【誓って俺は趣味で妻に目隠しさせるわけじゃない】

 クララベルは、口付けをすると一雫の涙をこぼした。

 まるで本物の花嫁のように。

 その銀の軌道きどうを俺は凝視し続けた。

 雫が輪郭りんかくをなぞり、あごから落ちるところで、やっとぬぐってやる事に気がついたが、手巾を出す時間もない。頬にキスをする振りをして舐めとってやる。

 今日はやけに大人しい。


かん極まったのか?」


 耳元で小声で言えば、

「ミスティなんかと結婚してしまった事をいているのよ」

 可愛くない答えが返ってくる。


「へぇ――それなら、遠慮なく嫌がらせができるな」


 俺は、皆からの祝福の言葉を受け、偽の神の祭場で、花婿がするようにクララベルを抱き寄せる。

 花びらが舞い散る中、合間合間に花嫁を慈しむように口付ける。


「やめてよ」


 祝福する参列客の為に、幸せそうな表情を完璧につくりあげ、小声で抗議する。


「嫌なら振り払えば?」


 滑らかな頬を撫でながら、ゆっくりと顔を近づける。


「無理に決まってるでしょ。これ、本当の結婚式なのよ」


 可愛げのないことを言うくせに、俺にぴったりと寄り添って微笑む表情を崩さないのが可笑しくて、思わず吹き出してしまう。

 クララベルは花嫁らしく軽く目を閉じて、新郎の口付けを待つ。

 俺はその睫毛まつげの一本一本を観察しながら、唇に触れた。


 ここにいる誰もがこれが契約結婚だとは疑わないだろう。参列者が赤面するほどの長さでクララベルの唇を堪能する。


「不敬な誓いだな。神様に罰を受けるかも」

「祭られているものが神ではないって、ミスティが言ったんじゃない」


 ――そうだ。


 女神の格好をして神殿に鎮座ちんざしている張りぼては、つがいに浮かれた竜でしかないのだ。

 俺も竜らしく、今夜ばかりは浮かれた勢いに身を任せよう。


 春の吉日、式は無事に執り行われた。

 俺たちは晴れて夫婦になったのだ。





 クララベルと俺との結婚は王族にしてはかなり小規模に執り行われた。 

 結婚相手がバロッキーであることが主な理由だ。王家はバロッキーの血は欲しいが、竜に対する国民の感情はまだまだ厳しい。

 直前にサルベリア国で執り行われたアイリーン王女の結婚と、それによる大きな商業条約締結が目隠しになって、狙った通り、クララベルの結婚を騒ぎ立てる者は少なかった。


 今日もごく少ない人数だけが教会に招かれている。

 上から俺たちを見下ろす位置にある国王の席と、その一段下の王太子の席からは、あたたかな視線を感じる。


(父さんが、国王はなんだかんだで親馬鹿だって揶揄するけど、本当なのかもな……)


 参列席には家長のトムズさんと、両親、ハウザーとエミリアも来ている。どうせ皆、俺の叶わないはずだった初恋の行く末を感慨深く見守っているのだ。

 

 ここまでの政略結婚は皆の知るところだが、ここから先、俺が亡命するまでの計画はバロッキー家ではサリとヒース以外は知らない。

 俺が死んだことになって国を出たと知ったら、父も母も仰天するだろう。

 番を得ることが最高の幸せだと思わない竜はいない。

 やっと手に入れた番と、わざわざ離れる道を選ぶとは、誰も考えつかないだろう。

 

 教会での儀式の後、城に場所を移動して、半分ほどに減った来賓に食事と酒が振舞われる。貴族ではないバロッキー家は参加しない。

 俺とクララベルは挨拶にやってくる貴族たちからの祝辞をあらかじめ決められた言葉で受けとることに専念して、ひたすら時が過ぎるのを待った。何度も練習してきたので失敗しなかったはずだ。

 

