サンドライン卿
アイリーンと一緒にサルべリア国へ同伴する者たちのリストにフローラを押し込むのは簡単だった。他に行きたがる者が本当にいなかったからだ。
サルべリア国は豊かな国だが、少し生活習慣が異なる。アイリーンの友人たちは年齢的に自らの婚姻が決まりつつある年齢でもあるし、身内の誰もいない外国へ行きたがる者はほとんどいない。
とはいってもとりわけアイリーンがサルべりアに行くことが奇異に映ることもない。政治的な意味では、王家と血縁のないサンドライン伯爵家の王家への献身として理解されることだろう。
ほのめかした日時と違わず、オリバーがいない日を狙ってサンドライン家に城から打診が行き、すぐさまフローラが城にあがることにが決まった。
前触れもなく城へ召喚されたにもかかわらず、フローラの荷物がすっかり出来上がっていたことをサンドライン卿はどう思っただろうか。
フローラは王から直々に同行を命じられた後、サルべリアの文化や習慣についてを学ぶ名目で城に滞在し、今はアイリーンと生活を共にしている。
本人が内密に城に上がりたいという理由を考えるのは多少苦労したが、労せずフローラは城に上がる運びとなった。同行の準備が始まってからは、外交の問題が絡んでくるので、家族といえども簡単には面会は許されない。
そんな中、フローラの父、サンドライン卿が私に面会を求めてやってきた。
「ご無沙汰しております」
サンドライン卿はがっしりとした体をかがめて、私に礼の姿勢をとる。
「ごきげんよう」
サンドライン家にある彫刻が気になって何度か足を運ぶことがあったが、二年前の茶会以降はオリバーがあまり近づいてこなくなったこともあり、疎遠になっていた。
「この度は、娘をアイリーン様の一行に加えていただいて、ありがとうございました」
首を垂れたまま、常にないほどに恐縮してサンドライン卿は私に礼を述べる。
子どものころから知っているサンドライン卿は、洗練された趣味人ではないが、野暮ったいなりに若い芸術家を援助したり、流行りのものを取り入れたりすることに熱心な人だ。
カヤロナの産業は美術品や工芸品に大きく偏っているので、領主としてそのように振舞っているのだろうが、本来は、体を鍛えたり野山を駆けたりするほうが得意なのだろう。
娘のために頭を下げるサンドライン卿は昔の印象より一回り小さく感じられた。
「アイリーンが一人きりで外国で過ごすのでは寂しいだろうと思っただけよ。娘を他国にやることにしてしまってお気の毒だけれど、国の為と許してね」
傲慢に告げると、サンドライン卿はゆるゆると体を起こす。
「……姫様」
「なぁに?」
うっすらと目元を赤くして、張り付けたような太い眉を震わせている。
「娘を……アイリーンを助けてくださったのですな……娘に面会して事情を聞きました。愚息のおかしな様子も――」
サンドライン卿は、言葉が終わる前に汗をぬぐうように片手で顔を上から下へ撫で下ろした。
オリバーの悪行はサンドライン卿の知るところとなったのだ。
それは良かった、と胸をなでおろす。フローラの運命を一人で抱えているのは重かった。
まっとうに跡継ぎを育ててきたつもりのサンドライン卿には酷な話だったに違いないが、それでもフローラの苦悩がちゃんと伝わったのなら少しは希望が持てる。
「さあ、何のことやら。 オリバーの服装の乱れはちょっと見過ごせないくらいだから、どうにかした方がいいとおもうけど?」
私からフローラとの約束を
「いえ、私と妻の不徳の致すところです。我が一族は、すんでのところで首の皮がつながりました」
サンドライン卿は
私がこの彫刻家を取り上げてから、既存の作品もかなりの値が付くようになった。この彫刻は、私が見初めた時とは大きく価値が変わってしまった。
「まぁ、おおげさね。私、いただける物は何でもいただいておく主義よ」
にんまりと笑うと、サンドライン卿は目尻にしわを寄せる。
「姫様がご自分で価値を見出した彫刻です。これは姫様がお持ちになるのがふさわしい」
「そう。大切にするわ」
私がこれをもらって、いくらかサンドライン卿の心の憂いが軽くなるのなら、賄賂だって悪くない。
