【こうしている間も、俺は全力で婚約者の柔らかさを貪っている】

 ――俺が太古の竜だったら、いったいどうしただろう。


 俺が画材のナイフ程度のものではなくて、それ相応の武器でも持っていたら、オリバーを引き裂き心臓をくりぬいたりしただろうか?

 いや、その頃の竜ならきっと、ぬらぬらと光る黒い爪と牙で獣のように引き裂いたのかもしれない。

 そんな不穏な想像をしながらオリバーを睨むと、オリバーはひるみのけぞった。 

 

 番に執着する竜の血が暴れ出そうとしていた。

 ここにいるのが本当に俺でよかった。吊るされたのがサリで、それを目撃したのがヒースだったりしたら、バロッキーの忌まわしい言い伝えがもう一つ増えるところだった。

 父さんはヒースが我慢強いなんていうけれど、サリが絡むとヒースなんて我慢の我の字も知らないようなけだものだ。


(なんだ、俺の方がずっと我慢強いじゃないか)


 実は、父さんがクララベルの話し相手に、俺じゃなくてヒースを選んだことについて、まだ根に持ってる。

 

 竜の血を暴走させて、仕事で培った筋肉で相手を殴りつけて襤褸雑巾ぼろぞうきんのようにしていくヒースを思い浮かべることで、俺は冷静を保った。

 それをなす術もなく見守って、そのあとこれをどう隠蔽いんぺいしたらいいだろうかと冷静に思案するサリのことも浮かんで、もっと冷静になった。


(なんだよ、あいつらと比べたら、俺たちめちゃくちゃ我慢強いじゃんか)





 相手がクララベルの敵だと思うと、オリバーの弱点が手に取るように分かる。

 何にひるみ、何を恐れているのか、今までの一挙一動が思い起こされる。


「わかってないな。お前にとって実家がなくなるということは、その不思議な服を作る金もなくなるってことだよ。それ、特注なんだろ?」


 今日のオリバーもおかしな格好だ。

 狩りだというのに、動物の毛皮を着るなんて、誤射されたらどうするつもりなんだ?

 草食獣の毛皮で作った上着をまとうならともかく、肉食の獣の毛皮をまとったのでは獲物に気取られないようにするという言い訳も逆効果だ。


 オリバーが今着ている外套は、恐ろしく高い値段がつく熊の毛皮からできている。

 黒い被毛の先が銀に光る熊はごく稀にしか捕獲されない。フードの部分は熊の顔の部分で出来ている。

 この毛皮をそれをここまで毛艶よくなめしあげ、脱臭した技術は素晴らしい。義眼には宝石が使われているようだし、鼻もつややかに仕上がっている。どんな良い品であっても、今日着てきては台無しだが。

 どちらにしても、後ろ盾のない若者が所望しても容易には得られない品物だ。こんなものを取り扱っている店は王都では一軒しかない。


「それさ、特別な店で作っているよね。貴族の特権を振りかざしてさ。あそこは、オリバーの力じゃなくて、サンドライン伯爵の名前でしか入れない店だよ」


 オリバーの着ている生地は一つ一つが珍しいものだ。それを取り扱える店だって限られている。

 オリバーは知らないかもしれないが、そういう店はもちろんバロッキーの末端の分家の店だ。


 バロッキーは見た目に竜の血が現れた、僅かな者だけが名乗る家名だ。

 国民の竜に対する嫌悪や畏怖はバロッキーという名だけに注がれる。いわばそれが隠れ蓑となり、それ以外の分家はバロッキーとのつながりを隠し、様々な分野に裾野を広げ商売をする機会を得る。

 今では国に流通する高級品のほとんどは何らかの形でバロッキーを経由している。この国の産業はバロッキーとは切っても切れない関係なのだ。


「実家以外に何処かに金蔓かねづるでもあるの?」


 自分で価値を生み出すことが出来ない者ほど、むやみに高いものを身に着けたがる。

 自分で稼いだもので高い服を着るなら感心するが、オリバーはしょせん脛かじりだ。

 少なくともこんな甲斐性なしにクララベルをやるのは絶対に嫌だ。

 まぁ、それ以前に、美しいものに関心のない奴にクララベルが心を傾けるとは思えない。


「……」

「自分の主張で実家を潰すつもりなのは、まぁ凄いねっておもうけど。それじゃ、生活が立ちいかないだろ? 独立して、何か事業でも始めたってこと?」

「……」

「髪をかためているワックスだって、高価なものだよね。輸入品だろ? クララベルを害して家が潰れたら、そのハクスの革靴を新調することもできなくなるけど、大丈夫?」


 ハクスという大型の鹿の革も同じ店で手に入れたはずだ。

 樹脂で防水にした靴にしたらいいのに、わざわざ水がしみこみやすいヌメ革で作られた靴は狩りに全然向いていない。

 どれもこれも高級品であるのに、オリバーの指示したとおりに作られたであろうそれらは、ひどくみすぼらしく見える。虚栄心と、稚拙さと、ちぐはぐな色と材質と、今のオリバーを如実にあらわしていた。


「ねえ、財力をなくして粗末な格好をしたオリバーを、誰がすごいって言ってくれるんだろう? オリバーの父上も母上もきっとがっかりなさるね」


 虚栄心とプライドの塊のオリバーは見た目を気にしている。母という言葉を聞いたオリバーの顔に動揺ではなく、恐怖が浮かぶ。


「……違う」

 

 こんな時だが、腕の中のクララベルが俺に縋ってしがみついてきて、俺の集中力を削ぐ。


(ああ、もう帰りたいな)


 早く帰ってクララベルの手当てをしてやりたい。ぎゃんぎゃん泣くだろうから、でろでろに甘やかしたい。

 

 いつまでも、もだもだとしているオリバーに殺意めいたものが浮かぶ。

 だから、少し意地悪い言いかたをしても仕方がないんだ。


「あんたさ、二年前から成長してないな。あの時のジャケット、ベルベットに鋲とか、場にそぐわなくて最悪に格好悪かったよ」


 そう言ってみて、俺はどうしてオリバーがクララベルに近づかなくなったのか思い当たった。


(ああそうだ、あの時……)


 若いオリバーの恐怖に歪んだ顔を思い出す。

 嫌悪ではない恐怖の表情。


「美しさについて何も知らないくせにさ。高価なものばっかり……きっと、クララベルの価値だって分かってないんだろうけどさ」


(そうだ、オリバーには怖いものがあるんだった)

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