第16話 子爵家の人々の色々と諸々
リンア子爵夫人がツネニ子爵を
西部辺境地域では、先住民である亜人種族を取り立てて守護騎士とするのが一般的であったが、当主ツネニ・ツィーブレルは国が新たに定めた『法』に伴い、亜人種族を排斥しようとした。
リンア夫人は過去、その守護騎士となった『カベィジ騎士長』に命を救われており、彼を筆頭に多数のリストラを敢行しようとする子爵が許せなかったのだ。
とはいえ、自身が夫にブチ込んだ『
この、政策などを寝物語にする男のクセはよく分からなかったけれど、二人きりのこの時間を生かすも殺すも自分次第…… 妻が夫に反抗したなんて、スキャンダルの前に実家が潰れる。
「実家、そうよ、わたくしの実家の、魔法の宝物庫にあった『
夫人は悪びれることは無かった。
この世界では数少ない魔法使いの才能があるために、蝶よ花よと育てられた事が悪影響を現して。
選民意識がオーネを標的に仕立て上げようとしていた。
話を決めた後の行動は早かった。
メイド長オペンを呼び、手紙を渡して実家へと走らせマジックアイテムを調達させた。
側付きのメイド二人には深く寝入った子爵を見張らせ、自分は騎士長カベィジを味方とするべく彼の元へと向かった。
☆
鹿の胴体はそのままに、前肢から上に人の上半身が繋がっていて、その人の頭には男のみ角が生える。
イビツながら力強いその姿に、リンア夫人は見惚れていた。
そう、見惚れているということを自覚してしまった。
最初はただ、嫁いでからの暇潰しに始めた乗馬の際の手助けや、船遊びでの救命が切っ掛けだった。
学んでいた魔法使いの道を諦め、実家の子爵家のために身を政治の道具として投げた夫人が、この追い詰められた瞬間。
頼もしい騎士の、鍛え上げられた身体を目の当たりにして…… 自分の感情に正直になれたのだ。
「風呂上がりで、申し訳ありません。夜分にどうなさいました、こんなむさ苦しい場所へ。奥様が直接いらしてはなりませんよ」
「……夫に、魔法を、かけてしまいましたわ」
本当ならばもっと色々と上手く言葉を選んで伝えるべきだった話を、彼女は『男』にそのまま伝え、溜め息をついた。
彼ら亜人種族がリストラにあうこと、それに怒りつい魔法をかけたこと、最後に
そう、最後の話だけは見栄をはって、予定とは違う、出来るか分からないことを付け足した。
「何ということを……! とはいえ、私どものため、そのお力を振るっていただいたこと、今は感謝をいたします。奥様、世間的にはまだ何も問題となってはいないのですね」
「夫の庇護下の妻が、騎士の宿舎に入っていることだけが問題ですわ」
「おっと、これは、確かに。早くお帰りください」
「……ええ。ではこのことは他言無用に」
「ですね。しかし、この行動はいずれ、破綻をきたすでしょう。そうしたら奥様は……」
瞬間、夫人は薄布を羽織っただけの騎士長に抱き付き、頬を寄せた。
「あぁあ、カベィジ様、申し訳ありません。二十五になって、初めての恋心なのです。あなた様にとっては主人の妻への不義理というのも、重々承知でお願いいたします。わたくしを、あなたの女にしていただきたいの」
「そ…… んな、だが、今は主の…… 政策を変えるのでは」
「はい、はい…… そう、そうなのですが、わたくしはっ…… 自分を偽ってばかりで。カベィジ様、あなたに、あぁ……」
騎士長は呆然とする。
手の届かぬ花だと思って、その髪の色を目で追うだけに止めていたのに。
口やかましい第二夫人からは見合いを勧められ、主からも言われ続けていた。
だが、ここに、肌が触れ合う距離に憧れの
来たる魔物の襲来に備えて、武芸の訓練に身を投じていた半生。
その中のたった一つの淡い想い。
