隠し事

「挨拶をしたら、結婚を控えた恋人達を装っていましょう。べたべたといちゃついて見せていれば、みんな気味悪がって寄り付かないわ」


 私は狩猟の会の計画ともいえない計画をミスティに聞かせる。


「誰も寄り付かないほどのいちゃつきってなんだよ。クララベル、おまえ、時々びっくりするほどふしだらなことを言うよな」


 ミスティはそう言って眉をひそめる。

 いつもいかがわしいほどの密着を演じるミスティに言われたくはない。


 ここの所、いくら婚約者だからといっても、ミスティのからかい方はいささか度が過ぎている。


 ――そうだった。そういえばミスティと私は喧嘩中だったのだ。


「ふんっ、できれば、口の中が切れないようなキスにしてもらいたいものね。前のアレね、少し唇が切れていたのよ。レトに説明するのがどれだけ大変だったと思っているの?」

「唇が切れるほど激しいキスをしてきましたって、正直に言えばいいだろ?」

「そんなことレトに言ってごらんなさい? 刻まれるのはミスティの方よ」


 ミスティはレトの訓練を思い出して、悪い物を食べてしまったような顔をする。


 刻まれるまではいかなかったが、あの日、一日中調査で市中を走り回って来たレトは、疲れた様子もなく「約束通りに」と言ってミスティを訓練所に連れて行った。

 調査で何があったのか、思い立ったように二階から落ちたらどう立ち回ればよいかの訓練が始まったそうだ。やぐらから垂らされた綱を頼りに下まで落ちる練習を延々とさせられたらしい。

 何度も高い所から跳ばされたミスティは、バロッキーの屋敷に帰る頃にはボロボロだったと、こっそり訓練の様子を見に行かせた女官が報告してきた。

 画家のミスティに、なんてことをさせるのだろう。時々、レトは私の理解の範疇を越えたことをする。

 

 ミスティだって十分悪かったが、私の平手打ちに、レトの意味の分からない訓練――ミスティが私の個人的なお願いなんかききたくないのも、仕方がないのかもしれない。私の語調は急速に勢いを失った。


「今回は、絶対にミスティが同行しなければならないってわけじゃないの。私が、ミスティがいてくれたらいいなって思っただけ――別に本当に嫌ならいいの……」


 語尾がどんどん萎れていく。喧嘩なんて、しなければよかった。


「いや、行くし」

「え、いいの?」

「だって、兄弟姉妹が来るって、クララベルを狙った奴がいるかもしれないって事だろ?」


 声を潜めたミスティは、窓の反射で周りに人がいないかを確かめながら私に囁く。


「……そうだけど。ミスティは行きたくないんでしょ?」

「まぁ、それはそれ。そういう事情ならレトさんから同行を頼まれることになるだろうし。レトさんが狩りに同行するなら、その間はお前の護衛はできないもんな。まぁ、あれからずいぶん経つから、危険なことはないだろうけどさ」

「そう、そうよね。よかった。ありがとう、お願いね」


 ひとまず、ミスティに同行を了承してもらって、ほっとする。

 

(一つ面倒があるとすれば、オリバーとその取り巻きが参加することかしら)


 若者が狩りに参加すると場が盛り上がるので、近隣の貴族の子息たちも招待状が送られる。オリバーは毎年参加しているし、きっと今年も来るだろう。

 フローラはあれ以来、実家とはほとんど連絡も取れないようになっている。今後、国の機密も取り扱う立場になるので、必要なことだった。

 兄から解放されて、アイリーンと安楽に暮らしているフローラに安心していたが、その後オリバーがどうなったのかまでは私にはわからない。サンドライン卿に任せてしまったので、改めて問いただす事もできない。


「――俺に何か隠していることがあるだろ?」


 少し考え事をしていたのがばれたのか、ミスティが片肘をついて私を下からのぞき込む。


「ああ、そのことだったら、もう解決したからいいのよ」

「そのことってなんだよ」


 ミスティは心配してくれているのだろう。感覚の鋭い竜のことだ。あの日、私室に誰かが来ていたことくらいわかっているはずだ。


「誰かに相談したいのはやまやまだったんだけど、黙ってるって約束しちゃったから……」


 隠し事がないとミスティに言えなかった。私はそれほど強くない。言える時が来たら、これまでの苦労の愚痴を言って聞かせよう。


 誰かの悪口を一緒になって言えるのは、ミスティくらいなものだ。

 特にオリバーの不手際については語って聞かせればミスティだって思う所があるだろう。

 人の悪口を言うのはもちろん褒められたことではないけれど、貴族同士の利害が無いので、ミスティには今まで誰にも言ったことのないような話をしてしまう。

 ミスティが去ったら、愚痴を言う先がなくなるという点だけは、本当に寂しく思うだろう。


「ふぅん?」

「問題は私の手を離れたから大丈夫よ。今はもう、ミスティの意地の悪さのほうが厄介なくらい」

「いつも厄介ごとを持ち込むのはそっちだろ? 狩りってなんだよ、俺は絵描きだぞ」

「仕事だと思って我慢して。何でもお礼をするわ」


 それを聞いて、ミスティは眉を顰める。


「あのさ、何を要求されるかわからないのに、王女がそういうことを軽々しく口にするなよ。サリに言ったら相当なものを要求されるぞ。まぁ、今回はいちゃつくのが俺の仕事らしいしなぁ。楽なもんだよ」


