第35話 夫婦になって変わった事

 金曜の夜というのは社会人にとっては憩いのひとときらしい。

 特に堀川家ほりかわけでお義父さんたちと同居することになってからそれをよく感じる。

 露骨にお義父さんの機嫌がよいのだ。


 朝早くて夜遅いことも多い大変な仕事。

 でも、業界の中では週休二日をきちんととれるのは恵まれているとか。

 それでも、開発が佳境に入ると休日返上なことも珍しくないらしくて、大変だ。


 大学生である俺たちにとっても、金曜日の夜はひときわ解放感がある。

 サークル活動はともかく、難しい講義についていくのは疲れるし、解析学や代数学などの数学系科目はとりわけ疲れる。


 だから、翌日二日が休みである金曜はやっぱり解放感があって、ベッドでごろごろと本を読んでいる。漫画やラノベを読むこともあれば、読み物系の面白いノンフィクションを読むこともある。


しゅうちゃん、どしたの?」


 スマホ片手に同じくごろごろしている百合ゆりがじいっと見つめてくる。

 何を考えているんだろう?そんな感じだろうか。


「なんか、百合と当然のようにこうしてるのがちょっと不思議な気がしてさ」


 もちろん、友人として、そして恋人になってからも長く一緒に過ごしてきた。

 それでも恋人の時は夜を一緒に過ごさないのが当然。

 逆に今は夜をこうしてだらだら一緒に過ごすのが当然。


 パジャマに浮き出る身体のラインがとか、綺麗だなとかそんな事は恋人になった後も時折思っていた。ただ、ムラムラ来てる……というのも何だが、そうじゃない時はごろごろとお互い好きなことをしているのがとても落ち着く。


「確かにちょっと不思議かも?修ちゃんのこと見ててもなんか自然な感じ」


 同じことをこいつも感じていたらしい。

 目と目を見合わせているのに不思議とあんまり恥ずかしくない。


「だよな。恋人の時は、こんな状態だったら気分盛り上がること多かったけど」


 もちろん、何も感じないわけじゃない。

 スマホ片手に何やらニヤニヤしているのもかわいらしい。

 それに、百合のことを愛しく思う気持ちだってある。

 ただ、こうしてて落ち着くというのがやっぱり不思議だ。


「今から気分盛り上げる?」


 にやっと口角を釣り上げてのお誘い。


「それも捨てがたいけど……ちょっと聞きたいことがあったんだよ」


 なんだかんだ言ってお誘いのままに雰囲気が盛り上がってしまえば、

 まあ俺も若い男性だし色々してしまいそうだ。

 ただ、今日はちょっと違う気分だった。ゆっくり話したいというか。


 なんとなく髪の毛をそっと撫でてみると、嬉しそうに目を細める百合。

 これが夫婦の距離っていうやつなんだろうか?


