【俺の婚約者の体重が流出していてちっとも面白くない件】

「なにしてんの? レトさんに怒られるよ」


 茂みをかき分けて足を踏み出すと、こちらを勢いよく振り返ったオリバーと目が合う。

 本当にクララベルを害するつもりがありそうなら、直ぐに飛び出していったけれど、オリバーの歪んだ恋心はクララベルの命をどうこうする方向へ向くものではなかった。

 細い枝でぺちぺちと甚振いたぶるくらいの事しかできていない。

 

 盗み聞く限り、妹に劣情を覚えながら同時にクララベルも狙ってるような口ぶりだった。


(竜じゃない奴の頭の中はどうなってるんだ? つがいを一人に絞れないだけじゃなくて、身内にも変な気を抱くのか?)


 こんな場面なのに、首をかしげてしまう。正直、竜じゃない男の劣情が理解できない。

 とはいえ、クララベルが馬鹿なことを始めそうだったのでじっと見ているのはもう無理だった。

 それについては滅茶苦茶腹が立っている。


「――ああ、あんたは見た事ないよな。レトさんが怒るとうちの母さんよりも怖いんだよ」


 俺が出て来たにもかかわらず、クララベルは俺を呼ばない。叫びもしないし、泣きもしない。


(さっきまでよくしゃべっていたのにな)


 多分もう限界に違いないのに、奥歯をギリギリと噛み締めていて、口を開けられないでいるのだ。

 泣く……あれは泣く前の顔だ。

 口をへの字に曲げたその顔は愛嬌があるのに、クララベルから流れ込む感情は重く激しい。ひどい選択をしたクララベルの心細さに当てられて、なんだか一緒に泣き出しそうになる。


「あんた、えらい事をしてくれたなぁ。うわっ、凄い罠だね。クララベルの身長まで把握してるなんて、ご執心しゅうしんなんだな」


 こんな場面なのに俺の声は場にそぐわないほど凪いでいる。

 オリバーは、俺がそんな調子なので、クララベルに近づくのを止めもしないで、唖然として立っている。

 

 クララベルの腕をつかんでいたオリバーの手が、俺と距離を取るように離れた。


 俺が一歩進めば一歩下がる。

 また進めば、また下がる。


 こんなに容易に近づけるとは思わなかったが、せっかくなのでそのまま罠からクララベルを助け出す。


「つかまってろよ」


 手にかかる負荷を減らすためにクララベルを肩に担ぎ上げてから、腰の道具袋を開けてナイフを取り出し、クララベルが吊られている縄を切る。


 ビンッ! と空気を震わす音がして、クララベルの体重を支えていた強くしなる枝が、勢いよく上にはね上げられる。


(なんだか、すごく、おもしろくない)


 身長と重さ、両方知らないとここまで正確な罠は張れないだろう。


(こいつ、クララベルの重さまで知っているのか?)


 クララベルの小柄な体は、軽い音を立て俺の腕に収まった。オリバーは俺を遮ることもしないし、クララベルを奪おうともしない。


「なぁ、声をあげないと、見つからないままになるだろうが」


 小声でクララベルを叱るが、クララベルから血の匂いがして軽口に身が入らない。


 ――傷はどこだろう? 手と、口の中か? 

 

 泣かないように震えないように力を入れすぎたクララベルの奥歯が、ギリっと音を立てる。

 俺は血がようやく通うようになったクララベルの手を摩りながら抱き寄せた。


「王女様って、大変だよな」

 

 頭を撫でれば、磁石のようにひしと抱き着いてきた。


 俺はバロッキーだし、これ以上何も失うものがない。というか、竜にとって失ったら困るものなんて多くない。突き詰めれば、番くらいなものだ。


 まぁ、サリに綿密に作り上げられたイメージを壊したとか、そんなのを後で叱られるかもしれないが、別にもういいや。


「でさ、これ、どうするつもりだったの?」


 俺は、出会った時からオリバーの中にあるクララベルへの感情を嗅ぎつけていた。

 ダグラスの強い想いと違って、オリバーのそれはとてもいびつだった。腹が立っても敢えてダグラスを推さなければなくなったのは、こいつのせいでもある。


 俺の死後、後添えのリストに載るのはダグラスよりもオリバーの方が序列が上かもしれない。フォレー家の領地は広いが、サンドライン領の方が住民が多いのだ。それは税収に関係する。

