オリバー・サンドライン

 オリバーは顔を真っ赤にして私をなじる。子どもが癇癪かんしゃくを起したような勢いだ。


「フローラがサルベリアに行かなければならなくなったのはお前のせいだ! フローラは一生俺の側にいられたはずなのに!」


 確かにフローラのサルベリア行きを推したのは私だ。どこからか噂で話が漏れるということもあるかもしれない。

 どのように伝わったのか、オリバーは私のせいでフローラがサルベリアへ行かされると思っているようだ。

 オリバーの折檻から逃れる為だと思っていないなら、フローラに危険が及ぶことはないかもしれない。


「俺から離れて別の場所に行くというのに――家族のもとにいるのがフローラにとって幸せに決まっている! なぜお前はそんなむごいことができる?」


 オリバーは泣き出さんばかりの悲壮な顔をしている。

 

 自分では鞭でフローラを打っていたくせに、どうしてそんな顔ができるのだろう。

 フローラを愛おしむことと、鞭で打つことにオリバーは矛盾を感じないのだろうか?


(なるほど、この件でオリバーは妹を遠くにやられる被害者で、私が我儘でフローラを召し抱えた加害者というわけね)


「考え違いをしているわ。フローラが適任だったから抜擢ばってきされただけよ」

「そんなわけがない。フローラは最近おかしかった。最近じゃ、外に行くことばかりを考えるようになって、こそこそと、俺の顔もみない。これも、それも、全部、全部お前のせいだ!」


 オリバーの憤怒は止まらない。私に唾を吐きかけるような勢いで罵る。

 オリバーはフローラがサルべリアに行くことと、自分の蛮行とが結びついているとは思っていないようだ。 


「よくお聞きなさい。フローラが適任だったから選ばれたのだと言ったのよ、これは国の決定よ」


 オリバーは一度ぐっと喉を詰まらせ、声を大きくした。


「お前のせいだ。お前が俺と結婚すると言えば、父は王家との繋がりを得て、それで満足したはずだ。お前がサンドライン家に降嫁すれば、妹にサルベリアへ随伴させる任など与えなかった」


「何を言っているの。王族の結婚の決定こそ私に権限のあるものではないわ」

「嘘を言うな。お前は大人しく俺を伴侶にえらべばよかったんだ。そうすれば、妹は一生家で静かに幸せに暮らせたというのに。お前が俺を選ばず、忌まわしいバロッキーの魔物と婚約するから、フローラが憂き目に合うのだ!」


 フローラを酷い目に合わせていたくせに、と言い返してやりたい。オリバーの主張に舌打ちをしたい気分だった。


「バロッキーとの婚姻も王によって定められたことよ。国の決定に口を出さない事ね」


(この体勢、疲れてきたわ……)


 つま先が地面に少しだけ届いているが、本当にギリギリの位置なのだ。

 上に引き上げられる力が強くて、少し油断すると足が浮いてしまう。こんな体勢で長く持つわけがない。


「おまえがサルベリア行きを蹴ったのは良い判断だった。それなのに、代わりに忌まわしい竜の血を引き入れるつもりだなんて、おかしいだろ?!」

「まだそんなこと言っているの? 何度も言わせないで、竜に忌まわしい血なんて流れていないわよ」


 それが政策であったことなど王家に近ければ近いほどよく理解している。竜の血が利用価値の高い特別なものだという認識はあっても、バロッキーの事を市井の者たちのように、毒だ呪いだなどと口に出す者は貴族の中にはいない。


 高級品のほとんどばバロッキーが流通を支えている。それを販売するのは何らかのバロッキー関係者だ。上流階級でバロッキーの分家と取引のない家などいないのだ。

 おかしい。妹を外国にやることに対する抗議だったはずなのに、オリバーの話はどんどん論点がずれてくる。


「この国は狂っている。お前の我儘じゃないとしたら、何なんだよあいつは? なぜあんな奴を選んだ?! 女みたいな顔しやがって。俺の方が力もあるし、何よりクララベルに相応しい。クララベルとの釣り合いを王は考えなかったのか?」

「は? 何? オリバーあなた、メチャクチャよ! 妹のことで誤解をして復讐に来たのかとおもったら、妹に意地汚い感情があるだけじゃなくて、私にまで未練があったってわけ?!」


