序幕

 富裕層への締め付けと、知識人への弾圧により、民衆に残された手段はデモンストレーションに訴える事だけだった。

 西暦2208年8月~9月7日、カラミヤ事件と、2208年12月~2209年4月22日のソリカル事件がそれであった。どちらも、月の小さな田舎都市で起こった。

 2208年の8月、カラミヤ市の市民は大規模なデモ行進を行った。神人類や富裕層には、全く相手にされないことは市民は分かっていた。だが彼らの良心に訴えることしか、残された道はなかったのだ。市民は、決して暴動を起こさなかった。最後迄、平和的解決を望んだ。

 この時市民が歌った歌がある。


 「我等は生きている 生きているから苦しいんだ 腹一杯に食べられないこと 肉体を酷使されること 搾取されること おお 神よ 我等を苦しみから解き放ちたまえ

  我等は生きている 生きているから嬉しいんだ 親を敬し 子を慈しみ 孫を見れる

 ああ こんなに嬉しいことはない

  我等は生きている 生きているから悲しんだ 親は子を生かす為 子は孫を生かす為 日夜働かなくてはならない いつまで使役されなければならない 親が死んだ日 子が死んだ日 孫が死んだ日 おお これ程悲しいことはない 

  神よ なぜお救いにならないのですか 

  神よ なぜあまつさえ我等を虐げるのですか  

  おお 神よ 我等を解き放ちたまえ」

 

 だが、市民の小さな望みさえ踏みにじられた。

 9月5日。カラミヤ市に連邦軍の艦隊が入港した。そして、9月7日。艦隊の陸戦部隊がデモ行進をするカラミヤ市民に向け、発砲した。

 デモに参加した市民、約450万人の内、死者約37万人、負傷者約210万人。

 2208年12月。先のカラミヤ事件に憤怒したソリカル市市民はデモ行進を行った。先のカラミヤ市民と同じく、ソリカル市民もまた、非暴力不服従を掲げた。カラミヤ市民の歌った歌が、ソリカル市でも歌われた。2209年2月に入ると、デモ参加者は600万人を超え、ソリカル市外からも参加者が集まっていった。3月。デモ参加者は1000万人に達し、事態を重く見た連邦政府はソリカル市へ、艦隊を派遣した。この知らせを聞くと、ソリカル市民は、3月15日、市役所に、艦隊派遣の中止を要請した。が、元より聞き入られることはなかった。

 4月2日。艦隊がソリカル市に入港した。

 4月10日。艦隊の陸戦部隊はデモンストレーションの中止を勧告した。しかし、市民は、『デモ行進の中止はしない。非暴力不服従の名の下に、決して暴動は起こさない。整然と、我等の望みを伝えるのみ』と、艦隊に通達し、差別と搾取と苦役からの解放、及び、基本的人権の尊重、人種の平等とを要求した。この時派遣艦隊の司令官で、神人類でもあった、アブドゥル·ハーンは、デモ参加者の弁は最もだとし、連邦政府に、市民の通達と要求とを具申した。また、彼自身も鎮圧の再考を要請した。だが、連邦政府の返信は、『汝、速やかに鎮圧せん』だった。返信が来た時、アブドゥルは、市民との会合を行っていた。アブドゥルは、返信を受け取ると、市民に向かい、「市民諸君、申し訳ない。連邦政府から、汝、速やかに鎮圧せん、と、返信がなされた。私は軍人である。故に、政府の決定に逆らうことは出来ない。軍人である以上、従わねばならん。此より、私は諸君に銃を向けねばならない。どうか、引き金を引かない内に、市民諸君の、勇気ある撤退を求む。」と言い、涙した。

 市民は、彼の苦悩を思い遣り、デモ行進の終了を宣言し、三々五々家へ帰っていった。

 4月20日の事だった。

 4月22日。アブドゥルは地球に帰還した。しかし、連邦政府は、彼は旧人類及び、ルナノイドへの擁護を行ったとし、即日アブドゥル·ハーンは処刑された。

 処刑される前、彼はインターネットに、こう書き記した。

『神人類は、旧人類から、派生した。みな、同じ人類であったはずだ。何故、これ程迄に、憎しみ合わなければならない。何故、これ程迄に、忌み合わなければならない。何故、血を血で洗わねばならない。アースノイドもない、ルナノイドもない、神人類も、旧人類もない。只、世界中の人類が、愛と善意とを持ち合えば、人種を超えて、抱き合えるはずだ。』