 クララベルを真摯に愛しているダグラスでも耐えられないのに、中途半端なオリバーが後添いの夫になるかと思うと、殺したくなる。


「ですからね。オリバー様は、ここで王女殿下を害するつもりだったのですか、と尋ねておりますが?」


 俺はオリバーのような腰抜けに、クララベルをやるのは死んでも御免だ。

 いっそ俺を殺して奪うぐらいの気概があるならよかったのに、こいつは遠くから歯ぎしりするだけで、クララベルに近寄りもしなくなった。


「殺したりしない。無知で傲慢な女に鉄槌を下していただけだ!」


 語尾を震わせていきり立つ。

 こいつ、本当にそんなことができると思っていたのだろうか?

 自分が傷つくことだけを極端におそれて、俺がクララベルの婚約者になった後もオリバーはただ見ていただけだった。


「へぇ、鉄槌を下した後は、どうやって収拾をつけるの? この後、クララベル様ほどうなるのさ?」


 振り向かない女を傷つける為に、自分の手を汚すことも厭うくせに。


「躾けがなっていない女には、鞭打つのが一番なんだ。妹も、こうしてやらないと自らの愚かさを悟らない。痛みがないと自分の過ちがわからないんだ。その女だってきっとそうだ。少し痛みに耐えれば、狩りが終わる頃には俺の妻になることが正しいとわかるだろう」


 オリバーが手に持った枝をビュンビュンとしならせる音が空しく響く。


(なんだ? こいつ、何を言ってるんだ?)


「クララベルが怪我をしていたら、オリバー様が加害者ってことになって、捕まると思うけど?」

「はっ、そんなことにはならない。みてみろ、そこに旗が立っているだろう? そこから先のこちら側は狩場だ。狩りをする者以外は入ってはならないことになっている。皆知っていることだ。狩場には罠もある。クララベルがこうやってつるされていたのは俺が悪いんじゃない。我儘なクララベルがルールを破って狩場に一人で踏み込んで罠にかかっただけの話だ。俺はそれを助けたのだ! 誰がそれを責める?」

「ええと、王様とか?」


 オリバーはオリバーで極限の状態なんだろう。

 視野が狭くなって自分が今置かれている状況が何も見えていないようだ。


「自分の主催した狩りで、娘が勝手に怪我をしたなら陛下のせいだろう。護衛もつけずに、一人できたんだぞ。婚約者である無能なお前の責任でもあるな。我儘に動き回るのを放っておいた方が悪い」


 それは確かに、一理ある。俺が心のままに一瞬も離れずにべたべたと張り付いていれば良かったのだ。侍女が止めるのを振り切れば、もっと早く追いついたはずだ。


「婚約者のいる姫を誘い出して、周到に罠を用意させて罠にはめたのはオリバーで、クララベルから目を離したのは俺。クララベルを諫められなかったのは女官で、勝手に一人で抜け出したのはクララベル。全部とがめられるだろうけど、一番悪いのは誰だと思う?」

「俺は悪くない!」

「えー、そんなわけないじゃん」


 王族を傷つけようとしたオリバーの話は、穴だらけだ。こんな面倒なやつだと分かっていたなら、もう少し注意していたのに。

 尻尾を巻いて逃げたのだと、放っておいたのがよくなかった。


「悪くないオリバー様、こんな事をして、本当にクララベルが手に入るとでも?――あんたさ、今現在もクララベルにかばわれているのがわからない?」

「なっ、なんだと……」


 オリバーは顔を真っ赤にしているが、俺の言っている意味も分からないのかもしれない。

 オリバーはクララベルの何が好きでこんなことをしているのだろう。

 

