第35話 永訣の痛み
この国は変わってしまった。
以前は例え亜人種族であろうと、働くものには等しく恩恵があった。
そんな聖王国はもうないのかも知れない。
だが、西の辺境では姫様が直々に指定し『亜人種族の暮らせる街』を新たに作っているという。
それならば、あの姫の行動であれば、信じられる。
そんな、心を同じくする『流民団』に加わって、この百人を超す民を守って行こう。
先祖伝来の槍に誓って、勝手に
伯爵領からの移民の一団は現在、領境の街へと向かう街道の途中で、あと半月ほどで男爵領へと到着する予定だ。
だが、彼も初めての経験で分からなかった。
子爵領から来たという
「紫の空、『死の
「これが、こんな色が、空を覆うなんて……」
「見上げるな、走れ!」
「馬車を走らせろ、逃げろぉ!!」
「『
《パキッ…… ピシッ…… ギチィ……》
どこからか、ガラスの割れるような音がした。
《ギチィ……ギ、ギギギギ…… ドバァアアンッ!!》
そして…… 嵐のような、雷が落ちる大きな音がして、空が、地面が割れてその街道は『魔物が溢れた』場所へと変わった。
「きゃあぁあっ!」
「っ、逃げろ!!」
《バクン、バチャバチャッ》
「うっ、うそ、ですよね?」
それと出遭って二秒。
穏やかな彼の顔は、彼女にふざけながら明日の予定を話す顔は。
不意の殺意に、潰されて。
「……ぎゃあぁぁぁあっ!!」
集団の一画から、地獄が広がり悲鳴を量産していく。
この街道に、悪夢という夢は今、現実となって人々を蝕む。
☆
「あなた、これは……」
「ツィーデは、馬車の中に」
「アレヤ様、いけません、これは『
ボレキ準男爵が、アレヤ
彼は自分の騎馬に跨がり、周囲を警戒していた。
「
そのための、貴族であり騎士なのだから。
対魔物用の剣、その形状は特殊で、普段は見せることもない。
「
「私は重たくて嫌いなんだがね?」
難しい古代字が刻印された
そして貴族の背負う『払拭の蒼』は、マントにも籠められている。
彼らは、有事の際に魔物から人々を守るからこそ敬われ、領土を任されているのだから。
「今、部下に周囲を警戒させ…… 戻ってきました、『侵源地』は後ろです! さっき追い抜いた流民たちが逃げ惑っています」
「位置が良くないね、守るにも」
「全騎兵、集合ッ、あなた様はご自分と奥様をお守りください」
「頼りなくて、すまんが…… これでも子爵だからね。戦わない訳にはいかんさ」
広いはずの街道を、早い馬車から駆け抜けていく。
中には、人や荷物を落としながら走る暴走馬車もあった。
それを追いかけてか、真っ黒な鳥がいくつも飛び回り、馬車にめがけて急降下を始めた。
中にいる人々を、馬を襲い、食らい付いていく。
「戦闘開始ッ! 盾構えッ! 上空からの飛来に備えよ!」
ボレキ準男爵は部下たちに檄を飛ばし、隊列を組んで魔物を引き付けるつもりだった。
だが、場所が悪く、そんなスペースはない。
「少し前に出よう、流民たちが通りすぎないと剣も役に立たない。それに、倒れケガをしている者が目の前にいる。放ってはいられない」
「はっ。では先に行きます。前進ッ! 続けぇっ!」
「声、デカイんだよ…… さて、ツィーデ、私も役目を果たしてくる」
「はい…… どうか、ご無事で」
「顔を曇らせないでおくれ。確かに運動不足だが、なに、深入りはしない。ボレキくんをいつも通りにこき使うだけさ」
だがその妻は不安が拭えず、留めたくて手が揺れていた。
彼女の両親は、前回…… 二十五年前の『
「……本当に、気をつけて……」
「ありがとう、行ってくる」
そう言って、アレヤ子爵は妻に馬車の中から
☆
活躍の場であろうと嬉しくはない。
今までろくに役立っていなかった『騎兵隊』が、やっと日の目を見るとしても、だ。
ただ、守るという使命が重く、だからこそ踏ん張れる。
しかし違和感がある…… 以前、自分が体験したこれは、もっと様々な魔物が溢れていたようにも思うのだ。
「重傷者を運べ、安地を作れ、渡したポーションは適宜使って構わん!」
「はっ、ボレキ様、お守り致します!」
「俺のことはいい、民を助けろ!」
「そう、ですね、では」
「お気を付けて」
駆けて行く部下の後ろ姿に、目を細めた。
「頑張れよ。絶対に守るべきは民草なのだ」
拳を握り、騎首を巡らせる…… すると、部下ではない
「くそぉ、何で、俺ばっかり!」
「そこの、加勢するぞ!」
「うあっ、応援、感謝します!」
俺の唯一の武器にして、最大の力は『剣術』だ。
絶対に、こんな理不尽な暴力から人々を助けなくちゃならない。
