第55話 お姫様抱っこ

 ある夜のこと。

 夕食やお風呂を終えて、あとはゆったりしながら過ごす夫婦の時間。

 同じゲームをプレイしたり、なんとなくいちゃいちゃすることも多いけれど、今日はお互い思い思いのことをする。そんなひと時。


 ベッドにうつ伏せになって恋愛ものの漫画を電子書籍で読んでいる私に、何やらスマホゲーをプレイしている修ちゃん。操作の仕方見るとパズルゲーかな?


 そんな穏やかな夜のひと時だけど、漫画のクライマックスを見ていて一つ気になったシーンがあった。


「お姫様抱っこかあ……」


 主人公である女の子が結婚式で相手の男の子に教会で抱き上げられる、そんな恋愛ものにはありふれたシーン。一昔前の私だったら「あー、こういうのよくあるよね」と感じていたかもしれない。しかし、今は少し違う。


(お姫様抱っこってされたらどんなのだろう)


 修ちゃんとはいずれ式も挙げる予定だけど、お姫様抱っこをする機会はたぶんない。いや、結婚式の後にそういうことをおねだりすることはできるかもしれないけど……。


(胴上げみたいな感じ?)


 高校の頃、おふざけで友達に胴上げされたことがあった。

 あれはちょっとだけ怖かったなあ。


(でも……)


 頭の中で隣にいる修ちゃんに抱き上げられる様を想像してみる。

 目の前に彼の顔があって手を回す私。

 背中と足に手をまわして持ち上げられる様子を想像してみる。

 

(ちょっといいかも)


 ああ。私の悪い癖だけど、お姫様だっこ、してもらいたい。

 そんな気持ちが胸の奥から湧き上がって来てしまう。

 修ちゃんならOKしてくれそうなんて思うのは甘えだけど。

 別にそれくらいお願いして機嫌損ねるわけはないし。

 でも、わざわざこのタイミングで言うのは少し恥ずかしい。


「あの……修ちゃん。ちょっといい?」


 自然と声が小さくなってしまう。

 ああ、もう。何やってるんだろ、私。


「どうしたんだ?なんか妙な表情してるけど」

「妙?」

「なんか切り出しづらい恥ずかしいことがあるときの感じ」


 なんで読まれてるの?


「顔に出てた?」


 なんでわかったんだろう。


「だって別に不機嫌そうじゃないし。むしろ、なんかニヤニヤしてる感じもあるし。なんか妙なこと思いついたパターンだろうなって」

「当たってるけど……なんか悔しい」


 修ちゃんの声が笑いをこらえながらだから、なおさら。


「で、今日のお嫁さんは何をご所望で?」

「お姫様抱っこ。さっき漫画で見たんだけど、実際にしてもらったら……その、どんな風になるかなって」


 私、なんだか馬鹿なこと言ってるなあ。

 しかも、言っているとどんどんスイッチが入って恥ずかしさが増していく。


「そりゃ全然いけるけど……なんでそこまで恥ずかしそうなんだ?」


 理由がわからんとばかりの修ちゃんだけど。


「だって……漫画のシーン見て、やって欲しいとか子どもっぽいし」


 私が子どもっぽいのは大概自覚してるけど、恥ずかしいものは恥ずかしい。


百合ゆりの恥ずかしいことって未だにときどきわからん。普段、もっと恥ずかしいことしてると思うんだけどな」

「それはそれ。これはこれなの!」


 スキンシップにしても、キスにしても、エッチなことにしても多少は慣れはある。他のカップルだってやってるしと思えばそんなものだろうし。


 でも、お姫様抱っこして欲しいとか。コスプレ要求されるより恥ずかしいい。


「まあいいや。じゃあ、その……座ってくれ」

「は、ひゃい」


 さすがに初めてのお姫様抱っことあって修ちゃんも心なしか緊張気味だ。

 私もそれが伝わって来て堅くなってしまう。


「よいしょっ……て身体ガチガチなんだけど」


 身体がひょいと宙に浮くのを感じる。

 抱きしめられてるのとは違ってちょっと不思議な感触。

 それで……。 


「だって。恥ずかしいし、なんか緊張するし」


 修ちゃんの首に手を回すとドキドキしてくる。

 近くで顔を見るのは何度もしてきたはずなのに。


「つか、言われると俺も緊張してくるだろ」


 試しにやってはみたもののお互いガチガチだ。

 しかも、姿勢が不安定なものだから落ち着かない。

 でも、せっかくだし……。


「ん……」


 お姫様抱っこされてキス。

 ある意味憧れのシチュエーションなのかもしれない。

 でも、体勢が不安定で……ちゅっと少し冷たい、

 いつもの唇の感触が伝わって来た。


「なんか……いつもとちょっと違うよな」

「うん。うまく言えないけど……」


 お互い見つめ合っての感想はなんとも言いづらいものだった。

 新鮮だし嬉しいけど落ち着かない。


「よしっと……ちょっと腕が疲れた」


 と思ったらそんな台詞とともに床におろされてしまった。


「もう。せっかくいいムードだったのに」

「無茶言うなよ。いきなりだから抱っこの仕方とかわからないし」

「罰として、お布団でイチャイチャを要求します」


 中途半端に触れ合ったものだから変に欲求が出てきてしまう。


「はいはい」


 どこか諦めたような修ちゃん。いつも変な事要求してごめんねと心の中で謝る。

 結局、その後はお布団でゴロゴロとして抱きしめ合ったり、キスしたり。

 身体を触りあいっこしたりして、たっぷりとイチャイチャしたのだった。

 

(また今度、お願いしてみてもいいかも)


 深夜にさしかかろうという時間の中。

 布団の中でそんなことを思った私だった。

 

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る