 翌日、月面諸都市は、彼の死を悼み、追悼式を挙行した。


 2218年4月22日。アブドゥル·ハーンの息子、アルミア·ハーンが、一部月面諸都市と共に、地球連邦に対し、武装蜂起した。世に言う『アルミア·ハーンの反乱』である。

 4月25日。地球と月のほぼ中間地点に位置する、貿易港カルサンドラの東経約173°、北緯約51°にて、アルミア軍艦隊約70万と、連邦軍艦隊約87万は激突した。

 カルサンドラ宙域会戦である。

 この時連邦軍艦隊は、本来ならば、195万の兵力を有しているはずだったが、集結が遅れ、実兵力は87万に過ぎなかった。

アルミアは、この隙を逃さず、連邦軍艦隊に強襲を仕掛けた。グリニッジ時間午後2時47分15秒56、アルミア軍は砲撃を開始した。アルミア軍艦隊の強襲は成功し、グリニッジ時間午後5時28分頃、連邦軍艦隊は撤退した。戦闘が終了したとき、連邦軍艦隊の残存兵力は、約57万であった。対し、アルミア軍艦隊の損害は、約1万1200で、残存兵力は、約69万8800であった。カルサンドラ宙域会戦は、アルミア軍の完勝に終わった。

 会戦の結果を受け、連邦軍は、4月30日、地球制止軌道上の軌道エレベータ周辺に約200万の兵力を集結させ、5月6日、地球より、約8万7854キロの、モンム宙域に向かった。対し、アルミア軍艦隊は、勝利によって、全月面諸都市の軍勢、約180万の兵力と、約97万の義勇軍を加えた、総勢約350万に艦隊の兵力を増やし、5月1日、モンム宙域に向かった。

 5月12日、両軍は、モンム宙域にて、グリニッジ時間午前6時19分47秒44、砲撃を開始した。

 モンム宙域会戦である。

 アルミア軍艦隊約350万に対し、連邦軍艦隊は約200万の兵力であり、約150万の兵力差があったが、アルミア軍艦隊の約97万は義勇兵で、実際の兵力は、300万に満たなかったとされる。それでも、約100万近くの兵力差があったわけだが、アルミア·ハーンは、連邦軍艦隊の約1.5倍の兵力を二手に分け、自らは約150万の兵力を率い、連邦軍艦隊約200万と、正面から激突した。残りの兵力約200万は、モンム宙域の脇を進み、連邦軍艦隊の後背に躍り出た。また、アルミア自らが率いた約150万の兵力は、そのほとんどが義勇兵の寄せ集めであったが、彼は優れた艦隊運用を見せ、味方の艦隊が、敵艦隊の後背に躍り出る迄の4時間余、1.5倍の敵艦隊に対し、じりじりと後退はすれど、戦線が崩壊することはなかった。

 午前10時34分頃、連邦軍艦隊の後背に躍り出た、アルミア軍艦隊約200万によって、連邦軍艦隊は、前後を挟み撃ちされる形となった。連邦軍艦隊側の戦線は次々と崩壊した。だが、連邦軍艦隊の総司令官だった、ヘルムート·クロパトキンは、連邦軍艦隊を左右に散開させ、自ら率いる右翼をアルミア本隊の後背に、左翼をアルミア分艦隊の後背に、それぞれ回った。と、同時に、アルミア艦隊の同士討ちを企図した。その試みは、いささかの成功を収め、アルミア艦隊は、約20分程、同士討ちをさせられるはめとなった。その後、アルミア艦隊は、それぞれ、二分した連邦軍艦隊の後背に回った。丁度、戦場を天頂から見れば、2つのドッグファイトの輪が出来ていたであろう。