 わざとらしい口調で私の肩を引き寄せる。

 もう喧嘩はお終いにしてやってもいいということだろうか。私も何に腹が立っていたのか、分からなくなってきたところだ。


「……もうそれでいいわ。協力して狩猟の会を乗り越えましょう」


 肘でミスティを押して隙間を作ろうとするのに、肩に回した手はゆるまない。


「それじゃ、協力して乗り越える為に、恋人らしく振舞う練習をしなくてはなりませんね、姫」

「いまさら、そんな必要ないでしょ」


 せっかくこれまでの事を水に流す気になったのに、ミスティの悪ふざけがまた始まったようだ。


「唇の切れないキスだろ? まかせとけ」

「ふざけてるの?」


 肩だけではなくて、頭にも手を回されぎゅっと引き寄せられて、悲鳴をあげそうになる。


「練習しとけって。嫌いなやつにキスされるとなったら、思わず体が拒否しちゃうかもしれないもんな」

「そんなへましないわ」

「どうだかなぁ?」


 ミスティは極力真面目な顔を作ろうとしているが、今にも吹き出しそうなのがわかる。


「キスに慣れていない姫様に、女性との出会いの無いバロッキーの俺だもんな。嘘くさいキスをしていて、仲が悪いとバレたら大変だ」

「慣れてなくたって、公務だと思えばこなせるわ」


 何か気がついたのかミスティが少し険しい顔をする。誰かが近づいてくるのを聞いたのかもしれない。ミスティの聴覚は人のそれとは違う。


「ベル、ちょっと黙って――」


 ミスティは余所行きの顔を作って、私の頬を両手で挟んだ。

 水色の目が近づいて来るから、目を皿のようにして虹彩を観察していたのに、豊かな睫毛が伏せられて、水色の瞳が見えなくなってしまう。

 残念に思っていると、優しく啄ばむようなキスが始まった。撫でられるようなキスは、犬や猫に舐められた時に似たくすぐったさがある。

 ミスティの意地悪な所は嫌いだが、触れられるのはなんでもない。

 うっとりするような心地よさが無いわけでもないし。私も自然と目を閉じてミスティに身を任せる。抱き抱えられて、体温を分け合うのは心地よい。


「ほらね、全然不自然じゃないでしょ?」


 片目を開けてみれば、よそゆきの微笑みを浮かべるミスティが見えた。これなら、ぎこちないキスをして、誰かに偽装だとバレる事もないはずだ。


 ――カラン。


 背後で何かが落ちる音がして慌てて振り返ると、お茶の様子を見に来たのだろう、年若いメイドが木製のお盆を慌てて拾っているところだった。


「申し訳ございませんでした。えっと、あの、お茶! お茶を持ってまいりますけれど、ど、ど、まだもうしばらくかかります。ええ、かかる予定ですので、ごごごごゆっくりと……」


(……ごゆっくりと、なんなのかしら)


 ぺこりと一礼して、メイドは顔を真っ赤にして小走りで去っていく。


「人が近づけないようない雰囲気っていうのなら、これで成功かな?」

「人が来るのが分かってやったのね。あの子可哀そうなくらいに動揺していたわ。悪質よ!」

「だってほら、姫様はお礼をしてくれるって言うし」

「何よ、変なことしないでよ」


 言い争っていると、今度はレトが盛大に眉をしかめながら、ドスドスと大股でやってきた。

 

「やべっ……」


 ミスティは私の頬を挟んでいた両手をぱっと空中にあげて、私から身を離した。


「ミスティさん! 公共の場でなにをなさっているのですか」

「ははは……クララベルが愚かだから、つい……」

「なっ、愚かってなによ!」


「姫様も、もう少し警戒心をお持ちください! 目の前の竜が自制心の無い獣なのをお忘れにならないように!」


 酷い言いようだが、この状態のレトに何か意見できるとは思えない。私はかしこまって首を縦に振る。


「ええ、そうね。それは全くその通りだわ。でも、心配ないわよレト、こんな駄竜のキス、犬に舐められたようなものよ」

「……キ……?」


 レトはミスティの悪ふざけの内容を知って、キッとミスティを見る。


「あ、馬鹿……」

「お二人は、ここで……何を、なさって、いらっしゃったんですか?」


 レトの目が吊り上がる。


「ちが、違うのよ! 今度のは怪我してないもの……」

「……今度の……?」


 レトは目を見開く。しまった、つい口が滑った。


「ああ、もう、状況をややこしくするなって!」


 ミスティが慌てて私の口を手で塞ぐが、既にレトは仁王立ちで教育的指導を始める顔をしていた。 


 私たちはそれからレトに刺々しい説教をもらい、ミスティはレトに訓練場に連れ出されたのだった。

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