 しばらくして、王が立ち上がり退出するのが見える。宴席では退出の挨拶をしなくていい習わしだが、クララベルは優雅な礼の姿勢をとり、父を送り出した。


「父様も兄様も、機嫌がよかったわね」

「そうだった?」

「そうよ。なんだか目まで潤んでいたんじゃないかしら?」


 クララベルは首を傾げて、それから納得したように頷いた。


「私、長いこと勘違いをしていたみたい」

「何が?」

「私って、思っていたほどは家族にうとまれていなかったみたいなの」

「……そうだな」


 国王にしても王太子にしても、クララベルを気にはかけてはいる。

 軽視しているように振舞っているのは、きっと何か理由があってのことなのだろう。糞みたいな理由に違いない。


「王族って面倒だな」

「そうね、結婚式って疲れるわ。はやくお開きにならないかしら」

「そろそろだろ。女官が合図をしてくれることになっていたっけ?」

「あ、レトが来るわ。退出していいみたいね。ミスティ、立って。三方向にお辞儀をしてから退出よ」

「はぁ、やっとか。でも、ゆっくり休むわけにもいかないか。この後、初夜もあるしな……」

「そ……う、だったわね」


 クララベルは僅かに眉を顰めると、照れ隠しなのか目の前に残っていた酒杯をあおってから立ち上がる。


「痛かったら噛み付いてやるんだから」

「せいぜいはしたない言葉で悲鳴を上げるんだな。近衛に踏み込まれて、立ち会いの居る初夜になるけどな」


 ひどいことを言い合いながら脇腹を小突き合い、クスクスと笑う。

 ささやきあう俺たちは、さぞ仲睦なかむつまじく見える事だろう。



 と、余裕だったのはまぁ、人前での演技中だったからだ。





 さて実際、どうしたものか。


「なに?」


 クララベルは薄絹の清潔そうな夜着で寝台に控えている――おかしな様子で。

 夜着の上からかさのある羽毛の入った上掛けを頭からかぶって、布団で出来た小山の中心から顔だけ出している。部屋は暖められているから、寒いのではなくて、緊張しているのだろう。

 俺が差し出した布切れを仰ぎ見て嫌そうに眉を顰める。

 

