【俺の婚約者の近衛騎士は俺を鍛えたい】

 紅玉祭の次の日、俺はレトさんに呼ばれて、クララベルの護衛をするように頼まれた。レトさんは、昨日の花火について調べに行くようだ。


 レトさんは機動力があるので、一人で活動する仕事を割り振られることが多い。過去には他国に侵入して恋敵の情報を探るような馬鹿なことも命じられた。

 初めのうちはレトさん一人だけで出かけていくのを心配していたが、レトさんに格闘技や剣技を習うようになってからは考えを改めた。

 ――レトさんは常軌を逸している。


「レトさん。昨日、俺たち少し喧嘩しちゃってて……今日は会いに行っても、クララベルが部屋に入れてくれるかどうかわからないんですけど」


 俺が詳細をぼかして伝えると、レトさんは心底あきれたような顔をした。


「ミスティさん、姫様の尻の肉を抓んだそうじゃありませんか。嘆かわしい」


 レトさんは腕を組んで非難するように俺を見る。周りに人がいないので言葉も荒い。

 身長は追い越したが、今も全然勝てない。レトさんは優しそうな見た目に反して、人を痛めつけるのに躊躇が無いのだ。


「――あいつ、言いつけたな」


 小さい声で言ったのに、レトさんに睨まれる。


「いつもいつも、ふざけ過ぎです。ミスティさんのやっていることは、好きな子に意地悪する悪童と変わりません。恥を知りなさい」

「跡がつくほどは抓ってないですし。それに、あいつ、何やってもすぐ過剰に反応するから……」


 にこにこと笑ってごまかそうとしたが、レトさんには通用しなかった。

 レトさんもすごくいい笑みを作る。普段あまり表情筋が動かないので、凄く怖い。


「ミスティさんは運動が足りないようですね。私が帰って来たら少し訓練場までいらしてください。少し稽古をつけて差し上げましょう。イライラする時ほど運動すると良いのですよ」

 

 レトさんは、背が高くほっそりしているが、剛力で、瞬発力もある。普通じゃないくらい足も速い。目も耳もいい。それがたった一人でクララベルの護衛を務められる理由だ。

 まぁ、クララベルがレトさん以外を受け付けないというのもあるのだが。

 騎士の中でも特に優秀なのだろう、誰かが対処しきれない問題が起きるとレトさんが呼ばれる。

 あれだけ屈強な騎士がいる中で、ただ一人レトさんが呼ばれるのだ。それだけでも特別な存在だと分かる。

 婚約が公表された際に、それまで絵しか描いたことがなかった俺を鍛えると、おかしなことを言い出したのもレトさんだった。

 俺はレトさんとの訓練で、脳筋という言葉が実在することを知った。

 

「いや、ほら、俺、今、描いてる絵があって……」


 今では毎日の訓練を自ら行うようになったが、レトさんと一緒の訓練となると、意味が違う。

 心肺機能がお化けなレトさんを標準とした内容だし、俺が無理だって言っても、やめていいって絶対に言ってくれない。やり切るまで終わらないのだ。


「それは一層運動不足になっていそうですね。だいたい、ミスティさんは手を庇って、脚力に頼りがちでいけません。筋肉は均等についてこそ――」


 これが始まると長いので、レトさんにはさっさと出かけてもらおう。


「わ、わかりました! レトさん、ほら、もう出かけた方がいいんじゃないですか? 俺、クララベルを見てきますから」

「ちゃんと仲直りしておいてくださいね」

「……努力はします」


(でも、今日は無理かな)

 

 昨日の今日で、クララベルの機嫌が直っているとは思えない。



 俺は、もう最近、本当にぐちゃぐちゃなのだ。

 サリに思春期だと揶揄やゆされても仕方がない。

 それはクララベルが単なる高慢ちきなお姫様ではないことに端を発する。

 