「それで、こうして私を甘やかして、何を聞きたいの?」


 こうして優しく髪を撫でてやると機嫌が二倍くらい良くなる。

 顔を胸板にこすりつけて来て、完全に甘えモードだ。


「百合はさ。俺と夫婦になって一番変わったことってなんだと思う?」


 特に深い意味はない問いだ。

 ただ、結婚してしばらく経って、百合がどう思っているのか知りたかった。

 幸せでいてくれるのは疑っていないけど。


「ん-……やっぱりこうして夜を過ごすのが当たり前になったこと?」


 やっぱり真っ先に思い浮かぶのがそれか。


「やっぱそうか。一緒に寝るのがなんかもう当然になってるよな」


 別にエッチなことをするとかいうのじゃなくて。

 お互い眠くなったらなんとなく消灯して、手を繋いで。

 なんとなく近くに相手を感じたいときは抱き合って寝て。

 それが「当然」に感じることがやっぱり少し不思議だ。


「恋人の時は、もっといたいなーって思ってても家に帰らなきゃだったし」

「お泊りしたいなーとかよく思ってたな」


 だから、時々お泊りできた日は特別だった。

 それが今や当然のことになっている。


「あとは……修ちゃんに甘え放題なこと?」


 ほんのり頬を赤らめながらも、はっきり言ってくれる。

 こういうのを言ってくれるところがまた可愛いんだ。


「俺としても百合が甘えてくれるのはすっごい嬉しいけどな」


 強いて言うなら、可愛がるという感覚が近い。

 理性をオフにして思う存分肌を寄せてくれるのは男冥利に尽きる。


「修ちゃんは昔から私にめちゃくちゃ甘かったからね」


 高校生の頃か、中学生の頃か、小学生の頃か。

 いつを思い出しているのやら。


「手のかかる子ほど可愛いっていうだろ?」


 ちょっと上手いことを言ってみたくなった。


「私が結構勉強教えてあげてるの、もう忘れた?」


 ぷくっと頬を膨らませて拗ねたフリ。


「冗談だ冗談。ほんとそれは助かってる」


 以前よりはマシとはいえ頭が遥かに良い百合に色々教えてもらえるのは助かる。


「私も旦那様・・・の勉強見てあげられるの好きだけどね」


 旦那様を強調するってことは。


「普段自堕落な分、勉強くらいはってことか?」


 なんとなくそう思った。


「だって。お嫁さんらしいことあんまりできてないし……」

「そういうのは了解済みだって言ってるだろ?」

「それでも、お嫁さんとしては旦那様に色々してあげたいわけですよ、ええ」


 なんて言いつつ目を閉じて唇を近づけてくる。

 お互い舌を差し入れて感触を楽しむのももう何度目だろう。

 しかし、やっぱりこういうことすると興奮してくるのはどうしようもなく。


「ちょ、修ちゃん。首筋、ダメ。本当にダメだから」

「それはフリだよな。押すなよ、押すなよ、みたいな?」

「わかってて言ってるでしょ。本当に首筋を優しく触れられるの弱いの!」


 こういうじゃれあいっていうかスキンシップのバリエーションも増えて来た。

 首筋だったり脇腹だったり、頬をつついてみたり。


「俺だけ気分盛り上がるのも違うだろ?というわけで、堪えてくれ」


 ちょっといじめっ子の気分である。


「もう。嫌じゃないから抵抗できないのが悔しいんだけど……!」


 というわけで、しばらく首筋をいじめてるとだんだん吐息が荒くなっていく。

 顔もだいぶ上気してきたし。


「そろそろ、いいか?」


 合図はないけど、期待に満ちた目でこくりと頷いてくれる。

 週末ということもあって時間をかけて楽しんだのだった。


◇◇◇◇


 行為を終えてお互いパジャマに着替えてのピロートーク。


「夫婦になって変わったこと、ほかにもあったかも」

「お?なんかあったか?」

「こうして雰囲気でエッチな流れになること」

「ま、まあ。百合が可愛いからしたくなるのも自然なわけだし……」


 この流れなら百合も望んでいるだろうなというのがなんとなくわかる。

 それも夫婦になって変わった事かもしれない。


「夫婦の夜の営みってもっと卑猥なのを想像してたけど……結構普通だよね」

「まあな。いや、もっと卑猥なのしてほしいなら別だけど」

「アブノーマルなのはなしにして欲しいな」

「俺もそうだよ。単に聞いてみただけ」


 しかし、他に夫婦になって変わったこと……なんかあるだろうか。


「あ、もう一つあったぞ!」

「なになに?」

「お互いに「ただいま」とか「おかえり」とか言うようになったこと」


 夫婦だからと言って四六時中一緒にいるわけじゃない。

 ただ、今の堀川家が俺たちの家で。

 先に俺が帰ってきてたら「おかえり」。

 逆に先に百合が帰ってきてたら「ただいま」の言葉がかえってくる。


「確かに!そういうのもなんだかいいよね」

「探せば、夫婦になって変わったことほかにもいろいろありそうだな」

「私は苗字変わったのも大きいかな。手続き、色々大変だったよ……」

「あれな。通帳とかキャッシュカードも旧姓使わせてくれたらいいんだけどな」


 結婚して、姓が変わるせいでの手続きは百合は本当面倒そうだった。

 まあ、百合でなくても面倒くさくてキレたくもなるというもの。


「でも、まだ「池波さん」だと慣れないね」

「そりゃなあ。すぐ慣れろってのが難しいだろ」

「でも、修ちゃんの旦那さんなんだ!って実感して嬉しいけど」


 ぐいっとくっついてくる。


「とにかく。夫婦になって良かったってことでここは一つ」

「それはそうだよー。もし修ちゃんが先に死んだら、一生独身でいるからね?」

「いやいや、それ言うなら俺の方もだよ。再婚とかきっとする気起きないって」


 俺たちは新婚なのに一体何を言っているんだか。


「じゃあ、お互い100歳まで元気でいること!約束しよっ?」

「80歳までならともかく、100歳とかハードル高くないか?」

「最近、アンチエイジングとか流行ってるし、いけるいける!」


 ノリで言ってるだけなのに、百合が言うと不思議と実現できる気がする。


「しかし……こんなこと語り合ってるから、周りから変な目で見られるんだろうな」

「仕方ないよ。私と修ちゃんの関係はなんか少し変だし」

「ま、そうだな。少し変同士だし」


 お互いクスクスと笑って。


「そろそろ本当に寝よっか」

「ああ。お休み」


 電気を消していつものように二人で手を繋いで寝たのだった。

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