清香、妊娠したってよ

清香きよかさあ、ニンシンしたらしいよ!」


 昼休みの教室で、五限の数学の宿題を──遅まきながら──解いてた私は、その声を聞いてシャーペンの芯を折った。芯の欠片が飛んでノートに着地するまでに、あちこちからその「速報ニュース」に応える声が上がる。


「ウソ。うちらまだ結婚できないじゃん」

「え~、あの子実は留年しダブってたとか?」


 信じられない、と言外に匂わせるそれらの声は、妊娠ニンシンって言葉を子供を作ること、と捉えたからだろう。私も、そうだったから。妊娠って、ペットの犬とか猫とか、動物園の珍しい動物に対して使う単語であって、人間にはそんなこと──つまり、子宮に胎児を宿してお腹が大きくなる、なんてこと──はあり得ないと思っていたからだ。


「違うって! バスケ部の先輩が、県立病院で看護師してて! 高校生の妊婦が来たけど、芳賀はがってうちの学校の子じゃね、って──髪が長くて色白で、すらっとした子! 清香だよね?」


 でも、速報ニュースを持って来た子が続けたことを聞いて、私たちも思い出した。思想や宗教上の理由で、子宮を残したままの人がたまにはいること、そういう人から生まれた子も、母親と同じく手術を受けない場合もあることを。

 おへそとかいう変な穴があるお腹、月一くらいで血を流す子宮──想像するとちょっと気持ち悪いんだけど、差別はいけません、ってことも一応知ってる。でも、今までだと思ってたクラスメイトがだとしたら、どうだろう。


 看護師の先輩とやらから流れてきたその妊婦さんの容姿は、確かに清香っぽくて。しかも苗字も同じだし。何となく、クラスの全員が清香の席に視線をやった。家庭の事情、とやらで二学期に入ってから登校してないあの子の席を。


「いや、でもあの子も臍ないよ。着替えの時見えるじゃん」

「修学旅行のお風呂でも見たよ」


 口では言いながら、それでもみんなは違う可能性を考えてるはずだ。私と同じように。清香は妊娠したから学校に来れないんだ、って。クラスの中ではもう確信されてしまったみたい。


 清香には──お臍はなかった。あの子のお腹は何度も見たことがあるから確かだ。でも、子宮切除手術の痕はどうだっただろう。赤ちゃんのころの傷痕なんて、小さなものだ。人によってはほとんど見えないくらいになってる。清香のご両親が、変な──じゃない、独特な? っていうか珍しい? 思想だか宗教だかに嵌ったタイミングによっては、あの子は人工子宮で生まれたけど手術は受けさせてもらえなかった、ってことはあるのかも?


 じゃあ、清香はの顔をして私たちにはない臓器をお腹の中に抱えてたんだ? みんなと同じように授業を受けて、部活して、遊んだり喋ったりしてたけど。親友だった──ううん、今もそう、そのはず、なんだけど。目には見えない違いがひとつある、かも、ってだけで、気持ち悪──じゃない、こんなに遠い存在に思えちゃうものなんだ。


「あ、でも清香ってたまにプール休むよね」

「あー……生理セーリってやつ? 大変なんだよね……?」

「うん。血が出て痛いんでしょ」

「うわ……」


 私と似たようなことをみんなも考えたんだろう、大変だね、っていう呟きには、どこか知らない国の戦争とか地震に対して言う時と同じ響きがあった。他人事、ってことだ。心配するようなことを言いながら、どれくらい大変なんだろう、って好奇心も生まれ始めているみたい。ワイドショーを見るのと同じだ。


 好奇心を満たす新たな情報を求めてか、私にもカメラかマイクみたいな視線と質問が向けられた。


「ね、結愛ゆあは何か聞いてないの? 清香のこと」

「……何も」


 シャーペンをペンケースに、ノートと教科書を鞄にしまいながら私は短く答える。


 清香から何も聞いていないのは本当だ。何度もメッセージは送ってみたけど、大丈夫だから、とかちょっと夏バテが長引いてるだけだから、とか嘘くさい当たり障りのないことしか返ってこなかった。

 でも、今なら理由が分かっちゃったかも。妊娠したとかいうのが本当なら、清香は携帯端末は取り上げられてるだろう。私に心配させたくないから──余計なことを知られたくないから、ご両親の監視のもとで、そのていどの返信しか書かせてもらえなかった。そう思うとスッキリしちゃう。


 机の上を綺麗に片づけて、私は立ち上がると教室を見渡した。


「決まった訳じゃないし、個人情報でしょ? あんま好き勝手言わないほうが良いんじゃない?」

「うん……まあ、そうだよね」


 陰口を言ってるみたいな後ろめたさはあったんだろう。私が言ったのは余計なことにもほどがあっただろうし、みんな、白けたような表情にはなっていたけど、とりあえず頷いてはくれた。

 良かった。私がいるとこでもいないとこでも、清香が捕まったUMAユーマみたいにつつき回されて噂されるなんて我慢できない。何となく気まずいからってだけで良い、ちょっと黙っててて欲しかった。


「結愛、五限始まるよ!?」


 鞄を持って廊下を目指す私の背中を、驚いた声が追う。気付いてないはずもないだろうに、なんで無駄なことを言うんだろう。私は、振り返りもせずに宣言した。


「サボる!」


 数学の授業なんて受けてる場合じゃない。清香の家に行くんだ。あの子に直接会わないと。子宮があるかないか、妊娠ができるとかいう、ほとんど異能みたいな能力があるかどうかは関係ない。あの子は普通の女の子で、私の親友だ。


 会えば、確かめられるはずだった。

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