、本当に頭が悪い)


 クララベルは無意識なのか、より居心地のいい場所を探して頭を擦り付ける。

 これで俺の事を嫌いだとのたまうのだ。こんなのずるい。


 クララベルの動きを観察すると、竜の恋愛とは根本的に違うのだと感じる。

 俺がクララベルだけにこんなに必死なのに、こいつは義務だ練習だとその気がなくても弄ぶように俺に近づいてくる。

 俺がクララベルといる時に、竜の血に応えないよう努力しているのが馬鹿馬鹿しくなる。

 クララベルがこの調子では、それも限界かもしれない。最近ちょっとしたことで目が光りそうになる。

 俺の溜息ためいきを聞いたのか、うかがうように顔を上げる。


「……なに? どうしたの?」


 また赤い薔薇のような服を着せられている。これはこれでとても似合うが、気の抜けた素のクララベルが着ると破壊力が増す。無駄にこちらの劣情を刺激するから、そういう服の時は偉そうにしていろよ、と思わないでもない。


「いま脇腹がお前の頭とソファに挟まれてて、すっごく痛いんだけど」


 誤魔化ごまかすように機嫌悪く言えば、慌てて身を離すとおもっていた。

 ところがクララベルは少し体勢を変えて、さらに密着するような所に頭を移動させる。


「ごめんなさい。気がつかなかったわ。これでいい?」

「ん、ああ……」


 もう考えるのはやめた。

 クララベルが再び目を閉じたのを確認して、俺も目を閉じる。

 再び大きな溜息をつく。今は絶対に目を開けられない。目が光ってるに決まってる。

 

 そうだ、何を遠慮することがあろうか。

 俺はクララベルから搾取さくしゅできるものはなんで奪うつもりなのだった。

 蜂蜜色の髪を掻き分けてむき出しの首に触れるのも、近くに寄りすぎてちらちらと見える胸元を凝視するのも、見咎みとがめられないなら遠慮しない。

 そう思って、うなじにかかった髪を払いのけると、クララベルは猫のように身震いをした。

 逡巡しゅんじゅんしたが、それ以上は触れなかった。俺は、竜のなかではかなり我慢強い。


「ねぇ、バロッキーの男たちが変に群れるのは、竜だからでしょ? 竜って群れで暮らすのね、きっと」

「そう? まあ、言われてみれば」

「私にもいくらかは竜の血が流れてるはずだし、ミスティは私といて落ち着いたりする?」

「さあ」


 普段は落ち着くけど、今みたいに肩に擦り寄られたら落ち着くはずがない。


「あら、何の香り? いい香りがする」


 洗って落としてから来たのに、クララベルが香水の匂いを嗅ぎつける。


「嗅ぐな」

「なんでよ。いいじゃない。ミスティが香りをつけるなんて珍しいわね。どこの品?」

「エミリアが香水を売りたくて調香してるんだ。行きがけにつけられた」


 エミリアは年長のハウザーの妻だ。自ら服や宝石をデザインして売り出している。

 バロッキーの商売は裕福な層向けばかりで、竜でない人の感覚からは遠すぎると常々ぼやいている。

 それでエミリアは、香水の開発を始めたのだ。

 バロッキーが取り扱わない数少ない商品の一つが香水だ。

 竜は総じて鼻がいい。香水瓶の美しさの良し悪しはわかっても、竜以外の人の好む香りは竜には強すぎる。ヒースが担当したら目を回すだろう。

 バロッキーが取り扱える香水を開発するというのがエミリアの目標だ。

 今朝、試作品を吹き付けられて、嗅いでみろと実験台にされた。最近は竜でも鑑賞にたえる香水になってきている。


「いいわね。私もエミリアに注文しようかしら」

「やめとけ、確実に広告に使われる」


 バロッキー家の妻たちは商魂たくましいのだ。



 *



 クララベルの誕生祝いは夕方から始まった。広間は暖炉の炎で暖まっていて、晩餐を振舞われて招待客は寛いで見える。

 とはいっても国王と王太子は公務があるからと、挨拶だけしてすぐに席を外した。


 近郊に住む貴族の他にクララベルが贔屓にしている芸術家や公爵家の親戚などが祝いの品を持ってきてはクララベルと挨拶を交わす。

 割と顔見知りになったそうした面々に、クララベルに従って挨拶を述べる。


 去年はオリバーが参加していたが、今年は療養中となっていて、代わりにフローラが来ている。

 他にも義理の兄弟姉妹が来ているようだったが、余所余所しいものだ。

 フローラと連れ立ってアイリーンがこちらにやってくる。二人はどちらもクララベルに恩がある。内緒話もあるだろうと俺は席を外すことにした。

 


