姫と妹

「……兄さま?」

「お前はアイリーンにサルべリア行きを譲ったのだろう? アイリーンは昔からハッサン王子と懇意にしていたし、お前はアイリーンの望む縁談を受けたくなかった。違うか? それに対しての父上の要求は国の利になるとはいえ、いささか過酷すぎる。バロッキーでなくとも、また別の国か、国内の諸侯に嫁ぐことだってできたはずだ。お前は……父上に命じられて、嫌々あのバロッキーの者と恋仲を演じているのではないか?」


 兄とて、やがて国を治める者、木偶の坊ではないのだろう。私が父との間で秘密裏に交わした約束を嗅ぎつけている。


 父は、兄と義姉が恋仲だという理由で結婚を許した。それに対して、私には王女の義務として父の決めた結婚に従うことを求めた。

 兄は、そこを少し気にしているのかもしれない。


 別に兄にミスティとの結婚が望まぬものであったと知られてもかまわない。本来、王家の結婚とはそのようなものだ。

 ただ、兄は兄で、自分の好きな女性と結婚までこぎつけた。自分に許されたことが、妹の私にも許されるようにと望むのは為政者にしては夢見がちだと思う。


「兄さま、例えば兄さまと義姉上との結婚がこれっぽっちも国のためではなくて、私欲によるものだったとして、それを大声で国民に宣うようなこをとなさる? 国の利益を無視して愛に溺れて結婚をしたと、国民に大声でおっしゃることができる?」


 私とミスティが愛ゆえに結婚すると兄が誤解してくれていた方が都合がいい。私は兄を煙に巻くことにした。


「私たちはすっかり恋に溺れた婚約なわけだけど、私達の結婚についていろいろな憶測が飛ぶのはいいことだと思うの。少しは嫌々結婚するのだという想像を残しておいた方が国民は納得するのではなくって? 兄さまだって、妻を溺愛しすぎて国営を誤る暗君などと噂されないように、少しは義姉おねえさまと結婚したことで利を得たような噂でも流しておくべきじゃない?」


 兄は私を兄として心配しているのかもしれないが、私はずっと前から妹としてではなく、この国の王女として在ることを優先している。子どもの時にそう決めたのだ。

 私は噂される高慢で我儘な印象通りに、権力を笠に着て王女という役を務めることに不満はない。


「クララベル……」


 兄が何か言いかけた時に、背中に見知った気配が張り付き肩を抱かれる。

 近くまで来ていたのは分かっていたが、おどかすような動きにびっくりする。


「クララベル様、私が絵を描いているのを見に来てくれる約束ではなかったのですか?」


 ミスティは私と兄が話しているのが分かっていて、間に割って入る。


「これは、レニアス様、ご無沙汰しております。お邪魔致しましたか?」


 ミスティは臣下の礼の姿勢をとり、恭しく腰を折るが、本来は私に話しかける前に兄に挨拶するのが礼儀だ。

 ミスティの王族に対して慇懃無礼なところはなかなか直らない。王位をかすめ取った分家に下げる頭などないと思っているのかもしれない。


「いや、未来の義理の弟から挨拶いただけるなんて光栄だよ」


 兄も取り繕って、にこやかな笑みを浮かべる。


「私などをそのように言っていただけるとは、光栄です」


 とにもかくにも、これはこの場から離れる好機を得た。なんてタイミングがいい時に来てくれたのかしら、とミスティの腕に手を絡めて抱きかかえ、ニコニコとミスティを見上げる。


「……ミスティ、絵を見せてくれるのではないの?」


 私の意図を組んだらしく、ミスティはキラキラとした笑みを私に向ける。いつもの憎たらしさはかけらも見当たらない。


(――いつもこうだったらいいのに)


 こういう顔は、外でしか見せない。演技の要らない場所でも、十分の一でもいいから穏やかにしたらいいのに。


「私の姫がそう望むなら。……姫様も何か描かれますか?」

「そうね、ミスティほどではないけれど、私だってそこそこ描けるのよ」

「存じておりますよ。子どもの落書きのように愛らしい絵を描くのですよね」


 冗談か本音かわからない。

 しかし、そういう言葉が出るということは、少しでも私の絵について稚拙だと思ったことがある証拠だ。

 そう思うと、眉間にしわが寄る。


「まぁ、失礼ね! いいわ、どちらが上手いか後で皆に見てもらいましょう。私、良いモチーフを見つけたのよ。ミスティ行くわよ! 兄さま、それでは失礼いたします。狩りの成果を期待しておりますわ!」


 私は略式の礼をして、ミスティの手を引き兄から距離を取る。




「本当にいい所に来たわね。兄様と出くわさないようにしていたのに油断してたわ。ミスティ、少し兄様の前で仲のいい様子を見せつけておくのよ」

「……まあ、いいけど」


 ミスティは私の腰に手を回してぎゅっと引き寄せる。慣れたものだ。


「ほら、額にキスとかなさい! 得意でしょ!」


 私が急かすと、げんなりとした表情になる。


「なんだそれ、色気のないお誘いだな」

「冗談じゃないわ、誘ってないわよ! 兄さまに疑われないように、もっとにこやかになさい!」

「お前だって、そんな木の棒でも見るような表情じゃ、偽装だとバレるんじゃ無いのか?」

「そんな表情ってどんな表情よ?!」

「大好きな婚約者が近くにいるんだから、頬を赤らめるとか、目を潤ませるとか、そういう演技が必要なんじゃないの?」

「私のことを抓ったり齧ったりするような相手にどんな表情をしろっていうの? 難しい注文を付けないで」

「あー、そうだな」


 ポリポリと頬を掻いて、悪だくみを思いついた顔をすると、私の耳の近くに唇を寄せる。こそばゆくて目を細める。


「姫様、今日はあの下着の中からどの下着を選んで身に付けていらっしゃるのですか? 割と過激なのもあってドン引き……いや、少々びっくりしましたし、婚約者としても大変興味があるのですが」


 上手に作り上げた天使の様な微笑みを浮かべて、最悪に下衆なことを言い始めたミスティに、私は絶句した。


「……!」

「そうそう、頬を染めて、初々しい感じでいいね!」


 ミスティはそう言うと、私の鼻先にチュッと音を立ててキスをした。


「ねえ、あの、黒いやつ?」


 ニヤニヤと笑う。


「なんでわかるのよ!」


 私はふざけているのだと装って、ミスティの胸を渾身の力でドンと叩いた。


「あ、レニアス様こっち見てるぜ」


 兄の様子を見せる為か、私を抱き上げてくるくると回る。


 よくもこんな馬鹿な恋人同士がやるような行動を知ってるなと感心してしまう。

 サリにでも教え込まれているのだろうか。何を参考にしているのかは考えたくない。


「兄さま、なんだか変な顔してるわね」


 吊り上げられたまま、小声で話を続ける。


「お前やけに軽いな……。オニイサマ『取り越し苦労だったか』って言ってるな」

「やだ、なんでわかるのよ、地獄耳ね」


 兄の変な勘繰りはかわしたようだ。恥をかいただけの効果があってよかった。


「もう降ろして! 下着の件は許さないわ」

「なんだよ、上から見ると時々見えるんだよ。俺のせいじゃないだろ」

「見えても言わないでしょ!」


 ようやくミスティの胸に降ろされて、しがみつく。


「痛っ……ベル……、やったな……」


 固まった作られた笑顔の端がゆがんでいる。


「ふ、ふふふ……あら、どうしたの? 笑顔が引きつってるわよ」


 私は演技など要らないほど腹の底から笑った。

 

 服の上から腹を噛んでやったわ! 

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