『あかされた嘘』
もうじき絵梨が自宅に着くという頃、病院では隼人の母親である陽子がようやく見舞いに来ていた。
「優さん遅くなってごめんなさいね」
だがそこにはいると思っていた優の姿はなく、代わりにとてもうれしい光景が陽子の目に飛び込んできた。
「隼人目が覚めたのね」
ところが陽子の耳に届いたのはあまりに残酷的な言葉であった。
「ごめんなさい、どなたですか?」
「何言っているのよ隼人、あなたのお母さんじゃない」
「そうでしたかすみませんでした。記憶がないもので」
「なんなのそれ、記憶がないって一体どういう事?」
「それが事故で入院しているのは聞きましたがそれ以前の記憶を失ってしまって、先生の話によると頭を強く打ったのが原因じゃないかという事なんですが」
「そう言う事ってあるの? ちゃんと記憶は戻るのよね」
「それも分からないそうです。このままかもしれないしそのうち戻るかもしれない。もし記憶が戻るにしてもいつ戻るかもわからないそうです!」
「そんな、それじゃいつ記憶が戻るかもわからないまま待たなきゃいけないの?」
「そうですね、ごめんなさい僕が事故に遭ってしまったばかりに」
「隼人は謝る事ないのよ、誰もすき好んで事故に遭う人なんていないんだから、こうなってしまったものは仕方ないわ」
この時陽子の表情は悲しみに満ちており、その瞳からは大粒の涙が流れていた。
同じころ絵梨が自宅マンションに帰るとそこには姉の優が佇んでいた。
絵梨が帰った事に気付いた優が声をかける。
「おかえり、意外と早かったわね」
「いたんだ、やだもしかしてずっと待っていたの? ストーカーみたい」
「当たり前じゃないあんな事されて、さっきのあれは何なのよ、一体どういうつもりなの?」
「さっき言った通りよ、隼人さんはあたしにもらうわ」
「何よその言い方、隼人は物じゃないのよ、もらうなんて言い方はしないで!」
「だったらなんて言えばいいのよ」
「そんなの知らないわよ、自分で考えなさいよ! とにかく隼人はあたしの婚約者なんだからね、彼を取らないで」
そう吐き捨てると優は自らの家に帰っていく。
優が我が家に帰り少したった頃義理の母になるはずだった陽子から電話がかかった。
「はいもしもし」
『もしもし優さん?』
「お義母さん、なんですか?」
『優さん今日はどうしたの、いつもより早く帰っちゃったみたいじゃない、病院には来てくれたのよね、それとも何かあった? もし具合が悪ければ無理しなくて良いんだからね』
「ごめんなさい、特にどうってことはないんですが今日は少し体調悪くて、でももう大丈夫です、すみませんいつもはお義母さんが来るまで待っているのに今日は待っていられなくて」
『そんなの良いのよ、そう言う事なら仕方ないものね、きっと看病疲れが出たのね、いつも朝からずっといてくれていたんでしょ?』
「会社も辞めてしまいましたし他にやる事ないですから。でも看病疲れといってもそばにいるだけで何もしていません!」
『それでも精神的に参ってしまったのよきっと』
「そうなんですかね?」
『そうよきっと、優さんも隼人の為にあまり無理しなくて良いんだからね』
「はい、ありがとうございます」
この時優は当然昼間の絵梨との出来事を言う事が出来なかった。
『それよりも優さん聞いて、隼人が目を覚ましたの』
「そうでしたね」
『なによその気のない返事』
「ごめんなさい、別に変な意味はないんですけどちょっと」
『何ちょっとって、何かあるなら話を聞くだけならできるわよ』
「いえ良いんです、大丈夫ですから」
『そう? ところで優さんも隼人が目を覚ましたのを知っているならこの事も知っているわよね、隼人が記憶を失ってしまっていること』
「はいもちろん知っています」
『あの子記憶を取り戻してくれるかしら?』
「取り戻してくれないと困ります! 大丈夫、きっと記憶を取り戻してくれますよ、隼人を信じましょう」
