レニアス・カヤロナ

「大雨でも降って中止になればいいのに……」


 すがすがしく晴れ渡った空を見上げて溜息をつく。

 ミスティは宣言通り画材を馬車に積み込んで、面白くなさそうに馬車の窓から外を見ている。


 父や兄に同行して狩りに参加するレトは、馬車には乗らずに馬で移動だ。馬車と並走するレトの馬の蹄の音が軽い。久しぶりの遠出で喜んでいるようだ。


 城から遠くない暁の森が狩猟の会の会場だ。

 ひらけた所に予め大きな白い天幕が張られている。

 ぬかるまないように足元には敷物がひかれ、椅子やテーブルも準備は万端だ。簡易の竈が置かれて、狩の獲物に見立てた肉を調理して振る舞う。

 あらかじめ用意された軽食がテーブルに並べられると、狩りに参加しない者たちはそれをつまみながら火の番をして狩りが終わるのを待つ。

 

 狩猟の会は年々縮小され、今では身内の集まりのようになっている。

 主催は父と兄だし、それに参加する第一王女として私はただ飾りであればいい。挨拶以外は特に仕事もない。他の行事よりはやることは少ないが、身内の対応は少し面倒だ。


 父や兄と話をするのは緊張する。

 二人ともミスティに対して何を考えているのかよくわからないので、出来ることなら長い会話は避けたいのだ。

 国益を考えれば、父はバロッキーの血を国外に逃したくないと思っているはずだ。私がミスティを国外に出そうとしていることを知られるわけにはいかない。

 私たちはどちらも狩りに参加しないから、ミスティが父や兄に一人で対応しなければならない場面は少ないだろう。


 

 会が始まり、父と兄が一段高いところから開会を告げる。私もついでとばかりに狩りの無事を祈る挨拶をする。あとは目立たずに、ミスティにくっついていればいいだけだ。


 ミスティの所へ向かう途中、フローラの一件以来、音沙汰がなかったサンドライン卿がやってきた。

 今日は何か含みを持たせることもなく、オリバーを伴って天気の話をして下がっていった。

 

 挨拶が終われば、女たちは集まってうわさ話や陰口などに花をさかせる。今回は身内ばかりなので、もうミスティを知らない者はいないだろうし、今更何かを言って来る者もいない。

 竜に対する気持ちはともかく、バロッキー家の王家をもしのぐ財力を政治利用することに反対する者は少ないのだ。

 皆、利用価値の少ない末のわがまま姫の使い所を、竜の花嫁としたのはかなか気が利いていると噂している。

 私とミスティとの仲を裂くようなことになれば、自分の取り分が減るだけだと、ここにいる誰もがよく理解している。程よい誤解が今の私の状況を安楽なものにしていた。


 会場を見渡せばオリバーと取り巻きの集団が見えた。勇み立った格好をして獲物の話をしているようだ。

 ミスティは天幕近くにいるから、オリバーの取り巻きから絡まれることもない。

 オリバーは少しやつれた顔をしている。妹のフローラとは完全に連絡の取れない状態になっているはずだし、それが効いているのだろうか。


 (ああ、オリバーは今日も狩りにしてはおかしな格好をしているのね……ああいうの、ミスティも目敏めざとく見つけて指摘するから、いつも笑い出しそうになるのよね)


 オリバーに対して意地の悪い感想が浮かんでくるが、こんな下世話な話、ミスティ以外に話せない。

 

(大人数での狩りだというのに、あんな地味な色の服を着てきて……ああ、どうしよう、なぜ毛皮のコートを着ているの? あれではクマと間違えられて撃たれてしまうわ。 猟犬に噛まれてしまうかも……)