 午前11時02分頃。両艦隊は、撤退した。

 モンム宙域会戦は終了した。

 アルミア軍艦隊の、損害は、約109万

5800。対し、連邦軍艦隊の損害は、約110万7100であった。

 モンム宙域会戦は、引き分けに終わったが、

数だけを見れば、アルミア軍艦隊の勝利と見てよいだろう。

 5月20日、アルミア艦隊は、月に帰還した。月面諸都市市民は歓呼して、彼らを迎えた。

 また、同月18日、連邦軍艦隊は、地球に帰還した。

 6月6日、両艦隊は、挙兵した。今度の兵力は、アルミア艦隊、正規軍約140万、義勇軍約257万、総勢約400万に近い兵力であった。だが、そのほとんどが義勇軍であり、足並みは揃うべくもなかった。対し、連邦軍艦隊は、600万の大艦隊だった。艦隊総司令官は先のヘルムート·クロパトキン。艦隊副総司令官は、アルサンドラ宙域会戦の総司令官に着任するはずだった、マドゥラハ·コーネギー。その他3名の司令官が着任した。

 6月10日、両艦隊は、再びモンム宙域にて、激突した。

 第二次モンム宙域会戦である。

 午前9時18分25秒39、両艦隊は、砲撃を開始した。

 連邦軍艦隊は、兵力を二手に分け、挟撃の形を整えた。対し、アルミア艦隊は、鈎形陣を採用した。連邦軍が、艦隊を二手に分けたのは、アルミアにとって、幸運であった。なぜなら、正面切って戦えば、600万の兵力の業火に晒されることになり、アルミア艦隊は、そのほとんどが義勇軍に過ぎず、実兵力は、200万程と思われ、勝つ見込みはないからだ。敵艦隊が挟撃戦法を採用したのは、だから、僥倖だった。アルミアは、鈎形陣を以て、連邦軍艦隊の左翼に戦力を集中させることで、敵艦隊の連携を乱し、且つ、艦隊を敵艦隊の外側面に回らせ、敵艦隊の左翼を撃滅し、残り半分の300万を、その後背に回り、撃滅する、という作戦を立てた。

 戦闘は、激烈なものとなった。

 午前10時07分頃、連邦軍艦隊の左翼が、アルミア艦隊の猛攻に押され、後退し始めた。だが、その後退は、整然と行われた為、アルミアは、これを罠だと思い、艦隊を外側面に回らせることはせず、敵艦隊の左翼との距離を一定に保ちつつ、前進し続けた。

 この時、クロパトキンが考えていたのは、先のモンム宙域会戦における、アルミアが行った前後挟撃作戦の応用であった。クロパトキンは、アルミア艦隊の攻撃が集中する片翼を後退させ、陣中深くに入ったアルミア艦隊を、もう片翼の艦隊を前進、及び回頭させることによって、アルミア艦隊の後背に回り、包囲攻撃を行うという作戦だった。だがその作戦は、アルミアが、警戒し、連邦軍艦隊の左翼との距離を一定に保ったことにより、失敗に終わった。以降、戦線は膠着した。

 午前11時58分頃、動いたのは、アルミアだった。連邦軍艦隊の左翼の動きが少し遅くなったからだった。今が機と、艦隊を敵艦隊の左翼の外側面に回らせ、側背からの、半包囲攻撃を行った。

 遡ること、15分程前。連邦軍艦隊の左翼の艦隊運用の指揮を行っていた、ガルマン·サンダラーが、アルミア艦隊の攻撃により、戦死した。それにより、左翼艦隊が乱れたのだった。アルミアは、その隙を逃さなかったのだ。側背からの半包囲攻撃により、連邦軍左翼艦隊は、筧を乱し潰走した。

 しかし、クロパトキンの対応は早かった。残りの右翼艦隊を前進させつつ、Uターンしたのだった。その為、アルミアが、弧を描いて残りの敵艦隊の後背に食らい付こうした時には、敵艦隊は、そこにはいなかった。結果、アルミア艦隊は、もう一度周回せねばならなかった。

 午後2時06分。両艦隊は、再び接敵した。今度の陣形は両艦隊共、縦陣であった。両艦隊は、土手っ腹を見せ会い、砲撃した。が、4時37分頃、両艦隊は、再び失探した。

 両艦隊が再び接敵するのは、これから4日後のことであった。

 こうして、第二次モンム宙域会戦は、終了した。アルミア艦隊の損害は、約194万4500であり、内、正規軍の損害は、約100万1200であった。連邦軍艦隊の損害は、約201万1300であった。アルミアは、その兵力のほとんどを失うこととなった。