 すると、狙ったようにダグラスがやってくる。

 まぁ、俺だって手持無沙汰でうろうろするよりはダグラスとでも話していたほうがいい。


「ダグラス様、ごきげんよう」


 俺は両手を広げてダグラスを歓迎する。


「これはこれは、ミスティ殿、クララベル様の近くに居なくていいのですか?」

「姉妹同士で積もる話もあるのでは?」

「では、私達も男同士の積もる話を致しましょうか」


 今日もダグラスは貴族らしい丁寧な笑顔をたたえて隙が無い。

 俺たちは連れ立って人気のない窓際を陣取る。今日は成人ばかりが招かれているので、酒が振舞われている。皆いつもより声が大きくなって其処此処そこここで会話を楽しんでいるようだ。

 領主同士で何やら打ち合わせらしい会話をしている様子も見られる。

 俺たちが内緒話をするには丁度いい。


「白々しいな」


 人から表情が見えない所に来て、ダグラスの表情筋は仕事を放棄した。


「いつもの事だろ。それで、心は決まった?」


 俺はあの後も何度かフォレー領に足を運んでダグラスを訪ねている。そのたびにクララベルのことについて口説いてはいるが、毎回はぐらかされている。


「まだそんなことを言っているのか?」

「俺はそのように仕事を進めているから」

「ついに決定したらしいな。ゴーシュ家はつまらない土地が高く売れたと喜んでいるが、その実バロッキーに安く買いたたかれているのが分からぬらしい。はっ、ミスティ殿は絵を描くのが仕事なんじゃないのか? 交渉も仕込むのか?」

「値段の交渉は俺の仕事じゃない。上の兄が行った。竜は器用じゃないんでね。それぞれできることがバラバラなんだ」

「とすると、あれがバロッキーの次期当主か」

「そう。ハウザーは交渉に長けているから、ゴーシュ家も気持ちよく売りに出してくれたみたいだね。普通だったら間に分家が緩衝で入るんだけど、今回は大っぴらにやるからさ」

「なるほどな。しかし、何と言うか、竜は皆一様に美しいと聞くが、ミスティとはまた違った麗人だった。さっそくヘラが色目を使っていたぞ」

「うわぁ、あの子すごいな。バロッキーは結婚相手に苦労するって思っているのかもしれないけどさ、この世代には余計なお世話だから。兄たち、みんな番がいる。くれぐれも余計な事させないでくれよ。ハウザーのつがいは敵に回したら相当怖いからな」


 なんたって、ハウザーの妻エミリアは、ハウザーを婿にくれと乗り込んできた女傑だ。


「迷惑はかけないようにしておく。ヘラは当然、自分が領主の妻になるものだと思っている。だからそれ以外の遊びにも目が行くのだろう」

「その実、ヘラにはチャンスがなさそうだね。婚約を待ってくれているのは、そういうことだと思っているよ。それでいいんだろ?」

「そんなつもりはない。あくまでゴーシュ家とドルトン家との対立の調節をしているだけだ」

「ふーん、不純だな。そんなにドルトン家の娘が可愛い? 俺のクララベルより?」


 俺はひひひと意地悪く笑う。


「……な、なんだと?」


「俺さぁ、人の恋愛沙汰を観察するの大好きなんだよね。ダグラスがクララベルを真剣に愛してるのは分かってるけど……なに? ドルトン家の娘も気にかけているようだね、どういうこと?」


 指摘すれば、ダグラスはバツが悪そうに視線を逸らした。


「竜にはわかるまい」

「全然わからないね。何度見聞きしても、さっぱりわからない」


 ダグラスは言葉を選んでいるようで、難しい顔をする。


「竜は……誘惑に屈することがあるか?」

「誘惑? どんな?」

「例えば……意中の相手ではないが、憎からず思っている者から愛を告げられ、絆されて……」


「無い」


 俺の断言にダグラスは嫌そうに眉をひそめた。


「ぜ、絶対に無いと言い切れるのか?」

「ナイ。あるわけない。あったら、竜がこんなに生きづらいはずはないだろ。番に出会う前ならともかく、俺はクララベルに拒まれても、別の人を望むなんて絶対に無理なんだから」