 顔を合わせた頃は箸にも棒にも引っかからないような、ひどい我儘な性格だと思っていた。それが自分の番だと思うと本当に腹が立った。しかも、俺のことが大嫌いだとか。

 見た目が完璧なのに、あんな態度はないだろうと、自分を説得しようと何度もした。


 それが、なんだ。


 クララベルは自分の我儘だという性質も広告として利用して、国の王女としての務めを健気に果たしている。

 

 思えば、二年前の茶会の時だってそうだった。俺の立場を守り、場を必要以上に混乱させなかった。

 昨日だってそうだ。自分が危うく怪我をしそうになって、怖ろしかっただろうに、尊大な姫としての振る舞いを忘れなかった。


 サリにやり込められたり、レトさんに叱られて泣いている所ばかりを見ているせいか、そうやって王女の仮面をかぶって場を収める姿には驚かされる。

 皆の求める我儘姫を演じながら、まっすぐに俺に縋ってきて、おびえた冷たい指先で必死に俺の手を掴むのを、可愛いと思わないはずがない。

 全部忘れたことにして、竜の血の勢いに任せて求愛してしまいそうになる。

 必死に俺の方に走ってきた姿は記録として絵に残しておこうと思う。これから何もかも失うのだと思うと、一瞬も無駄に出来ない。


 俺がいなくなった時に、クララベルは誰の手を取るのか――考えただけで吐き気がする。

 それでも、ダグラスを呼んだのは、ダグラスが真剣にクララベルのことを愛していると知っているからだ。

 知りたくもないのに、クララベルに関することなら、そんな些細なことでも気がついてしまう。


(――あれは相当、本気……だよな?)

 

 ダグラスという男、虫も殺さない善良で無害そうな顔をして、俺に対する敵意がすげェ。

 竜にばれないと思っているのだからめでたいが。

 クララベルが本当にダグラスの事を政治的なものとしてしか認識してないことも、ダグラスを選んだ一因かもしれない。

 愛のない結婚よりは、一方的にでも愛される保証がある結婚の方がいいに決まっている。




「姫様、こちらにいらっしゃいますか?」

 

 誰の目があるか分からないので、礼儀正しくノックする。

 部屋の中からクララベルとは違う気配がする。どうやら、誰か来客がいるようだ。


『ミスティ?』


 驚いたよう不機嫌な声と、こそこそと何かを話すこえがする。


『ごめんなさい、整えて……』


 薄い衣擦れのような音がして、間もなくクララベル自らがドアを開ける。


「……あら、ミスティじゃない? どうしたの?」


 取り繕った声だ。機嫌のよさそうな顔ではない。

 仲直りは諦めて、形式上の挨拶を述べる。


「ごきげんよう、クララベル様、今日は……」

「ミスティ、ちょっといらっしゃい」


 言い終える前に、クララベルは俺を引きずり、すぐ近くの小部屋の扉を開けて、俺を押し込む。


「馬鹿、いきなりなんだよ」


 行儀よくするのはやめて、昨日の続きかと応戦の準備をする。


「こっちの台詞だわ。いったい何をしに来たのよ」

「昨日、泣きそうだったかわいそうな姫のお見舞いに……」


 大げさに身振りを付けたら、ぴしゃりと手を叩かれる。


「レトね! レトに言われて、余計なお世話をしにきたのね」

「尻を抓んだお詫びにね!」

「痛っ!」


 クララベルは仕返しなのか、俺の尻を抓り上げる。

 まぁ、痛いけど……悪い気はしない。


「馬鹿ね。ああもう、どうしようかしら。ミスティ、私が呼びに来るまで、ここで静かにしていて! 音を立ててちゃダメよ」


 誰か来ているのを邪魔されたくないのだろう。急いでいるようだ。


「なんで? 俺は間男まおとこじゃないんだけど?」

「存在は似たようなもんでしょ。とにかくここで静かにしてて! 出てきては駄目よ。わかったわね」


 嵐の様に、なんの説明もなく俺をワードローブに押し込めて、クララベルは去っていく。

 ドアが閉まると、小部屋は真っ暗になった。


「おい、真っ暗だぞ!」


 去って行ったクララベルに悪態をつくが、気密性の高い部屋に俺の声は吸い込まれた。

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