フローラ・サンドラインの秘密

「クララベル様、少しご相談させていただきたいことがあるのですが……」


 面会の約束もなく私の部屋に入ってきたのは、オリバー・サンドラインの妹、フローラだった。

 昨日はオリバーと一緒に参加していたようだったが、オリバーは別の場所で酒を飲むらしく、取り巻き達を連れてどこかへ行った。おおかた娼館にでも繰り出したのだろう。

 紅玉祭は夜遅くまで続く為、子ども連れや遠方から来ている者は城の客室に滞在する。サンドライン家にはまだ幼い弟もいるので、フローラは一緒に城に残ったようだ。


「どうかした?」

 

 フローラはひどく思いつめた顔をしている。

 茶会などで顔を合わせていたはずだが、この娘はこんなにやつれた顔をしていただろうか。

 二年前の茶会以降、なんとなく距離ができて、サンドライン家に行くこともなかったので、挨拶される以外で個人的な話をしたことはなかった。フローラの豊かな量のブルネットが萎れて見える。


「申し訳ありません。クララベル様に部屋に来るように言われたと偽ってまいりました。その……クララベル様にお願いがございまして」

「待って。とにかく、中へ入って」


 小声で口早に話を始めたフローラを押しとどめて、部屋に招き入れる。

 レトの代わりに扉の前に立つ護衛には、呼ぶまでは部屋に近づかないように伝えた。

 サンドライン伯爵家の娘となれば、私の部屋に来たとしても怪しがられることもない。しかし、私を訪ねてきて頼み事なんて、どうしたのだろう。


 フローラはアイリーンの学友でもある。

 だからといって、二人が特別仲が良いという話も聞いたこともないし、誰かと敵対関係にあるという話もない。穏やかで、主張のないおとなしい印象の娘だ。


「誰にも……これから申し上げる事を、お話しにならないでいただけませんでしょうか? おそらく、私がお願いできる最初で最後の機会なのです」

「話すも話さないも、聞いてみないとわからないわ」

「ごもっともでございます……」


 フローラは勧めるままにソファに腰かけたが、落ち着かない様子で始終きょろきょろとしている。


「これからアイリーン様の供を選ばれるのだとか……」

「ええ、そうね」


 アイリーンとサルベリアのハッサン王子との婚姻は、来春の予定だ。カヤロナ国からは数名の女官が一緒にサルベリア国に付いていくことになる。

 アイリーンは王の血を引く王女ではあるが、カヤロナ王家の直系とはみなされない。いろいろな事情を考えて、少ない女官だけで輿入れすることが決まっていた。


「クララベル様……私をアイリーン様のお供の一人に加えていただけないでしょうか?」

 

 私の目を見て訴えるフローラの瞳には、悲哀と懇願があった。


「アイリーンの供にということは、サルべリア国へ行くのよ。分かって言っているのよね? 女官と違って、学友として付いていく者には結婚も帰国も保証がないわ。一緒に行く女官も、夫に先立たれて独り身の者や、娘と一緒に行くという者だけよ。親元の近いカヤロナで嫁いだ方が過ごしやすいのではない?」


 アイリーンは、留学目的の者がいれば同行を許すかもしれないが、自分の友人に同行を頼むようなことはしないだろう。そもそも、フローラがサルべりアに興味があると言う話は聞いたことがない。

 私を騙して何かを企むにしても、わざわざ親元から離れて外国へやってくれなどと頼みに来るだろうか。私にはフローラが何のためにここに来たのかさっぱり見当がつかない。


「存じております。でも、私、サルべリアに行きたいのです。私を国の外へ――ここから出してください」


 国の外へという言葉に、脳裏にミスティが浮かび、言葉が詰まる。


「国の、外に? どうしてかしら?」


 涙を流さない泣き顔で、口の端だけあげて微笑むフローラは、今にも死んでしまいそうな悲壮感がある。


「私は、この国に居ても、もう嫁ぎ先など無いのです……」


 喉に舌が張り付いたような声でフローラは語りだす。


「どういうこと?」

「私が家の外に出ることを阻む者がおります」


 私は、たびたび訪れる機会のあったサンドライン伯爵家の住人の姿を思い浮かべる。

 サンドライン卿は計算高く狡猾ではあるが、人民を治めるに足る人物だ。夫人も優し気な気質であるし、オリバーだって少し変わっていて頭が固いが、問題があるようには見えない。


(まぁ、一度ひどくやり込めたことはあったけれど……)


 二年前の茶会のことを思い出す。

 それ以来、オリバーからしつこくされた記憶はないので、最近のオリバーの顔はぼんやりとしか浮かんでこない。


「いったい誰が?」

 

