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 山間やまあいの町の朝は、霧がかかり、バイクで走る俺の服を少し湿らせた。

 

 エレナには申し訳ないけど、書き置きだけして早めの出発だ。だってさ、エレナは泥のように眠ってるんだ、そのままにしておこうぜ。


 (あぁ…頭がズキズキ響く、飲み過ぎたな)


 重い二日酔の中、幾つか山を越えて向かった先は自宅でも事務所でもない。


 その場所は至って普通、至って目立たず、日常的な風景の商店街の一角にある。


 バイクをレンタルガレージに停め、そこから横断歩道を渡り、まだまだ活気の有る商店街を5分ほど歩くと、大正時代の気配が漂う間口の広い木造二階建ての漬物屋が出て来るんだ。

 実は、この漬物屋、俺の秘密の事務所なんだ。

 

 「お邪魔するよ、どうだい儲かってる?」


 「これはこれは、吼鸞の旦那じゃないですか!お久しぶりです、まあまぁ、こっちはいつもと変わらずボチボチ、といったところですね」


 「そうか、其れでいいんだよ、目立たず、騒がず、それでも食い物屋ってのは、味がよければ潰れはしない」 


 「ええ、その通りで、こうして有難いことに何とか飢えること無くやってますんでさ。それはそうと、旦那はどうやら大仕事のご様子で」


 俺の事を旦那という、この男、名前は「石丸いしまる 太我たいが」と言うんだけど、江戸から続く老舗の漬物屋で『松吉屋まつきちや』の七代目の主人なんだ。

 俺より若いんだぜ、落ち着き振りは五十代くらいには相当するがね。


 「ああ、そうなんだ、今回はかなりの大仕事になりそうでね。悪いが奥の部屋借りるよ」


 「へい、どうぞ、上がって下さい」


 松吉屋は縦長の建物で、廊下を挟むように幾つか部屋がある。

 昭和の終わり頃までは此処で石丸家が暮していたらしいが、今は別に家があるので、部屋は休憩室や物置として使われている。

 その中の一部屋を、俺が事務所として借りているのさ。


 「お前さん、吼鸞さん来たのかい?」


 「ああ、旦那の表情からすると、今回は相当な大仕事だな。それより早いとこ、お茶と菓子持って挨拶してきなよ」


 「そうだね、ちょっと行ってくるよ」


 トントン


 「夏海なつみです、お茶をお持ちしました」


 「おお、これは夏海さん、元気そうで何よりだ。悪いね気を遣わせてしまって」


 この女、夏海は大我の嫁である。

 童顔でぽっちゃりしているが、愛想が良く商売屋には持ってこいの、出来た嫁だ。


 「何を言うんですよ、こんなボロ家の一室を借りてもらって有難いのはこっちですよ」


 「そうかな、俺はこの古いのが好きだけどな」


 「やっぱり、吼鸞さんは変わっていますね、お仕事も有るでしょうから、これで失礼しますけど、何か有れば遠慮せずに言ってくださいね」


 「ああ、ありがとう」


 軋む廊下の音が消えると、俺は荷物を開けPCやスマホ、ファイルなど取り出し、この古い和室を事務所化すると、先ず、ルカズの妹のルミナへメッセージを送った。

 

 (写真が残っていればいいんだけどな…)


 取り敢えずは、返信を待つしかない、丁度いい、少し横になって酒でも抜くか。

 

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