『そうね、あたしたちが信じてあげないとね』
この日の夜、記憶を失ったためとはいえ自分から隼人が去って行ってしまった事と、実の妹に裏切られたことにより悲しみが込み上げ優は一晩中泣き明かしてしまった。
それでも翌日もまた隼人のもとに朝から見舞いに行く優であった。
病室の前まで着くと絵梨がいないかそっと確認をする優。絵梨がいないと確認が取れた優は病室に入ると努めて明るく挨拶をする。
「隼人おはよう」
「優さんおはようございます。こんなに早くから来て仕事は良いんですか?」
「良いんです仕事は、実は訳あって辞めたんです!」
「そうだったんですか、それでこんなに朝早くから来られるんですね?」
「早いと言ってももう九時よ。それより隼人、あたしに対して敬語はやめてよ、今まで通り呼び捨てで良いのに」
「僕は今まで優さんの事呼び捨てだったんですか?」
「ほらまた敬語! そうよ、今まであたしたちお互い呼び捨てだったのよ。もちろんお互い親しみを込めてね」
「そんなこといって本当は違うんじゃないですか? なにか別の目的があるとか」
「そんな事ある訳ないじゃない! どうしたらそんな考えになるの?」
その直後表情を険しくした隼人の口から衝撃の言葉が放たれた。
「絵梨から聞いたんですよ何もかもね、あなたは僕が事故に遭う直前まで絵梨から僕を奪おうと僕に対してちょっかいを出していたそうじゃないですか」
「絵梨がそう言ったの?」
「そうですよ、実の双子の妹の婚約者に対してよくそんな事が出来ますね。それどころかあなたは妹の物をすぐに欲しがって、今までも色々と奪ってきたそうじゃないですか!」
「違うの、そうじゃないのよ」
「何が違うと言うんですか!」
「違うのよ、あなたの本当の婚約者はあたしなの、あなたが記憶を失っていることを良い事に妹が嘘を付いてあたしからあなたを奪おうとしているの」
「そんなの嘘だ! だって僕が目を覚ました時そばにいたのは絵梨だったじゃないか」
「それも真相はこうなのよ、最初から隼人のそばにずっといたのはあたしなの、今日だって一番にお見舞いに来たのはこのあたしだったでしょ?」
「それはたまたまだったかもしれないじゃないですか」
「たまたまなんかじゃないわ、本当にそうなのよ。昨日も元々隼人のそばにはあたしがいたんだけど、あとから絵梨がお見舞いに来て絵梨に出す飲み物を売店に買いに行っている間に隼人が目を覚ましたのよ。それであたしがいない隙に隼人が記憶を失っていることを良い事にあなたに対して絵梨が婚約者だと嘘を言ったのよ!」
この優による説明によりどちらの言う事が本当なのか混乱してしまう隼人。
「まさか絵梨がそんな事するわけないじゃないですか、信じられない、そもそもこんな嘘を付いたって僕が記憶を戻せばすぐに嘘だってバレるじゃないですか!」
「そのまさかなの、隼人が記憶を戻した時の事をどう考えていたかは知らないけどほんとにそうなのよ、さっきあたしが仕事を辞めたといったのも隼人と結婚するためだったの」
「そんなの嘘だ、僕が記憶を取り戻せばバレることなのに、こんなことして絵梨に何の得があるんだ」
「そこまで言うならこれを聞いてみて」
そう言うとスマートフォンを取り出した優は、ボイスレコーダー機能を立ち上げるとそれを再生した。
優は絵梨のマンションの前でのやり取りをスマートフォンのボイスレコーダー機能に録音していたのだった。
スマートフォンから流れる音は思いのほかクリアに録音されており、これにより絵梨による企みであることが発覚する事となった。
「これでもまだあたしの言う事が嘘だと思うならお義母さんに聞いてみたら? 今日もお見舞いに来るでしょ。こんな身内の恥を知られるの本当は嫌だけど仕方ないわ」
確かに絵梨と優さんの声みたいだったな。それに優さんがそこまで言うという事はほんとなのかもしれない、絵梨がそんな事を言うなんて今でも信じられないけどこれを聞いてしまったら信じるしかなさそうだ!