 クララベルの解けてしまった濃い蜂蜜色の髪に指を通す。今日の髪形はあまり似合わなかったし、あとで結いなおしてしまおう。

 どうも、メイドたちはクララベルの髪を結うときに、より強そうな髪型を選ぶようだ。

 クララベルの好みではなく、メイドたちの主観がそうさせるのだろうが、クララベルが不平を言って結いなおしを命じることはない。

 クララベルに付きまとう印象こそがクララベルの真の敵なのかもしれないなと、ぼんやりと思う。


「お気楽な事だよね。カヤロナでは本当に王位の重みが軽いのかな? まさか本当に振られたクララベルに復讐する為だけにこんな事をしたの? 王家の敷地内で家臣が王族を害したとなったら、誰が考えても一族は破滅ですよね。今の状況だって、クララベルがうんと騒いで俺じゃなくて、騎士が駆けつけたら、ひとたまりもなかった」

「なっ……」

「それで、クララベルは大声をあげたの? あんたはさ、あんたよりずっと冷静だった我儘で愚かなお姫様に守られていたんだよ。袖にされた姫様に復讐するつもりが、その実庇われていたというのは、どういう気分? ねぇ、オリバー様」

「違う、王家にとってクララベルの傲慢を正すのが正しいのだ! 見ていなかったのか、その女は俺を誘惑してきたんだぞ!」

「見てましたよ。クララベル王女の立派な覚悟をね。高潔な姫様は、民を救うためなら、その貞操を犬にくれてやることさえ惜しくないんですってね」

 

 ああ、駄目だ。言葉にしたら、やっぱり腹が立ってきた。

 怒鳴りださないように、一つ息を吐く。


「よく考えてみろよ、誰が自分を罠につるした奴に抱かれたいと思うんだ? ああ、変態のオリバー様は自分が痛めつけた相手が、自分のことを嫌いにならないと本気で思ってるんだっけ?」 


 見えないというのは便利なものだ。自分だけを正当化できる。


「ほんと、キモいな。国の重要な任を持つ伯爵家の次期当主であるお前が、直系の王女を害したという事実を作らない為に決まってるだろ!」


 オリバーは赤くした顔を青くしたり頭を振ったりと、情緒が忙しいようだ。


「あのさ、オリバー、こんな事をやって、実家がどうなるかとか考えなかった? お前が罪を犯したら、サンドライン卿が糾弾される――わ、か、る、か、なぁ?」


 ガラが悪いのは分かっているが、首を傾けて見下しながらオリバーの軽率さを詰る。

 貴族の家に生まれれば、そんなこと子どもだってわかる。


「俺の価値がわからない伯爵家など、滅べばいいんだ。父も俺の話を聞こうとしない。俺を、クララベルの夫にすれば何もかもが上手くいったんだ。フローラだって外国に売られていくようなことはなかった」

「ふーん」


 オリバーの言い訳をつまらないなと思いながら聞く。

 何の優しさかは分からないが、クララベルの手に巻き付くところの縄は荒い麻ではなく綿で編まれていた。それでも擦れて滲んだ血で赤く染まっている。

 こんな薄い皮膚の女を無傷で縛り上げられるはずはないのに。

 もう少し工夫しろよ、と毒づく。

 紐を解いて傷を確認すると赤くなっている以外はほんの少し切れただけのようだ。

 俺はオリバーに見せつけるようにその傷に唇を寄せる。


「ああ、血がでているな」


 これは俺がクララベルに流させてしまった血だ。

 俺が婚約者にならなかったら、オリバーがクララベルの隣にいる未来もあったのだろうか。

 もう、ダグラスが気に入らないとか言ってられない。

 正直、確実にクララベルが幸せになる保証があるのなら、もう誰に譲るのでもかまわない。

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