「オリバーが我々に見せる姿と、娘の訴える事に隔たりがありすぎて、容易には納得できませんでした。 しかし、フローラの傷を見ました。あんなことになっていたなんて……危うく、一族から自死を選ぶ娘を出してしまうところでした。姫様、私にはオリバーが分かりません。オリバーは――息子は、私が見るようには見ず、考えるようには考えないようなのです」
途方に暮れたような顔するサンドライン卿には気の毒なことだとは思う。
サンドライン卿に状況が伝わったのはいいことだが、オリバーに対する処遇で中途半端なことになっていれば余計にフローラを危険にさらすことになるかもしれない。
誤魔化したまま終えようと思っていたが、私は我儘姫を引っ込めて、サンドライン卿に椅子をすすめた。本当なら私がここまで深入りしてはいけない事だ。
(――ああ、サリだったらもっとうまく立ち回れたかしら)
友人と呼んでもいいと思っているサリを思い浮かべる。
「オリバーは、あなた方に悪行が知れたことを気がついているの?」
もう、とぼけるのはやめて、状況を確認することにする。 不本意だけれど、一連のことに関与してしまったのだ。このために父の権力まで使ってしまった。
「いえ、オリバーはどのようにして娘がアイリーン様のお付きに決まったのか察しておりません。そうと知れば、おかしな真似を犯さないとも限りませんので伏せてあります。妻は状況を受け止めきれずに遠方にある実家に帰っておりますから、まずオリバーとは会いますまい」
「そう、なら、ひとまず安心ね」
「姫様……このようなことをお願いするのは心苦しいのですが、娘が国の外に出るまで、もうしばらくオリバーの処遇をお待ちいただけないでしょうか。誓って甘い処分には致しません。しかし、娘が無事に国を出るのを見届けるまでは……」
「そうね、こちらのことはまだオリバーに気が付かれないほうがいいわ。酷く執着しているようだし。近づけるのは危険だわ。オリバーをどうこうするのはサンドライン卿に任せましょう。フローラの立場が悪くならないように内々に行って頂戴」
フローラをオリバーから離して丸く収まるのならいいが、これからどうなるのかは、もう誰にも分らない。
「オリバーを公に罰しない私をお裁きになりますか? オリバーには後継者としての教育を過不足なく与えてきたつもりです。妹と離れていくらかまともになるようなら、領主としての器かどうか見定めたいのです。私を断罪するのでありましたら、もうしばらく猶予をいただければと……」
悪い性癖と領主としての技量、国の為にどちらを優先させたらいいのか私にはわからない。
サンドライン卿は理にかなった事をするのが好きな御仁だ。領地を治めるに足る技能と人格が釣り合うのか、親としての気持ちを切り離して考えるのは難しいだろう。
しかし、たとえたった一人の息子であろうとも私情に任せて見極目を誤ることはないだろうと、その目が告げている。
「私、事を荒立てるつもりはないの。サンドライン領が安泰で、オリバーによって苦しめられる者がいないのならなんだってかまわない。サンドライン卿が後見していただけるのなら話が早いわ。私、そもそも、あの兄妹にあまり興味がないの。これっきりにしてね」
私は興味を失ったような顔をして、元の我儘姫に戻る。
オリバーには悪いが、私は弱いものに威張り散らしているバカ息子よりは、堅実に領地を治めているサンドライン卿の味方だ。
「フローラは私の妹が貰うわ。なかなか良い話し相手みたいだし、仲良くやっているみたいよ」
これは本当だ。仕組まれた同行ではあったが、二人はすぐに打ち解けた。異国の地で生活するのにお互いを必要としているようにも見える。
「フローラも喜んでおります。 先ほど会いに行きましたが、しばらくぶりに娘のあのように明るい顔を見ました」
「なら結構」
そして私の手元には彫刻が残った。
(本当にこの彫刻を貰ってしまっていいのかしら。サンドライン卿の保管が酷くて何度か忠告しようと思っていたところだったのだけれど、手間が省けたわね)
肩の荷が降りた事もあり、私は彫刻の美しさにしばしほおを緩めた。
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