騎士長に成った翌日、嫁がれたこのリンア様に目を奪われて。
物思いに耽る横顔が、どうにか笑顔にならないかと乗馬を提案したり狩りを勧めたりした。
ある日ボートを漕いでみたいと前向きな言葉を聞いてメイドたちに任せたが、沖で立ち上がって湖に落ちて……。
無数の思い出を飲み込み、騎士は耐えた。
「奥様は、今は不安なだけです。気が動転していらっしゃる。私のような獣混じりの男に、抱き付いてはなりません」
自分の感情に振り回されてはいけない、騎士は正しくあるべきなのだから。
そう、自分の劣情を誤魔化して、リンア夫人を引き離した。
「わたくしでは、あなたの相手が出来ませんか」
「違うのです、男に身を任せるということは、その、奥様を、もう、守る資格を失うということなのです。分かっていただきたい……」
その言葉に、夫人は少しだけ微笑んだ。
少なくとも自分が女として見られていると感じたし、貴族なので身分差にはとても厳しく育ってきたから言いたいことは伝わっていた。
「わたくし、頑張りますわ。これから、どうするべきなのか…… もっと考えて、望む答えが出るまで……」
そして、騎士長の胸元にキスをして、彼女は立ち去った。
☆
傀儡となった子爵の傍らには、常にリンア夫人が立っており、実情を知らない第二夫人ローノからは独占を咎められたりしたものの、それを明かすワケにはいかない。
マジックアイテムは本人と使用者の魔法力を吸い取るらしく、リンア夫人は青ざめ、丸々としていたツネニ子爵はどんどん痩せていった。
騎士長とメイド長が協力し、少しずつツネニ子爵の配下から亜人種族の騎士とメイドが辞めていく。
もちろん、推薦などを多用し他の男爵や伯爵領へと勤め先を整えてのことだが、それを横暴な振る舞いとする人々も多かった。
そして、男爵家からオーネが嫁ぐ日が近付いた。
第三夫人となると結婚式を開かないこともあるが、現在の注目株でもあり領地持ちの貴族であるため、まず婚約披露宴を開き、両親へと土産を持たせ、そして二週間後、本人が嫁いでくる流れになった。
本人が来てから輿入れ、結婚式が開かれた。
当然、メイドや騎士の人手が足りないため、直轄領の商人たちを使って金ばかり掛かる式となる。
そしてこの式の後は、第一夫人リンアの狙い通りにことが進んでいく。
初夜を迎えるところで、第三夫人にマジックアイテムを触れさせるか奪わせるのだ。
そうすれば、あの夜から眠り続けている子爵が目覚めても何も分からないし、マジックアイテムを知らないただの女には魔法の効果を理解も出来ず、子爵を傷付けたという誤解を産むだけ。
「わたくしが現場で囃し立てれば、完璧ですわ」
下準備は整えておいた。
あの小娘が逃げ出しやすいように門番も小娘に関係のある男にしたし、馬車も引き取らずそのままで、馬も繋がせておいた。
少しサービスのしすぎだろうかともリンア夫人は思っていた。
ともかく、これだけ舞台を整えて。
その嫁に鑑定魔法が使えるという情報だけが足りなかった。
ベッドルームの陰に隠れたリンア夫人を見付けたオーネは、ツネニ子爵に鑑定魔法を躊躇せず使ったのだ。
(場合に依り不敬罪)
そして、マジックアイテムを掴んで薄くなった頭から引き抜いた。
痩せてしまって取り外しやすかったのかも知れない。
「この道具は、つまり、子爵様は操られていたのですね」
「くっ、誰か、誰か! 子爵様が!」
「あっ! ズルい!」
当初の予定とは違ってしまったが、リンア夫人はオーネを追い出し、全ての罪を擦り付ける計画を実行した。
今後の予定は、
一、リンア本人はあらかじめ作っておいたセーフハウスへと隠れる。
二、カベィジ騎士長はリンアを誘拐したという罪をオーネに被せつつ追い掛け、しかしわざと取り逃がす。
