画家のミスティ・バロッキーへ
誕生日に絵をねだったのには、訳があった。
母が亡くなってから、しばらくとても寂しかった。
私はまだ十歳になったばかりだったのに、父も兄もあまり頻繁には会わなくなり、それまで近くにいた女官たちもどんどん辞めていった。
代わりに年若い騎士が私に付くことになると聞かされ、レトがやってきたのもこの頃だ。
同じ時期に外商員の一人であったジェームズが私の身の回りのものを取り纏めて手配する担当になり、頻繁に出入りするようになった。人数は減ったが誰かと話をすることが出来るようになり、一人の生活に少し活気が戻ってきていた頃だった。
今思えばジェームズの竜の気配に反応していたのだろう。初めて会った時から、ジェームズがお気に入りだった。
遊び相手として連れてこられる卑屈で粗野な子どもたちとは違う、年上の美しい人。
当時のジェームズはまだ、礼儀正しく物腰も柔らかかったから、レトよりも我儘を言いやすかったのかもしれない。
ジェームズを独占できるのが嬉しくて、誰かが――妻や自分と同い年の息子が父の帰りを待っているとは思いもしなかった。我儘を言って城に留め置くことが多かったのを、ミスティに咎められたのは苦い思い出だ。
ジェームズは人形、美術品、装飾品、櫛や鏡など、私が望むものをなんでもそろえてくれた。
王女が身に着けるものは高位の女官がふさわしいものを選ぶものとされていたから、日中に着る服だけはジェームズには頼めない。それ以外の部屋着など、女官たちが選ばないような私の好みの物を持ってきてくれるのも嬉しかった。
ほったらかしの私に対して後ろめたいのか、ジェームズに何を注文しても、それは浪費だと父に咎められることはなかった。
逃げ場を見つけた私は、だんだんと人前で傲慢に振舞うことを覚え、虚勢を張っては他の兄弟を遠ざけるようになっていった。
我儘姫という肩書は私にとって都合がいい。父や兄にとっても、他の兄弟姉妹にとってもそうだったと思う。
変わり者のクララベルに重要なことを任せられぬという雰囲気が、私の身の安全を作っていった。
屈辱的だが、私だって我儘姫という肩書を受け入れていたのだから同罪だ。
我儘姫だと軽んじられることで、自由な時間が出来るのを内心喜んでいたのは事実だ。
そんなだから、肖像画を描きにやってくる画家はクララベル・カヤロナを傲慢な王女として描く。
女官たちは私をいっそう強そうに飾り立て、画家の前に立たせた。
私が女官のセンスの無さを笑うのは簡単だったが、そんな小さなことが政治では大きな
どの肖像画も判で押したように同じ仕上がりだ。
褒めもしなかったが、けなしもしなかった。
ただ、画家が画面に私の何を描き写そうとしているのかわかると、機嫌よくはできなかった。
その様子がさらに気位の高い我儘姫のイメージを強くしていく。
自信ありげにほほ笑む赤いドレスの少女。それを見て私は落胆でため息をつくのだ。
――私ではないのに、これが私なのだ。
人の目を通して映る自分を嫌でも知ってしまう。
母が死んでから、私はどうにも自分のことが好きになれずにいた。
「ねぇ、ジェームズ、私ね、肖像画が欲しいの」
私はジェームズに懐いていた。竜だからという理由だけでなく、不足している父からの愛を埋め合わせるためだったのかもしれないけれど。
「この間も画家が来ていたようですが」
「そうじゃないの。あれはどこかに飾るものでしょ?
私の顔をして赤い服を着た我儘で意地悪な王女様の絵だわ。私ね、自分で持っているための私の絵が欲しいのよ。有名な画家じゃなくていいし、なんだったらジェームズが描いてくれてもいいわ。ヘタクソだってかまわないの。ああいうのじゃないのなら……」
「ああいうのとは?」
「……ねぇ、ジェームズ、本当の本当に、私ってあんな高慢ちきな顔をしている?」
子どもの私はジェームズに上手く説明が出来なかった。私の思っている自分が、赤いドレスの姫と同じだったらどうしようと不安になっていた。
ジェームズは困ったように笑ったが、しばらく考えてそっと私の頭に手を置いた。
「姫様、絵は用意いたしますが、画家については私にお尋ねにならないでください。それなら特別に姫様の願いをかなえてさしあげます」
ジェームズはこんなに信頼できるのに、王都ではバロッキーに対する風当たりは強い。私以外はジェームズとあまり口をきかない。
いっそジェームズが家族だったらよかったのにと、何度も空想したものだった。
ジェームズは約束通り、私の誕生日に合わせて、あまり大きくはない絵を持ってきた。
「姫様、この絵は出来る限り内々にお楽しみください。広間などに飾って、知らぬ方にお見せにならないように」
私はジェームズの言葉に神妙にうなずいて、美しい
そこには、私がいた。
鏡を見るよりも、ずっと私が私だと思っている私が。
いささか自分で思っているよりも美しいくらいだったけれど、それは画家の匙加減だから甘んじて下駄をはかされておくのがいい。
宮廷画家が描くような高慢ちきな表情ではないし、そういう時に着せられる真っ赤なドレスでもなければ、ギラギラした宝石で飾られているのでもない。
私が注文した通りの絵だった。
私が庭の東屋で息抜きをしていた瞬間を切り取ったものだろう。私室からつながっている小さな庭の東家で、
私はよく、着替えもせずに起き抜けにそこで散歩することがあった。
あの時は夢に母が出てきて、起きた後もぼんやりと母の事を考えていたのだったと思う。
薄青い部屋着に寝乱した金髪を無造作に束ねて、半開きの口で少し夢見がちな、何かに思いを馳せるような顔をしている。
