アイリーン

 ミスティからの贈り物は美しい風景画だった。


「肖像画じゃ……なかったの?」


 受け取った絵から目がはなせない。これはこれでたいへん素晴らしいものだ。


 小春日和こはるびよりの森の風景には、狂い咲いた春の花への驚きが細部まで描き込まれていて、いつまでも見飽きない。

 もちろんこれが嫌なわけではない。ミスティの絵がもらえてすごくうれしい。

 それとは別に、肖像画はどうなったのだろうかと首をかしげる。


「クララベルが、俺が描きたいものならなんでもいいって言ったんだろ」

「だって、私、ちゃんと肖像画を描くのに協力したじゃない?」


 不思議がる私に、困り顔で頬を掻く。


「あれね……描きあがったら、誕生日に相応しくない絵になっちゃったんだよな……。城でお祝いともなれば、俺からの贈り物も公表されるだろ? 一国の姫のあられもない格好を皆に見られてもいいならいいけどさ」


 そういえばそうだった。

 あんな気の抜けた格好をしている時に描かれた絵を来賓も来るような会で披露するわけにはいかない。


「そうね、それは困るけど。でも、肖像画は出来上がっているのでしょ? 私に見せてくれないの?」


 私の物にならないにしても、ミスティが私をどう描いたのか気にならないはずがない。


「ああ、それは……まぁ、考えとく。それじゃ、俺、今日は行くところがあるから」


 歯切れ悪く答えて、私に誕生祝の絵を押し付けてミスティはそそくさと部屋を出ていく。


 ここ最近、ミスティは仕事で城になかなか来られない。

 居れば居たで喧嘩になるが、つがいだと分かった今では、ミスティがいない空白の時間が私を落ち着かなくさせていた。


 人の気配が分かりすぎるのも困り物だ。

 ジェームズは竜らしくくっきりと、竜ではないレトは薄ぼんやりと、感じ取れる気配がある。

 ミスティの気配はそれとはまったく違う。居れば空気のように馴染むのに、いなくなったとたんに擦り傷のように存在感が膨れ上がる。

 いないことの方に違和感があるのだから末が恐ろしい。不在の違和感は徐々にひろがってくる。


(今日だって、久しぶりなのだから、ゆっくりしていけばいいのに――)


 そんなことを考えているのに気がつき、我ながら恋愛に溺れた愚者のようだとぐったりした。

 

(番のいないミスティは、私と会わない時だって、こんな風になったりしないのよね)


 良くない考えを頭を振って追い払う。


(ちょっとミスティがいないくらいでこれじゃね……竜って、不便だわ。ヒースのアレは大騒ぎしすぎだと思っていたけど、仕方のないないことだったのかもしれない)