「それは、またずいぶんヒトと違うな……」

「俺の台詞だよ。へー、それはまたずいぶん竜と違うんですねって感じ。もういいよ、別に、責めてるわけじゃない。ただ違うだけなんだ。普通はそういうのアリなんだなって、理解することにするからさ」

「竜が繁栄しなかった意味が解るな」

「そりゃ、数が減るよね」


 運よくなのか、運悪くなのか、番に出会わなかった者だけが次代を繋いできたのだ。


「俺たちは必要があって息をひそめて生きてきたんだ。でも、これからは違う。正式にあの銅山がバロッキーの所有地になったら、掘削を始める。ゴーシュ家はあの銅山を何度も調査をして、もう何も出ない土地だと本気で思っている。バロッキーはあの山から再び銅を掘りだし、さらに瑠璃るり孔雀石くじゃくいしも魔法のように取り出すんだ。竜の力にこの国は再び戦慄するな」

「魔法のような話だな」

「ちなみに、その魔法を使うのはクララベルの初恋の相手だから。あいつの仕事を絶望的な気持ちで見守るといいよ」

「クララベルの、なんだって?」


 ヒースのことを話題に出すと、思った通りダグラスが食いついてきた。俺は自分でもダメージを負いながら、ほくそ笑む。


「幼馴染様はそんなことも聞いた事がないわけ?」

「つまらない意趣返しをするな」

「ふーん、やっぱりヒースのことは秘密なんだな――クララベルが子どもの頃に話し相手として父さんが城に連れてきていた奴がいるんだ」

「……いただろうか? クララベルからはジェームズ殿の事はよく聞いたが」

「おれ、あんたが嫉妬でじりじりするのを想像すると、気分爽快なんだよな!」

「ミスティ、お前、お行儀がいいのは見た目だけだな」


 途中、飲み物を持った給仕が通りかかり、俺たち二人は急いで談笑している風を装って、にこやかな笑みを張り付ける。


「そうだ、ダグラス。話は戻るが、俺の願いを聞いてくれるなら、クララベルのちょっと絵をやろう」


 俺は今、自分で描いてしまったクララベルの絵を持て余していた。

 赤面するような出来で、とても本人に渡せる気がしない。日和って風景画を持参したのは言い訳がましかったが、仕方がない。

 あの肖像画は早く手放そうと思う。

 亡命した後も手元に置いておいたら、泣き暮らしてしまうだろうから。


「……下衆げすだな。クララベルはお前の絵を楽しみにしていただろうに」

「さぁね。俺は頼まれて描いただけだし」

「そういう誤魔化しを言うなら、協力する気はない」


 ダグラスが腕を組んで俺をにらむ。

 筋肉のバランスと姿勢が良い。ダグラスをモデルに軍神を描いたらきっと良い絵が描けるだろう。


「あんた俺のこと嫌いだろ?」

「嫌うほど、貴殿の事を存じ上げないが」


 嫌そうな表情もなかなか題材として良い。


「俺は嫌い。小さい時のクララベルを知っていて俺に自慢してくるなんて最悪。少しぐらい意趣返ししたいよ」

「馬鹿なことを言うな、美しい思い出にひたっている俺から幼馴染をさらう悪人はそっちだ」

「だから、ちょっと色々いただくけど、返してやるっていってるんだよ」

「クララベルを物のように言うな!」

「そういうのは王様に進言しろよな。もともと外交で外国に売り渡そうとしていたんだからな」


 王と聞いてダグラスは、今までの勢いを押し込めて貴族の顔を引っ張り出す。なかなか器用なものだ。


「王とて酔狂すいきょう愛娘まなむすめを外国にやろうというのではない。国の為だ」

「外国の次がバロッキーとか、国の為にもほどがあると思うけどな」


 クララベルの働きは、国益としては十分なはずだ。

 俺は、クララベルの自由のために出来ることを出来るだけやるだけだ。


「頼むよ。俺が死んだら、あとはダグラスだけが頼りだ」


 刻々と時間は進んでいる。

 ダグラスは誰を想うのか、ひどく苦い顔をした。

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