 図星だったのか、オリバーは足を踏み鳴らして怒鳴り始めた。


「うるさい! うるさい、うるさい! どうして誰も俺が正しいのがわからない?! お前らみんな頭が悪いんじゃないのか? やっぱり、お前のせいだ、お前が我儘ばかり言うから」


 無傷で救出されなければならなかったのに、うっかり私はオリバーの逆鱗に触れてしまったようだ。


「クララベル様、いや、クララ様、竜に娶られるくらいなら、ここで恐ろしい事故に遭ってしまった方が国の為になるでしょう。しかし、ここで心を入れ替えるというのなら、私があなたを助けて差し上げます」


 震えながら、気持ち悪い猫なで声で、子どもの頃の愛称でオリバーが私を呼ぶ。 


「あなた、サンドライン家を潰すつもりなの?」

「父は俺が邪魔なのです。役に立たない穀潰しだとおもっている。何の努力もしていないと」


(その通りじゃない!)


 そう思ったが、口に出してサンドライン伯爵家の者にカヤロナ国王女を傷をつけさせてはたいへんだ。


「クララ様が悪いのです。なにもかも」


 フローラはオリバーと母親の歪んだ関係を悲しそうに話した。

 オリバーの母は自分に似た息子に過剰な期待をのせて「特別な子ども」と言い聞かせて育てた。過度に褒め称え、甘やかすばかりの行動がオリバーの自己愛を歪ませ、未成熟のままにしてしまったのだと。

 オリバーは自分が「特別」であることを信じていて、その妄想が傷つかないように、称賛を必要以上に欲して生活しているのだとフローラは兄について語った。

 フローラに言われるまで気がつかなかったが、確かにオリバーの行動はフローラの解釈にあてはまる。


 オリバーは騎士になるほどの腕もないし、サンドライン卿のように城で内政の手伝いをするには学業も優秀とは言いがたい。


(それなのに騎士の真似だけは、していたわね)


 あれが膨張した自尊心のあらわれだったのかと思うと少しぞっとする。

 オリバーは結局騎士になれなかった。試験に落ちたのではない、試験を受けなかったのだ。

 そういえばオリバーは私を妻に望んでいると誰かに言ったことはなかったし、私に愛を囁くこともなかった。

 ただそう願っていただけだったのだろうか。


(――失敗すれば膨れ上がった自尊心に傷がつくから?)


 そういえば、騎士の試験に受かった者たちを、くだらないと貶めた。

 王女の伴侶になろうと努力する者たちを集団で攻撃して、徹底的に邪魔をした。

 他人を妬みながら、他人が自分を妬んでいると妄信しているというフローラの言葉と重なって、なんだかため息が出る。


 ついに、体がうっすらと地面から浮きそうになる。

 私の手首に巻き付く綿製の縄が皮膚に食い込み、チリチリと肉を抉ろうとして、慌てて反動をつけて地面に戻る。


「お前のような女狐には丁度良いな」


 下卑た笑いを口元に浮かべたオリバーは足元に落ちていた枝を拾うと、私をそれでつつく。


「皆、お前のせいで迷惑してるんだ。お前が勝手なことばかりするから」


 奥歯を噛み締めて、オリバーの視線を正面から受ける。縄に締め付けられ指先は徐々に充血してきている。まだかすり傷だ。大怪我をする前にどうにかしなければ。


「お前の婚約者だって、本当はお前の我儘だけで決まったんだろう。見た目でしか物の価値を決められないとは愚かな女だ。王はあの花が欲しいと強請られてその花を摘んできただけにすぎん。愚かだ。愚かな王だ。あの竜もたいへんだな、好きでもない女と結婚するのはさぞ面倒なことだろうな。皆愚かだ。俺の話に耳を傾けない。クララ様、そろそろ疲れたでしょう? 私に許しを請う気になりましたか」


 オリバーは妄言を垂れ流し続けている。そうやって私が泣いて許しを請うのを待っているのだ。

 それに屈することはできない。

 国の決定は間違いであってはならない。私の結婚も、フローラの派遣も国にとって必要なものだ。


「レトがすぐにやってくるわ。オリバー・サンドライン、はやくこの縄をほどきなさい」


 気を取り直して常と変わらない王女の口調で命ずる。

 大丈夫だ。私はきっと無事に帰れる。

 だって私は子どもの頃からオリバーの前で常に王女だったのだから。

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