 ヒースの番に対する執着を目にしたときは幻滅したが、今や私が皆から幻滅される側だ。

 だというのに、私は未練たらしく出て行くミスティを小走りで追いかける。


「ちょっと待って、ミスティ。送っていくわ」

「え、いいよ別に」

「最近あまり城に来られないのだから、いる時ぐらい振舞っておかないと。不仲だという噂でも流されたらサリに叱られるわ」

「……まぁ、そうか」


 苦しい言い訳をしながら、ミスティの隣に並ぶ。ここだ。この場所が心地良いのだ。

 弾む心音を隠して、私はミスティの腕に手を絡ませて、石の廊下を馬車が停めてある出口に向けて歩く。

 少し離れて、レトの代わりの騎士がついてきている。先週からは、レトも休みを取りがちで、何やら忙しくしているようだ。


 一方的な感情だというのに、ミスティの近くに居るだけで、何か満たされたような気持ちになってしまう。

 こんな片恋みたいな偽装結婚になるなんて、いったいどこで間違えてしまったのだろう。


 ミスティに初めて会ったあの日、ミスティを目の前から遠ざけたいと思ったことすら意味があったのかしら。


 好きだ、惚れているという気持ちは、正直よく分からない。ただ、竜の血がミスティに執着する様だけがくっきりと浮かび上がる。


「ほら、じゃあ、ここでさよならだ」

「お別れの挨拶をする?」

「まぁ、そうだよな。遠くから視線を感じるし」


 ミスティが気にした方向に意識を向ければ、何人かが集って私達を見ているようだ。きっと女官たちがいちゃつく私たちを見て黄色い声を上げているのだろう。


「ほら」


 ミスティが腕を広げて私を待つ。

 私はいそいそとその腕にとびこんで、ミスティの背中に手をまわし抱きしめる。


「ミスティ、誕生日の贈り物をありがとう! 大切にするわ」

「喜んで頂けてよかった。名残惜しいけれど、今日はおいとま致します」


 少し大げさなくらいの声の大きさだったから、馬車の所にいる御者や使用人にも聞こえただろう。

 小芝居が終わっても、離れがたくて額をミスティの胸にこすりつける。


「……おまえ、最近大胆だな」

「勘違いしないでよね。こういうのに慣れるのも必死なのよ」


 自分の変化についていくのに必死なので、これは嘘ではない。


「へぇ、ついに俺の事好きになったのかと思ったよ」

「……そんなこと、あるわけないじゃない」


 全く茶番だ。こんな馬鹿みたいなやり取りを何度も繰り返して、私はこの手を離すのだ。

 ミスティが私のあごすくい上げて、顔を近づけるので、私は一生懸命その目をのぞく。

 竜の血が私を見て動揺するのを確認したい。


「あの、やりづらいから、目を閉じてくれない?」

「……わかったわよ」


 しぶしぶ目を閉じれば、ついばむようなキスが降ってくる。

 思わず身を固くして、キスが済むのを待っていたが、いつまでたっても終わらない。


「そんなに緊張するなよ」とクスクス笑いながら、きゅっとミスティの服を握っていた指を一本ずつ外される。


「姫様はキスが苦手なようですね」

「そ、そんなはずないわ!」


 





 誕生日の祝いには今年もダグラスが来てくれた。いつの間に仲良くなったのか、ミスティと何か楽しそうに話している。ミスティも気安くしているようだし、まあ悪いことではないのだが、双方に私の昔の様子を暴露されやしないかと、ひやひやしている。

 

 アイリーンも祝いに来てくれた。

 サンドライン家からは兄に代わり、フローラがアイリーンと共に参加している。


「クララベル様、おめでとうございます」


 フローラが艶の戻った血色の良い顔でお辞儀をする。


「ありがとう。そちらもいよいよね」


 アイリーンが頷き、分かるかわからないかくらいの微笑を浮かべる。


「姉さまのおかげです」


 物静かな妹は実家を離れて、今は城で輿入れの準備をしている。

 同じ敷地内にいるはずなのに全く会えないのは、サルベルアの習慣や文化を学ぶのに忙しいからだけでなく、私がなるべく会いに来ないようにと言い聞かせているからだ。

 巷では意地悪なクララベルが主張の弱いアイリーンに気に入らない縁談を押し付けたと噂されているので、私たちが仲がいいことを皆に公表するのは面倒だ。


「そうね。私のおかげよね」


 私が偉そうに言えば、アイリーンは声を出さずに笑う。

 私は席を空けただけで、その後の頑張りはアイリーンのものだった。

 熱心に父に自分を売り込み、他の姉や妹を蹴散らしてサルベリア行きを手に入れた。


「……直系の王女がこんなこと言うのはどうかと思うけど、私達、なかなかのものよね」

「ええ」

「国の決定を変えてしまったし。都合よく私はミスティを手に入れた。本当なら、こんな調子のいいことばかり起きないわ」

「罰が当たるでしょうか」

「どうかしら。私、バロッキーを身内にするのよ。何も怖いものはないわ」

「姉さま……」


 妹は私が無理をして縁談を譲ったのではないかと気にしていた。

 愛する人と結ばれることをカヤロナ王家は敬遠すべきこととしている。その慣習は少しずつほころびを見せてきている。 


「私、誰と結婚しても同じだって言っていたでしょ? だから、結婚相手がバロッキーだってぜんぜん不都合はなかったの。国の駒として生まれた覚悟はあったつもり。愛されなくても生きていけると思ってた。それなのに見て。私、他の兄弟姉妹の誰よりも最強の後ろ盾を手に入れてしまったかも」