 笑いを噛み殺してミスティの姿を探すが見当たらない。近くに居るような気がするから今は放っておこう。何か描くモチーフを探してくると言っていたし。


 皆がそれぞれに狩りに出かける準備をしている。

 森の中で事故が起きないように、遠目にもわかるような明るい色の帽子や上着を着ていて、朗らかな気持ちになる。


 数名の騎士を野営の護衛に残して、狩りに出かける者たちは猟銃に火薬を詰めたり、連れてきた猟犬を鼓舞したりしている。

 暖色系の森の木々を背景に、人工的な色合いが点々としていて、馬の背の高さや、犬の躍動感……これを絵画にしたらさぞ美しいだろうなと、思わず見とれる。


 「クララベル、ぼーっとしてどうした?」


 後ろから声をかけられて驚いて振り返ると、よく見知った顔があった。しまった。逃げるタイミングを逃したようだ。


「お前は狩りについていかないのか?」

「あら、兄さまこそ、一人だけ狩りに来て、遊び歩いていると奥様に拗ねられるのではなくって?」


 兄と直接話すのも久しぶりだ。父に似た彫りの深い顔には、私と似た要素は探せない。似ているのはくせの強い髪質くらいなものだ。

 兄は私に母の面影を見るのか、ときどき目を細めて何とも言えない表情を見せる。いつからか、私はその表情が苦手になっていた。私が母に似た容姿で生きていることは、父や兄には辛いことなのだろう。

 

 兄は春に王子が生まれたばかりで、妻を城に置いてきている。

 兄が学生時代の学友であった男爵家の娘を次期国母に据えて、もうだいぶ経つ。王太子が男爵家から妻を娶るのはこの国では珍しいことだったが、庶民派を気取るなら賢い選択だったと思う。

 ――その実、普通に恋愛結婚だったと誰が思うだろうか。


 兄は、父を説得するだけの材料をそろえて妻を娶った。

 義姉は義姉で、首席で学校を卒業した他に、自ら指揮を執り、山がちな土地の治水事業を推進したりしていた。今では宰相職を兼ねているようなものだ。

 兄には次期国王としての自覚も実力もある。更に妻を得て、世継ぎも生まれた。次代のカヤロナ王家は盤石だろう。


(本当に、私がうっかり先に生まれないでよかったわ)


「クララベル、お前もそんなことを心配するのだな」

「兄さまの代になったら、狩りはもうお終いにしてもらいたいものだわ。待っているのはとても退屈なのよ」

「お前も一緒に狩りについて来ればいいではないか。昔は馬に乗せてやったら喜んだだろう」

「まぁ、兄さまったら、どれほど前のことを言っているの? 私もう十八よ」


 兄は驚いたような顔をした。


「あの小さなクララが育ったものだ。どうしてもドレスの柄にしたいのだと言ってつたを引き抜いて、かぶれたことがあったのを思い出すな」


 兄にとって私はまだ小さな子供に見えるのだろう。実際、私が幼稚なのは百も承知だ。


「いやだ、私、そんなことしたかしら?」


 つんと肩にかかる髪をはらい除ける。


「それでお前の王子様はどこへ? 馬は出さないのか?」

「ああ、ミスティならそこに。今日は絵を描くって言ってたわ」


 少し丘になったところにミスティがいる。どうやら良い場所を見つけたようだ。


「はて? どこにいる?」

「ほら、あの少し丘になっているところ」

「……そうか?」


 兄は目をすがめながら、丘の方を見ている。


「兄さま目が悪いの? お仕事のし過ぎではなくって?」


 そういえば目の下にうっすらと隈が見える。


「最近よく眠れてないのだ。ジークが夜泣きをするのでな」


 らしくなく、目の下をごしごしとこする兄は、まるで普通の父親のようだ。


「まぁ、兄さまったら赤子の面倒もみられるのね。驚いたわ。子守ができれば、バロッキーの屋敷でも生活できるわよ」


 子育てに慌てる兄を想像すると、なんだか母が亡くなる前のことが思い出されて、笑えてしまう。


「バロッキー家か……クララ、お前はバロッキーとの結婚でよかったのか? カヤロナの名が残るうちは、城の外に自由に出ることも叶わない。私は、お前はもっと自由に……この国から出るものだとばかり思っていたのだ」


 兄はしばらく見なかったような顔をしている。

 母がいたころには見慣れていた、王太子ではなく兄レニアスとしての顔だった。

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