三、責任を取ってカベィジは辞職し、リンアと合流する。
……というもの。
「なにあの小娘、マジックアイテムを無効化したわよ?」
「男爵家に女魔法使いが勤めていると、知ったばかりでして…… まさかそこまで才能のある子女とは思いませんでした」
メイド長が畏まるが、仕方ない。
「その、それと、付いてきていたメイドの一人が手癖悪く、奥様のお洋服と髪飾り、そして結婚式の金銭出納を奪っておりました」
「なんですって!?」
メイドの手癖も情報不足だった。
「ま、まぁ状況は悪く、ないわ。来たるべき時が来たのよ……」
「お嬢様…… いえ、奥様、ではどうぞご無事で……」
「ありがとうオペン。レッチ、コッタも元気で」
「奥様、あとはお任せください」
「騎士長様と、お幸せに」
しかし、リンア夫人の予定していた計画は思いがけず頓挫する。
しばらくして目を覚ました子爵は、記憶を失くしているどころか言葉すら危うい状態になっていたのだ。
子爵にリンアが誘拐されたと伝えるはずが、カベィジも困惑するしかない。
「ツネニ子爵様…… お気を確かに」
「エーッヒ、っパぁウ、ルヘぇ……」
子爵は何の質問にも答えられず、話せなかった。
医者が言うには長い期間の栄養不足や、呼吸困難の後にこんな症状が現れるという。
こうなってしまうと、オーネを追い掛けるワケにもいかない。
だからと言って、リンア夫人を連れ戻すワケにもいかない。
そのため、子爵の症状が悪化、もしくは回復するまで夫人には身を潜めてもらうしかなくなった。
現状に悩み、考えたカベィジは、その時には既に最愛となっていたリンアのため、財産を崩しメイド長と側付きだった二人をセーフハウスへと送った。
「変化有り次第連絡をします。そこでお待ちください」
その伝言を聞いて、リンア夫人は覚悟を決める。
結局、わざわざ身を潜めずとも良かったと言うような状況になったが、リンアが産んでいた長男(八才)を子爵代とし、元子爵ツネニは第二夫人ローノと共に大奥のような離れへと押し込められて。
そうして、リンアによって表面上の平和は整えられた。
「あとは、内情を知っているあの小娘と…… お金に汚い商人どもよね」
「良かったのかい、これで」
産んですぐに跡継ぎとなるからと引き離された長男クルトルは、リンアにとっては顔を知っている子供という認識に近い。
領地内で帝王学など習得していたが、子爵家の方針らしく、乳を与えさせてすらもらえなかった。
彼女は『第一夫人』としての役目を果たしていたからとして、子爵にとっては用済みだったのだ。
それでも、あの時まではそれでよかった。
「はい。確かに、わたくしの子供なのですからあの子を導くべきはわたくし、なのでしょう。でもあの子を教育した家老の二人に任せると、もう決めたのです。子爵様を傷付けた罪を家財一切と身分の剥奪で済ませてくれたことは、感謝こそすれ、恨みもありません」
生まれた子供を使って、子爵家を導く。
それが、もう自分からは遠い話だと感じてしまった。
彼女は、妻としてではなく女として自由の身となることを望んだのだ。
「ならば、私は貴女を支えます。我が愛しの君よ。昔の知り合いから、港町の警邏隊を任せたいと言われているのですが…… 伴侶として、付いてきてくれませんか?」
そう言うと、かつて騎士長だった男は兜を外し、リンアを抱き寄せ、口付けを交わした。
「チュッ…… 喜んで。うふふふ♡ まだ処理が残っているので、今度はあなたが待っていてくださいね♡」
「ああ、もちろんだ」
それを見せ付けられたメイドたちは、正直に羨ましいと感じて溜め息をついたのだった。
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