何を使っても
「いちいち腹が立つ女だな」
しなる枝で打ち
秋の森に打つ音が響き渡るけれど、どうにも私を害するには弱すぎるようにも思う。
「誰もお前を愛さない。お前の周りを見てみろ、誰も彼もが愛想笑いだ」
オリバーの当たり散らすような暴言に傷つきたくなんかないのに、陳腐なセリフは私の酷く弱い所に擦り傷のような傷をつける。
傷ついた顔などしたくないのに、王女ではない私は悲鳴を上げている。
――そうかもしれない。
――私は父にも兄にも愛されていない。
(だから、バロッキーの屋敷で、ただのクララベルとして扱われるのが嬉しくてしかたがなかったのよね……)
私がカヤロナ家ではなくて、バロッキー家に生まれていたら、人からは迫害されたかもしれないし、皆からは疎まれたかもしれない。
それでもジェームズは仕方のない子だと私の頭をなでるだろうし、イヴはいたずらが過ぎると私の尻を叩くかもしれない。ミスティとはきっと仲良しで、ヒースはちょっと抜けているけど頼れる兄なのだろう。バロッキーの仕事の手伝いをして、好きなことをおもいきりやれる。着たくない服も着なくていい。辛い事もあるけれど、誰かが抱きしめて慰めてくれる。
それはきっと愛と呼ばれるもので、バロッキーの大人達はだれも私が悲しい思いをしないようにと祈ってくれるのだ。
(――お姫様なんてちっともいいことがないわ)
こんな、吊るされたり叩かれたりして、虚勢を張り続けることに意味はない。
それでも、私はこの国の王女だ。
王女という偶像として存在するだけで、皆に愛されなければならない義務はない。
私が国の為に生きるのは私が生まれる前から決まっていたことだし、頭がいいわけでもないし、お金が稼げるわけでも、政治が出来るわけでもない。
この私には王女である以外、価値がない。
こんな国滅べばいいと思うこともある……まぁ、ときどきは。
しかし、少なくとも今はオリバーごときにサンドライン家を潰させはしない。
こんなつまらないことで、サンドライン領は混乱し多くの民が惑うのだから。
私は精一杯虚勢を張った笑みを浮かべる。オリバーが見慣れている私のはずだ。
「オリバー、愛などが私に必要だと思っているなんて思い上がりだわ。私はカヤロナ家の正当な血を引く王女よ。誰も彼も、私を喜ばせるための駒であればいい。オリバー、おまえだって私の忠実な僕であれば寵愛を与えてもよかったのだけれど。ねぇ、私の周りを飛び回る羽虫の分際で、どうして私の機嫌をうかがわないの?」
私はそれなりに権力で周りを威圧しながら生きてきた。
だから、オリバーが分かりやすい権力に弱いことは知っている。おかしなくらい自分に自信がなくて、それを隠すためにおかしな方向に努力が向いていることも。
フローラとは違う視点だけれど、私もオリバーを知っている。
今思い出すのは、オリバーが子どもの頃から私を崇拝に近い目で見ていたことだ。それに賭けよう。
レトかミスティが来るまで、これ以上傷つけられるわけにはいかない。少しでも時間を稼ぎたい。
「見てごらんなさい、おまえが手にしているものを。そんな貧相な枝ではなくて、私を叩くのにもっとふさわしいものがあったのではないの?」
オリバーは分かりやすくひるんだ。
「それとも拾ったみすぼらしい木の枝というのがおまえに相応しい? いっそのこと、フローラを叩いたものを持ってくればよかったのではなくって? きっと馬鹿みたいに高価な持ち手に鞣した皮をつけさせたのでしょう。せっかく私を傷つけられるのに、その程度のもので満足?」
フローラを鞭打ったことを私が
「なぜそれを……」
「愚かなオリバー、私が何も知らないと思っている?」
はったりで生きてきた私には、こうやって生きるほかに物事を切り抜ける
(ああ、サリだったらどうしたかしらね。あの小賢しい女だったら、もっとうまい手が浮かんだかしら?)
「王女である私はね、何でも知っているのよ、オリバー。妹におぞましい事をしようとしたのはどうして? 私に愛でられない腹いせかしら?」
こんな自分を切り売りする以外の解決法しか選べないなんて、頭が回らないのが悔しい。
もう少し勉強も頑張ればよかったわね。
「汚らしく着飾っても見苦しいだけ。おまえみたいな汚い鳥に傷つけられても何の心も動かないわ」
自分が外からどう見えるのかという演技には自信がある。
私はオリバーが私の見た目に相当複雑な感情を抱くのを知っていて、利用しようとしている。
「愛されたいのは、あなたでしょ? 誰にも愛されないのが嫌なのね、オリバー?」
「ち、違う」
「ねぇ、私、知っているのよ。フローラにあんなことをしておいて、その実、私のことも欲しかったのよねぇ」
「……違う」
私は一つの仮定だけを頼りに賭けに出た。
私はたくさんの男たちの劣情を、王女だということだけで袖にしてきた。
なかでもオリバーの劣情はあからさまだった。
権力を狙うものだと取り合わなかったけれど、オリバーが本当は恋心で私個人を欲していたのだとしたら?
「私をこうやって吊るして、身動きをとれなくしてしまってどうするつもり? ねぇ、せっかく私に触れられるのに、そんな木の枝でいいの? ここに昔からあなたが舐めるように見ていた、第一王女クララベル・カヤロナがいるのに?」
そうだ、オリバーの視線は、思春期に差し掛かる頃から陰湿な劣情の混じったものであったではないか。隠そうとしても時折、胸元や首筋をなぞる不快な視線を感じていた。
それを無視するのは、王女として人の視線にさらされて生きる私には当然のことだったのだけど。
オリバーが本当に私個人に恋をしていたとしたら、少しは目の前の肉欲に流されてくれる余地があるかしら。
領主としての責任を全うするサンドライン卿には、何としても失脚してもらっては困る。私はかたく奥歯を噛み締めた。
(使えるものは、なんだって使うわ。私がここで声を上げれば、うまくいっている全てが水泡に帰す)
「オリバー・サンドライン、お前が欲しいのはフローラではなくて、私よね?」
私はオリバーに向けて、吊られていないほうの手を伸ばす。
オリバーは動きを止めて私の手を見つめ、ふらふらとこちらに歩を進める。
「しゅ、殊勝なことだ。そうだ、最初からそうなら、俺だってこんな無茶なことは……」
私が伸ばした手にオリバーが手を重ねて、指を絡める。
「いいえ、違うわ。勘違いしないことね。私がおまえを受け入れるのではなくて、おまえが私に傅くのよ」
(……気持ち悪い)
オリバーの触れた所から、普通ではない違和感が身を蝕む。
気持ち悪い。
気持ち悪い。
オリバーの事は好きではないけれど、それだけでは説明がつかない強烈な気持ち悪さが流れ込む。
花火の時に感じたものと同じ?
演技が続けられないほどの不快感に叫び出しそうだ。怯えた姿など見せている場合ではないのに。
(何でも使うといったけれど、まさか自分の貞操で国を守ることになるとは思わなかったわ……)
オリバーの指が皮膚を這うのが我慢できずに、ぎっと分からないように唇を噛む。
(でも、もう……無理……ミスティでもレトでもいいから早く来て!)
オリバーの手が手を這いあがり、良からぬことを始めようとして、どうにも我慢が出来ずに叫びそうになる。
その時、がさりと
「あー、馬鹿。馬鹿だろ! そういうのを安売りするのやめてくれない? それって俺のじゃないの?」
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