この時優はあとは隼人の判断に委ねるしかないと思っていた。
「とにかく今日の所は帰るわ」
「もう帰るんですか? まださっき来たばかりじゃないですか」
「隼人まだあたしの事を誤解しているみたいだからね、そんな人と一緒にいても楽しくないでしょ? とにかくお義母さんが来たらさっきの事聞いてみて、どっちが正しい事言っているかはっきりするはずだから」
そう言い残し優は病室を後にした。
優が病室を後にすると隼人は一人考えていた。
(昨日の夕方来た人が僕の母親って言っていたよな? その人に聞けばはっきりするって言っていたけどそこまで言うってことはやっぱりほんとなのかな? とにかく母親だと言う人に聞いてみよう)
その日の夕方、優が言っていた通り隼人の母親である陽子が見舞いにやって来た。
「隼人元気にしている?」
「いらっしゃい、今日も来て頂いてありがとうございます」
「なによそんな他人行儀な言い方、あなたはあたしの息子なんだからそんないい方しなくて良いのよ」
「あなたは本当に僕のお母さんなんですか?」
隼人は疑問の表情で尋ねるとそれに対し陽子は笑みを浮かべ優しく応える。
「そうよ、だからもっと親子らしくフランクに話しかけてくれていいんだからね」
「だったらお聞きしたい事があるんですが」
「だから敬語なんていいって、あたしたち親子なのよ、まあいいわ、それで聞きたい事って何?」
「ぼくの婚約者の方って何ていう名前でしたっけ?」
「何言っているのよ隼人、そんな大事な事も忘れてしまったの? あなたの婚約者の名前は冴島優さんじゃない、いつもお見舞いに来てくれているでしょ?」
「それって双子のお姉さんの方ですよね」
「そうよ、あなたが事故に遭った日ね、あなたのお父さんが優さんにもしあなたに障害が残った時の事を考えてあなたとの結婚を考え直した方が良いって言ったの、そしたら優さんなんて言ったと思う?」
「なんて言ったんですか?」
「優さんね、たとえあなたに障害が残ったからといって結婚をやめたりなんかしないってお父さんに啖呵きったのよ」
「そうだったんですか? ほんとにぼくの婚約者は絵梨じゃなかったんだ」
「何おかしなことを言っているの? 絵梨さんは双子の妹さんの方でしょ、優さんはお姉さんの方よ、こんな大事な事まで忘れたらだめじゃない」
(優さんの言っていた事は本当だったんだ、だったらどうして絵梨は自分が僕の婚約者だなんて嘘を付いたんだ? それどころか優さんの事をあそこまでひどく言って)
隼人がそんな風に思っていると陽子が不思議そうな表情を浮かべ尋ねてきた。
「どうして絵梨さんが隼人の婚約者だなんて思ったの?」
「別にどうってわけじゃないけど何となくそう思っただけです。一番は僕が目覚めた時に目の前にいたのが絵梨さんだったのでそう思ってしまいました。でもその時優さんは見舞に来てくれた絵梨さんに飲み物を買いに行っていただけだったそうですが」
絵梨に嘘を付かれたことを隠す隼人。
「そうなのね、だけど隼人、さっきも言ったけどあたしには敬語で話さなくて良いんだからね、あたしたち親子なんだから」
「分かりました、これから気を付けます!」
「だからそれ、言っているそばから敬語になって、全然わかってないじゃない!」
「そうですね、つい敬語になっちゃって、今度こそ気を付けるよ」
そう言う隼人であったがまだ敬語とタメ口が混ざっており、その返事にもぎこちなさが残っていた。
結婚相手についてさらに続ける隼人。
「じゃあ僕が結婚式を挙げるはずだった相手というのは絵梨さんじゃなくて優さんだったの?」
そう尋ねる隼人に対し疑問の表情で応える。
「だからさっきからそう言っているじゃない、どうしたの一体」
これにより隼人の頭の中は混乱してしまった。
「ごめんなさい今日はもう疲れた、少し休むよ。悪いけど今日はここまでにして」
「そうね、じゃあこれで失礼するわ、とにかくお大事にね、また来るわ」
その後陽子は静かに病室を後にした。
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