「俺さ、見られるの、嫌なんだよね。服を着てればわからないかもしれないけど、誰かに見られると、不都合なものがあって」


 俺はかねてより用意していた苦しい言い訳を告げた。


「え? 見られるのが嫌なところ? そんなところがあったの? 知らなかったわ」


 クララベルは山から頭だけを出して、目を丸くする。


「そりゃ、俺たちは竜だから、分家の奴には分からないような秘密もあるよ。ヒースなんか、背中に鱗まで生えてる」

「……それはサリから聞いたことがあるけど、本当だったのね。それじゃ、ミスティもどこか竜らしいところがあるの?」

「好奇心でそういうの聞くの無神経だってレトさんに叱られなかった? あったとしても、そんなの教えてやる必要ないだろ」


 サリから聞いたヒースの様子が、俺の言い訳に真実味を持たせ、クララベルは神妙な顔で頷いた。


「まぁ、そうよね。ミスティが嫌だったら、全部つまびらかにする必要はないわ。そうしなくても務めを果たすことはできるでしょ?――でも」


 クララベルは言葉を選びながら、顔を赤らめる。


「でも、なんだよ」

「……痛い所に何かあったら、嫌かも」


 上目遣いにそんなことを言われて、俺は盛大に慌てた。


「はぁ? 何、想像してんの? そんなところには何もありませんけどぉ!」

「茶化さないで! こっちには切実な問題よ! 何か不都合があるなら先に言って」

「無い。怖いのも痛いのも無いって。安心しとけ。ちゃんと天国に連れていってやるから」


 ふふん、と、ふざけて笑うが、その実、これからのことを考えて腹の奥がざわざわと落ち着かなくなる。


「気持ち悪いわ! 何でそんなに自信満々なのよ。ミスティだって初めてなんでしょ?」

「そりゃそうだけど、本当にクララベルが痛いことは何もないよ。竜は、そういうの、得意分野なんだ」


 竜は番に痛みがあれば、すぐに分かる。快感だって同じだ。


「怖いのか?」

「いいえ。自分で決めたことよ。覚悟はできてるわ」

「へえ、姫様は割と触りがいのある胸部をお持ちだし、役得ですな」

「ええ?! そんな所まで触る必要ある?」

「必要あるし、触るだろ?」

「そんなぁ」


 クララベルはまた、小山に引き籠って、ベッドにうずくまる。


「もっと凄いところも触られるってのに、呑気なもんだな」


 まるで色気のないやり取りに、ひりひりとした緊張が解ける。

 俺は用意してきた軽薄な色の絹の目隠しをヒラヒラと振る。


「目隠しするから、出て来いよ」

「それで目隠しをするの?……見えないの、不安じゃない?」

「なるべくお互いにダメージが少ない方がいいだろ。明かりも消してやるから、俺も見えない」

「なんだか変態みたいだけど、まあいいわ」

「誓って、俺の趣味とかじゃないからな」


 それだけはちゃんと宣言しておきたい。

 いろいろ考えたが、苦渋の策だった。断じてそういう趣味ではない。


「――どうだか。見えないなら、何から何までミスティに任せることになるけど、大丈夫?」

「心配ない。任せとけ」


 そう言うと、クララベルは小山から這い出して俺に背を向ける。いつもはきつくクセをつけられて整えられている髪は、素のままに緩く波打って背中に流れる。


(そうとなったら、飼い犬みたいに素直なんだよな。俺に目隠しなんか許して……)


 逸る気持ちを抑えながら、薄桃色の絹の目隠しでクララベルの目を塞ぎ、髪を掻き分けて後頭部で結ぶ。約束通り明かりも消した。


「……本当に見えてない?」


 そうだ、普通の人間には見えない。

 竜の目は暗闇でもクララベルの足の爪先の先に塗られた香油の艶さえ観察できるのだが。

 緊張でワードローブでのことを忘れているのか、それ以上は追及してこない。バレたらバレたで、頬を張られるくらいのことは甘んじて受けよう。


「大事な協力者だ、乱暴にはしないさ。ほら、俺はここに居る」


 ゆっくりと、妻となったクララベルの手を取り引き寄せる。

 わずかな期間でも、クララベルの全てが手に入る。一番欲しいのはその心だが、贅沢は言うまい。


 クララベルは緊張して、いつもより体が強張っている。見えない分、皮膚の感触が敏感なのだろう。背を撫でても、より一層、肌をを粟立たせるばかりだ。

 怯えた子猫みたいで可愛いなと、ひたいに唇を落とす。

 

 すると、魔法のように強張りが解け、温かな重みが俺に預けられる。

 俺の胸に凭れ掛かって、心音を聞いている。お互いに走った後のように鼓動が速い。


「ミスティも、緊張してるの?」

「……それなりには」

「……そう。それは、そうよね。誰だって最初ってあるわ。大丈夫よ、心配ないわ。私だってたぶんこういうの得意なはずよ」


 クララベルは伸びあがって、俺にキスをする。

 目隠しのせいで、距離を測れず顎にふにゃりとしたキスをもらう。


「あら、届かなかった? 見えないんだから、ちょっとかがんでよ」 


 警戒心が無さすぎだとは思うが、そんなクララベルに機嫌を取られて、襲い掛かるように抱きしめる。


 愛しくて、愛しくて、髪に、こめかみに、鼻に、耳に、頬に、頸に、顎に、無数に口付けを落としてもまだ足りない。

 教会での口付けとは違う、深いキスを何度も交わす。


 目隠しなんて姑息な手段以外に竜の血の暴走を隠せる自信がなかった。


(俺のつがいだ――)

 

 断言してもいい。俺、今、目が光ってる。

 竜の血が歓喜で踊り狂っている。

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