暫くの沈黙の間、無機質な実験室の天井には、幾つかの小さな空調がある事に気が付いた。

 その空調の微かな音の揺れと、上昇する空気の流れに目をやった時、エレナは静かに話し始めた。


 「彼は、ロシアから帰った頃から様子が変わったの。二年程前ね、以前から研究に没頭する事はあったけど、それでも必ず連絡はくれたし、どんなに忙しくても週に1度は会っていたの。それが、何週間も連絡は途絶え、返事も無い。心配して直接、彼の研究所へ行っても、今は忙しいと門前払い、そんな状況が数ヶ月も続いたの。これには流石に滅入ったは、婚約者が急変して、狂った様に何かに没頭して家族や恋人や友人や身なりも何もかも捨て、人間性を失っていく彼の姿に、私は耐えられなかったの、気付けば私は自然と彼から離れて行った…それから一度も連絡は取っていないわ。私はね、未練がましい事はしないタチだから。失踪した事はこの前の探偵さんから、初めて聞いたぐらいなのよ」


 淀みのない声音に、偽りは無いであろう、彼女の抱える憂いは真水のように澄んだままき止められ、一生外せない蓋をされた様に感じる。


 女ってのは、そんな悲しみを抱えても、何事も無い様に振る舞えるんだから、ほんとに尊敬するぜ。


 「そうか、ルカズに最後に会ったのは一年以上前ってことだな。その、ロシア出張の目的についてだけど、三角の資料によれば公には地球と宇宙ステーション間で行う素粒子の実験らしいが。そんな事は表面上で、実際はもっとヤバい案件なのは調べなくたって分かる。俺は、その本当の目的が謎を解く鍵だって、考えているんだ。なんでもいい、ルカズの言動や行動で気にかかる事は無かった?」


 「ウィザードさんはドライね…別にいいけど。そうね…4年ぐらい前かしら、彼の両親が交通事故で亡くなったの、知っていると思うけど親と言っても、里親よ。当然だけど、彼はショックを受けていたは、私も何度か彼の両親と会った事はあるの、二人とも素晴らしい人格者だったから、とても残念で仕方なかったわ」


 「それで、その両親の突然の死が今回の件と、どう繋がるんだい?」


 「繋がるかは分からない、でもね、気になる出来事があったの、それはね…」


 エレナが云うにはこうだ、葬儀の後、遺品整理をしている中で一枚の古い写真が出てきた。

 その写真に、里親と見知らぬ白人の男女が仲良く笑って写っていたらしい。

 

 兄妹は、その写真の事を何も聞いていない様で、里親の親類に写真の事を聞いたそうだ。


 そうしたらさ、どうだい?その写真はソ連で撮ったものだとよ。

 これで、ロシアと繋がった。恐らく写真に写っている白人の男女はルカズとルミナに関係は深い事は間違いない。


 俺でもこう考えるんだぜ、天才ルカズが考えない筈はない、これはかなりの収穫だ、チャンスは逃すな。

 まずは、その写真とやらを入手しないとな。


 俺はエレナに礼を言うと、手元にある少しばかりの礼金を渡した。

 始めエレナは遠慮していたが、この礼金はさっきのパチンコ屋で稼いだお金、それを伝えたら態度を変えてバッと懐に仕舞い込んだよ、負けたのが余程悔しかったんだろうな。

 

 「ウィザードさん、この後どうするの?」


 「この後ねぇ…なにも決めてないよ」


 「よかった、じゃあ飲みましょう。情報教えたのに、まさかダメとは言わないわよね?」


 「それを言うか、拒否権は無いみたいだな。わかった、付き合うよ」


 こうして俺たちはこの後、エレナの自宅で宅飲みさ。

 案外にエレナが家庭的で酒の肴を要領よく作るんだ、感心したよ。


 ん?それだけだ、何もないよ、忘れたのか?

 俺は片脚のウィザード、所謂いわゆる童貞、魔法使いなんだからな。

 此処まで来たら下手に安売りはしないんだ。おっと、本気にするなよ、冗談だぜ。

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