久しぶりに、本気を出そう。
☆
守るつもりが、守られて…… なんて事は全く考えていなかった。
この剣術はきっと、世界一だ。
本気で、そう思った。
「いいりゃあぁあっ…… すぅ、せぃっ!」
彼は馬の鞍から飛び上がり、俺の戦っていた大きな黒い犬へと斬りかかると、犬が飛び離れて間合いを取った。
しかし、それを一足の内に追いかけて、彼は一刀の下に、俺が散々手こずっていた大黒犬を倒してしまった。
《バシュ、パァン……》
「す、す、凄い、あなた様は、一体……」
「尊敬するような眼差しはやめてくれ、気色ワルい。俺は…… いや、私はボレキ準男爵。まだ動けるか?」
「は、はい、もちろん」
拳をぎゅっと握って、元気さをアピール。
彼に、彼の役に立ちたい、そう思っていたから。
「なら、先に逃げた者や逃げ遅れた者を助けてやってくれ。
「はいっ、俺はオッポウド・ランセルと申しますっ」
しかし、決意をしたところで、事態は深刻だと気付かなかったから。
大きなサソリのようなバケモノが、背後に迫っていると気付かず。
「避けろっ!」
ボレキ様に庇われ、乱戦の中に取り残されたのだ。
☆
「……何匹倒したかなぁ」
「俺は数えてません」
「はは、実は私もだ」
「じゃあ聞かないでくださいよ」
愛馬を逃がして前線で奮闘していると、アレヤ様と合流できた。
「その腕、どうしたんだい?」
「ああ、そこの若いケンタウロスを助ける時に、ちょっと」
短く答える。
しかし傷が深かったのでポーションを使い、そのまま戦闘を続行した。
「
黒く大きなサソリのハサミに、盾を構えた腕ごともぎ取られたのだ、回復薬がなかったらその場で死んでいたかも知れない。
「しかし、彼は生きてるかな?」
「多分。あ、新手ですな」
俺は二度目の経験となる『
どうにか、戦場の緊張感の上で立っている。
「じゃあ、大猿は、俺が殺りますので」
「私はオオカミ相手かな? いやだいやだ」
何匹も黒い魔物たちを相手していく内に、守りきれずケンタウロスの彼は倒れてしまった。
大きな傷は受けていなかったので、無事だと信じたい。
「
「このお守りは頼もしいですねっ」
しかし、随分と色褪せてきたようにも見えた。
「く、まずいな…… このオオカミは『強い』よ!」
大猿を切り捨てながら、背中にアレヤ様の声を聞いた。
振り向くと、素早い彼が速さで翻弄されている。
「うあっ!」
アレヤ様の剣が弾かれ、しかしオオカミはなぜか、ケンタウロスの方へと走る。
「弱いものから、だと?」
絶対に、守る。
瞬間に間に割り込んで、しかし受け止める盾がない。
なら、肘から上が残っている左腕をくれてやる。
《ぞぶっ》
俺の腕に噛みつかせ、オオカミのノドを剣で貫く。
だが、コイツはそれでは死ななかった。
「しまっ、
俺が使いすぎたのか、今やただの鉄剣。
「離れろ!」
剣を持ち直したアレヤ様が切り付け、オオカミが跳ねた。
が、それは標的が変わったという事。
《ダンッ!》
「ぐうっ、あ!」
更に速度を増したオオカミは体当たりをして、アレヤ様の体勢を崩し、再び飛び掛かって……。
――俺は、この存在に対する力を失った俺は、では何をするべきか。
――なんという事はない。
「アレヤ様を守るだけだ」
身を呈してでも。
☆
最後のオオカミだけは、異質だった。
本来、魔物とはいえ、身体の中央を貫かれてまだ動くなんてことはなかった。
しかし、もう気配はない。
ボレキ君とは『約束』を交わしたのに、この有様だ。
『まだまだ増えていく民草に、安心できる生活をさせたいな』
『やりましょう、共に。そんな街作りを』
まだ、私はなにも為し遂げていない。
そんな状態で、こんな、無力のままに終わるのか。
彼に庇われ、しかし二人とも撥ね飛ばされ、大きな口に足を噛み砕かれ、そう思っていた。
……もう身体も動かない。
横目に捉えた、ケンタウロス君の槍を運んでいくオオカミの姿が、瞳に残っているだけだ……。
☆
この『
兆候は『死の
災害に対応するために国々では魔法使いを育て、貴族に特殊な装備『
一丸とならねば、これを耐えるのは難しいと分かっていたから。
陽が沈みかけ、近くの街からの救援が辿り着いた時、街道は死体がばら蒔かれている『地獄』で。
あふれた魔物を警戒しながらの救助活動は困難を極めていたが、アレヤ子爵とその夫人は救助された。
しかしボレキ準男爵はアレヤ子爵を守り、帰らぬ人となったのだった……。
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