 フローラは、顔を青くして、その名を口にするのを恐れるようなそぶりを見せる。


「わかったわ。 このことは口外しないと誓うわ。もちろん、レトにも、ミスティにも」


 それからまた少し沈黙があり、細い細い声で、絞り出すように名を告げる。


「……兄のオリバーでございます」

「ええ?!」


 それきり黙ってしまったフローラをソファに座らせ、お茶を勧める。

 勧められて震える手でカップを手に持ったはいいが、そこから口をつける様子もない。

 固く閉じた唇を無理やり開けるように、ぽつりぽつりとフローラは話し始めた。


「兄は、その、自分勝手な性格で……母に、すごく、甘やかされて育ちました。兄は自分が特別優れていると思い込んでいるのです。育ちのせいか、それとも元来の性質がそうなのか、ひどく横暴で、私を自分の所有物のように扱います」


 フローラは私の知らないオリバーを語る。


「何度か、私に縁談の話がきたのですが、それにひどく腹を立てて――断らないと、私を折檻せっかんするのです……」


 そこでフローラは少し身を震わせた。

 たしかにオリバーは傲慢なところがある。しかし、実の妹にそのようなひどい真似をするだろうか。家族なのだし、普通の兄は妹に来た縁談を喜ぶものなのではないのだろうか。


 そこで私はすっかり自分を棚上げしていることに気がついた。


(私がなんていうのはおかしいわよね。他の兄弟姉妹から命を狙われたり、契約結婚をしようとしているような私が、普通について意見するのも変な話だわ)


にわかには信じがたい話ね。あなた達、その、すごく仲が良さそうに見えたから」


 私はフローラとオリバーの関係を推し量ることができない。実の兄とはよそよそしい関係だし、フローラ以外の母の違うきょうだいはどちらかと言えば敵だ。

 私とフローラは血の繋がりは薄いけれど、仲が良い。顔を合わせることも少ないが、あの子の為にはなんだってしてあげたいと思う。姉妹だからかと問われれば、よくわからない。

 きっと血がどうのではなくて、私がフローラのことが好きなだけ。


 まぁ、実の兄ですら兄弟という感じとは遠いのだから、どこの貴族の家にもそういった仲違いは起きるのかもしれない。


 しかし、社交の場でオリバーは妹を気遣っているように見えたし、その慈愛に満ちたまなざしにはまぎれもなく兄としての愛情があるのだと思っていた。

 少し服装は変わっているけど、それ以外は普通に青春を拗らせた若者だ。


「そう……見えるのだと思います。外では優しい兄の顔をしています。私をむち打つ兄が幻だったらいいのにと思うくらい……」


 フローラの顔にあきらめのようなものが浮かぶ。


「鞭? あのオリバーが、そんな……」


 あまりのことに眩暈めまいがする。


「最近では、私が結婚を望めば、嫁に行けないような傷をつけると脅します……」


 フローラはきつく口を結んで、服のボタンを外し、コルセットを緩める。

 そこから白い肌に幾筋もついた赤い痣が見えて、私は息が詰まった。 赤く新しいものばかりではない、緑がかった褐色の古い跡もある。


「両親でさえ、兄のことは少し変わった服装をする我が儘な息子としか思っておりません。兄は、鞭だけでなく、隙があれば、おかしなことをしようとしてきて――私、そんなことをされていると、両親にもいえなくて……」


 貴族の娘が、兄にどのように扱われているか、両親が知ったところで公表するわけにいかない。

 内容によっては一生、兄に慰み者にされて家に囲い置かれるだろう。


「こんな……」


 酷いわと続けようとしたとき、外で物音がして誰かが扉を叩く。

 外から護衛の兵がミスティが来ていることを告げる。


「姫様、こちらにいらっしゃいますか?」


 昨日、険悪なまま別れたのに、きれいに取り繕った声で私を呼んでいる。


「ミスティ?」


 フローラを見れば青い顔をしている。

 誰にも言わない約束だ。 フローラを隠さなければ。


「ごめんなさい、整えて……」


 フローラの痛々しい傷を深く心に刻んで、フローラが服を整えるのを手伝う。


(私にはわからないことばかり――誰の心も、私のことすら)


 すっかり身支度を整えさせても、私の目に焼き付いた赤い傷跡は消えそうになかった。

 扉から見えないように奥の衝立のあるソファのほうにフローラを導く。衝立でフローラの姿を隠してから、自ら扉を開く。

 フローラにはミスティにも言わないと言ったばかりだ。

 ミスティを追い払わなければ。

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