 6月13日午後11時57分頃。連邦軍艦隊は、アルミア軍艦隊を捕捉した。その報告を受けたとき、クロパトキンはこう言ったという。

 「戦幾の女神は我らに振り向いた」

 と。

 丁度この時、アルミア艦隊は、貿易港カルサンドラ宙域に向かっていた。アルミアは、連邦軍艦隊がすぐ近く迄来ていたことを知らなかった。6月14日午前1時49分00秒09。連邦軍艦隊の砲撃迄アルミアは、連邦軍艦隊がすぐ近く迄来ていることを夢にも思っていなかった。結局、アルミアは午前3時57分頃、連邦軍艦隊の追撃を逃れ、6月17日月面都市ソリカルへ逃げ込むこととなった。アルミアの下に残った兵力は、正規軍約23万8400、義勇軍約99万4700の、総勢約123万3100であった。

 アルミア·ハーン最後の戦場となったのは、ソリカル市から、西経約89°、南緯約42°、距離約85キロの名もない地点であった。後世、この地点は、アルミア·ハーンに因み、アルミア宙域と呼ばれることになる。連邦軍艦隊は、今度は約1000万の兵力をつぎ込んできた。もはや、アルミア·ハーンに勝ち目はなかった。

 6月21日午前8時41分14秒02。両艦隊は、激突した。

 それに先立ちアルミアは、8時35分頃、自軍艦隊に向け、演説をした。

 「我々はこの戦いで敗れる。だが、決して恐れるな。いつか、私や君たちの子や孫や、あるいは、さらにその孫が、きっと立ち上がるであろう。彼らにこそ、範を垂れるべく、我々は戦って死ぬのである。良いか。これは、敗北ではない。勝利への、第一歩である。さあ、軍靴を鳴らせ。歌を響かせろ。平等万歳!自由万歳!ジーク·ルーナ!我ら死すとも、遺志は死せず!」

 「平等万歳!自由万歳!ジーク·ルーナ!我ら死すとも、遺志は死せず!」

 100万を超す将兵が、アルミアに続いて唱えた。

 対し、クロパトキンも演説をした。午前8時40分頃、アルミアに続き、クロパトキンはこう言った。

 「アルミア·ハーンの反乱もこれで終わるだろう。我らが将兵よ。進みたまえ。勝利の女神は我らにこそ、くちづけするであろう。」

 そして、

 『ファイア』

 両艦隊の、号令は重なった。

 ほぼ10倍の敵艦隊を前に、アルミア艦隊は、ずたずたに引き裂かれた。

 9時32分頃、戦闘は終了した。アルミア·ハーンの最期が、どうであったかは、記録に残っていない。地球連邦は、彼の死後、彼に関係のある資料を、全て処分したらしく、後世に残っているのは、月面都市が残した資料のみだ。それでさえ、アルミア·ハーンの足跡を辿るのは容易ではない。

 アルミア·ハーンが、歴史の表舞台に出てきたのは、彼の反乱のみである。それ以外は分かっていない。いったい全体、アルミア·ハーンとは、如何なる人物だったのか。分かっていることは、彼が、ソリカル事件時、派遣艦隊の司令官アブドゥル·ハーンの息子である事だけである。彼自身も、また、神人類であった。人種の平等を求め、反乱を起こしたとされる。が、それだけであろうか。父アブドゥルの弔いも兼ねていたのではあるまいか。彼は、父が処刑された日に、挙兵している。自らを父に重ねていたのだろうか。また、彼が、どのような幼少期を過ごしたのかも、分かっていない。

 アルミア·ハーン。享年30。彼が反乱を起こしたとき、彼は31になる年だった。


 『アルミア·ハーンの反乱』後、地球連邦は、反乱を援助した月面諸都市の富裕層、約90家余りを、妻子もろとも処刑した。その他、反乱に荷担した者も処刑された。処刑された人は、少なくとも約7000万人に上るという。

 以降月面都市に、戦争を起こせるほどの力はなくなった。

 たが、彼の死後、2220年代半ばには、月面諸都市の富裕層から貧困層迄、家庭に父アブドゥルと子アルミアの胸像が掲げられていたという。月の人々は、ハーン親子という神を見出だし、その神に、すがらざるを得なかった。いつの日か、地球を打倒する日を希求して。

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