クララベルはこれだ、とおもっている人がいるのね……。
「これ……誰が、どこで私を見ていて描いたの?」
絵から目を
「姫様、画家についてはお尋ねにならない約束ですよ」
「だって、こんな……これ、私の庭じゃない? ジェームズがどこかから覗いて描いたの?」
私は自分の口がへの字に曲がってしまうのを隠しきれなかった。
「
「でも……だって、こんな……こんな所を描くなんてひどいわ……髪もくしゃくしゃだし、寝間着のままだし……」
我慢できずに涙が滲む。
「おや、お気に召しませんでしたか?」
ジェームズがおどけて言うので、ぶんぶんと首を振って絵を抱きしめる。
「これは私のものだから、もう返さないわ。だいたい、こんな絵がどこかに飾られでもしたらたいへんだもの」
涙がこぼれないように鼻をすする。
「私にはなかなか良い出来だと思いますが」
「そんなの分かっているわ。これは傑作の域よ。絵の良し悪しじゃなくて、なんだってこんな気の抜けたところを描いたのかっていう話よ」
ジェームズは思い出し笑いのようにして、笑いをかみ殺した。
「画家が言うには、その時の姫様が一番美しかったから、だそうですよ」
「そ……そんなはずはないわ」
そういったけれど、本当はとても嬉しかった。
お姫様ではないときの私を美しく描いてもらったことで、私はそれ以降の、自分の立ち居振る舞いを決めることが出来た。
誰かにそうされたからではなくて、自分で選んで我儘なクララベル第一王女であることを続けられるようになったのはこの絵のおかげだ。
この絵が私を決めた。
「ジェームズ、この画家はどこの誰なの? この国にこんな絵を描く画家がいたかしら?」
「バロッキー家は様々な商品を取り扱います。画家だってたくさん抱えておりますから。商売に
「ジェームズは教えてくれないのに、私は探してもいいってどういうことよ?」
「その方が私にとって都合がいいのです。本当は、姫様がこの画家を見つけ出さなければいいとさえ思っているのです」
そう言ってジェームズは曖昧に笑った。
ジェームズは父として、ミスティをカヤロナ家にかかわらせたくはなかったのだと、今ならわかる。
*
「なんだって、見つけ出してしまったのかしら。あの絵の作者なんて、本当に知らなくていいことだったわね」
ミスティは何の絵の足しにするのか、私の耳たぶ辺りを摘まんでいる。
「父さんだって、息子を生贄にするのは嫌だったから黙ってたんだろ。我儘姫に目をつけられたら大変だ」
「言ってくれたら探そうと思わなかったわ」
目をつぶっているけれど、ミスティが微笑むのが分かる。
「そうは言うけど、あの調子だと、どこかで俺の絵をみて、俺を探し出してしまっただろうけどさ」
「そうね。私、画家を見出すことに関しては自信があるの。バロッキーが隠しても、きっと遅かれ早かれミスティを見つけたわ」
それは想像ではなくて確信だった。
「どこにいても、例え外国にいたって、ミスティの絵ならわかるから、追いかけて行って、捕まえて、パトロンになって、泣くほど絵を描かせるの」
それを聞いて、ミスティはくすくすと笑う。
「俺もあの絵は傑作だと思ってるよ。他のどんな画家が描いたクララベル姫より美しいクララベルだったろ?」
私は、何も言えずに黙って
ずっと言いたかったことがある。それを言えるのは今かもしれない。
私はミスティを押しのけて背を真っ直ぐにして座りなおす。
「あの、クララベル・カヤロナが王女として画家のあなたに言いたいのだけれど」
驚いた顔をしてから、ミスティは騎士のように膝を折って一段低く座り私を見上げる。
「婚約者の俺じゃなくって、画家のミスティ・バロッキーがお聞きしますよ」
こんな穏やかな時間は二度と来ない。そう思うと泣きそうになる。
「あの絵は私にとって、間違いなく最高の誕生日プレゼントだったわ。あの絵はおそらく国中の人の心を揺さぶるものだけれど、たった一人を救う絵でもあったということを、ずっと伝えたくて……」
あれを描いたのがミスティで良かった。
あの時で良かった。
ちゃんとミスティにたどり着いて良かった。
「光栄です、殿下」
「あの時は本当にありがとう。それと、あの絵はずっと、いいえ、一生、私のそばに置かせてほしいの」
これは真剣なお願いだった。ミスティがいなくなった後も私が生きていくための。
私の真剣な顔を真似たのか、一瞬ミスティが形容しがたい表情を浮かべたかと思うと、腰を上げて私の隣に勢いよく腰掛ける。
「いいよ。あれは仕事じゃなくて、描きたくて描いたものだし。俺は別の物をもらうから」
「別のもの?」
見上げると、いつものように意地悪く口の端があがるのが見える。
「結婚したら、絵本じゃないんだし、そこで『めでたしめでたし』じゃないだろ? 俺は貰えるものは根こそぎ貰っていくつもりだけど?」
「それは構わないけど、何かあげるものがあったかしら?」
「結婚してイタダクものといったら、お姫様の純潔とか、いろいろな初めてとかをね――」
「じゅっ……ひゃっ……」
純粋な気持ちで話をしていたのに、急に下世話な話になって、私は目を白黒させる。
「うわっ、何その感じ。かまととぶってさ。オリバーに貞操を安く明け渡そうとしてた本人が、今更何を照れてるんだよ」
「それとこれとは別問題よ!」
「覚悟しておいてくれるんだっけか?」
そんな覚悟なんて、できるはずがない。
できるとしたら、最後まで王女として生きる覚悟くらいだ。
「そうね、王女としての務めは果たすわ」
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