 私はアイリーンを控室に引き込んで、バロッキー家の目録には載っていなかった、サリのプレゼントをアイリーンに見せた。


「これは?」

「あら、わからない? これはね、腹巻っていうのよ」


 私が寒がりなのに薄着をするからと用意したらしいが、冗談の類だろうか。いや、本気で心配してのことかもしれない。

 イヴからのプレゼントは焼き菓子だった。望めば手に入る高級品よりも、私はこういう優しい味のものが嬉しい。

 ジェームズは内緒だよと言って、ミスティが子供の頃に描いた絵を持ってきた。

 明るい色で描かれた小鳥だ。今ほど精密で迷いのない勢いは感じられないが、天真爛漫で絵を愛しているのが伝わる。

 名前のない贈り物は、アビゲイルからだとレトが持ってきた、思った通りあの不気味な味の飴菓子が入っていた。

 一つ一つ説明して、最後にアビゲイルから送られた飴菓子を一つアイリーンの口に含ませる。

 アイリーンはついに我慢できずに、肩を震わせて笑い始めた。

 あまり感情が顔に出ない妹にしては珍しいことだ。


「姉さま……これは傑作です」

「どうおもう? バロッキーは皆、私を軽んじているわよね」

「私、姉さまを一人この国に残していくのが心配だったのですけれど、これなら安心して嫁げます。姉さまったら、私と二人きりの家族だとおっしゃっていたのに、バロッキー家で愛されているのですね」

「……そ、そうかしら」


 そう言い切られると何だか照れ臭い。バロッキー家の者たちは私を王女として扱わない。それがとても心地よいのだ。


「ああ、お姉さまを虐げるような家だったらどうしようと心配しておりましたの」

「それなりにこき使われているわ。この間なんて、お茶をいれさせられたり、離れに人を呼びに行かされたりよ」

「王宮での姉さまからは想像できない様子ですね」

「そうよね。私、こんなに善良なのに、我儘姫だなんてみんな酷いわ」

「姉さまはこんなにお優しいのに。ほんとうに……姉さま……私……」


 アイリーンが私に抱きついてくる。私達はちっとも似ていない姉妹だったけれど、唯一の心を通わせられる身内だった。


 私もアイリーンもあまり親の愛情に恵まれているとは言えない環境で育った。アイリーンの母親は王家と繋がりを作ったが、本当は別に恋人がいた。アイリーンの母親が義務を果たした後、父親違いの弟妹に囲まれてアイリーンは孤立していた。

 だからってそれが不運だと思うほど私たちは愚かではない。王家の結婚なんてそんなものだと二人で笑った。ただ、私もアイリーンも少し寂しかった。


「私、アイリーンがいてくれてよかった。いつも一緒にいる関係ではなかったけれど、アイリーンが姉さまって呼んでくれて、嬉しかったの」


「私も、姉さまが私を家族だと言ってくれたから、どこにいてもまっすぐ立っていられたのです」

「幸せにね」

「姉さまも」


 私もアイリーンも王女にしてはよくやった。望みの相手との結婚にこぎつけたのだから。

 アイリーンは私がミスティと死別したと聞いたら、心を痛めるだろう。

 けれど、私は画家のミスティを敬愛しているし、そのためにはどんな犠牲を払ってもかまわないとすら思っているのだ。


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