第10話 迫り来る影

 謁見の間では多数の兵士達に守られながら、国王ギルが大臣に怒鳴り声を上げている。


「ば……バカもん! 貴様らは本当に何をしておるのじゃ! さっさと化け物どもを殺さんか!」

「は、はい! しかしギル様。かの魔物どもは竜族です。我々の数多の技術が、まったく通用しない状況で、」

「うるさい! 言い訳など聞きたくもないわ。ごちゃごちゃと抜かしておらんで、さっさと何とかしろ」

「は! 承知致しました」


 大臣は困り果てていた。考えることは全て他人任せの国王に。しかし、自分が動かなくては本当に国が終わってしまう。方々に指示をする為に一度部屋から退出した。


 国王は怯えきっていた。なぜ絶滅したはずの竜達が、我が国に攻め込んでいるのか。理解が追いつかないが、現実として彼は、窓から異形の怪物達を目撃している。あれは伝承神話に登場する竜の姿に瓜二つだった。いや、伝承で描かれた存在よりもずっと禍々しく、恐ろしい存在に思える。


 大臣が必死に指示をしようが、いかに現代の精鋭達が挑もうが歯が立たない。無理もない話だ。古来より竜に対抗できたのは、ドラゴンスレイヤーというスキルを所持する者だけだという。


 ギルは心の中でロランのことを思い出していた。もし奴を追放しなければ、このような事態には陥らなかったのではないか。しかし、思うと同時に歯を食いしばり、耐え難い屈辱に苛まれる。これではまるで、ワシ自身が失態を犯したようなものではないか。


「違う……断じて違う。ワシは正しい。いつ何時でも正義なのだ。これは何かの間違いだ。ワシは正しい、ワシは」


 呪文のように自己肯定を繰り返そうとした矢先、廊下の奥から悲鳴が届いた。指示をする為に席を外していた大臣が、慌てて扉を開いて駆けてくる。隣には同じくして怯えた表情を浮かべるメイド長ベラの姿があった。


「ひいい! 陛下! 竜が、竜が。侵入して、侵入してきます」

「陛下。どうかお逃げくださいまし! この国はもうおしまいですわ」

「ば、馬鹿者めが! なぜ命懸けで止めようとせぬ。貴様らもぼうっとしておらんで、早く対処せい!」


 兵士達は戸惑いつつも前に進み陣形を組んだ。凶暴な竜相手に普段の戦法が通用するかは大きな疑問だが、彼らにしてみれば他にすがるものが無い。兵士達と入れ替わるように大臣とベラは国王の側へと駆け寄る。悲しいことにここが最後の砦のようなものだった。


 廊下から静かな金属音がする。一歩一歩、何かが近づいている。扉の向こうに無限に広がる闇。奥から微かに白い何かが見えた。それは純白の鎧だ。項垂れた顔のまま誰かが、無言で謁見の間に足を踏み入れた。


「きっとその者は人間に化けているのです! 騙されてはなりません!」


 ベラが声の限りに叫ぶ。兵士達は混乱しつつも彼女の言葉を信じ、亡霊のように佇んだまま動かない男に剣を向ける。

 誰もが、まるで意思を感じない男に怯えていた。そして、彼しか見えていなかった。


「陛下。どうなさいましたか? 震えてらっしゃいますね」


 ベラは心配そうにギルを見つめる。彼女はいつの間にか、国王が座する玉座のすぐ側にいた。本来ならば跪いていなくてはいけないが、彼女は立ったままギルを見下ろし、王もまた不敬であると咎める余裕がなかった。


「だ、黙れ。ワシは震えてなどおらぬ」

「いいえ。とても震えています。怖くて怖くて、堪らないのですね。私、良いおまじないを存じておりますのよ」

「貴様……今それどころではないだろうが」


 声を張り上げられないのは、死んだように動かない男を刺激したくなかったからである。視線を外すことさえ怖い。


「大丈夫です。きっと陛下なら心配などいりません。すぐには死んだりしません。それよりも、陛下」


 ベラの口調が変わった。氷のように冷たく、無視できないほど厳格さがこもった声で、


「ちゃんと私を見て」と囁いたのだ。


 ギルはようやく瞳だけを隣の女へと向けた。この事態を切り抜けたら殺してやる、そう思いながら。

 しかし、目前に映ったのは見慣れたメイド長ではなかった。彼女の顔がゆっくりと変化していく。


「ああ、ああ……あああ」


 国王の瞳が見開かれ、顔からいくつもの汗が流れ落ちる。

 そして、謁見の間に侵入した男の変化は突然起こった。白い鎧に包まれた体が、まるで系が切れた人形のように前のめりに倒れる。


「なんだ!?」


 誰とも知れない叫び声が響き、命令されるより先に兵士や大臣が男に詰め寄った。よく見れば鎧の肩部分にはレシア国の紋章が刻まれている。


「これは我らが国家の紋章ではないか! では、この男は……」


 つまりは自分達の仲間の死体が、一人でに歩いてここまで来ていたことになる。


「面白い趣向だったでしょう。少しは楽しめたのではないかしら」


 背後から知らない声が聞こえ、兵士と大臣達が振り返ると、そこには恐怖で体を縮めている国王と、ベラの服を着た誰かがいた。髪は茶色く変化しており、顔つきはより大人の女性へと変貌していた。


「な……ベラは!? ベラはどうした!?」


 大臣は発狂したくなる自分を必死に押さえつけ、女を睨みつける。しかし、彼女は涼やかな微笑を浮かべたまま、国王の顔に指を這わせて遊んでいた。


「ベラは私ですよ。顔を変えただけなのです。気がつかずに雇ってしまうなんて、おマヌケさんでしたね。さて、もうここまでくればあなた達は本当におしまい。なんといっても、玉座をこうして占拠されたのですから、ね」


 指で王の上着をつまみ、前へと軽く投げる。王の体は難なく玉座のすぐ前に転ばされてしまった。空いたところへ、肌に奇妙な紋章が刻まれた女が腰をおろした。


「私は竜達の母です。さて、どうしますか? あなた達、ここで死んでみますか?」


 兵士十数名は、既に冷静な判断力を失っていた。女から発せられる魔力と威圧感は、襲撃してきた竜達よりも遥に大きく強大に思える。一人の兵士が怯えからか、とうとう敵前逃亡をした。


「あ! 待たんかあ!」


 大臣の怒号虚しく逃げ去ろうとする背中。しかし、その兵士の後頭部が一瞬にして吹き飛ぶ姿を目撃し、彼らは驚愕に目を見張る。


「うふふふ。逃げた人から殺しますよ。どうするのあなた達。戦うの?」


 彼女から形容し難い奇妙な雰囲気が部屋全体に広がり、恐怖は積み重なる。

 もはや彼らは、戦う意思すら押しつぶされつつあった。


「先ほどもお伝えしたように、この国は私達が貰い受けます。人間だからといって皆殺しにするというのは、ちょっと気が進まないのです。どうでしょう。私の提案を受けてくれるのなら、これより誰一人手にかけず、幸せな生活を約束しますよ」

「い……一体どんな要件を抜かすつもりだ」


 大臣だけは必死に歯向かおうとしていた。竜の母は一見すると慈愛に満ちた微笑で、両手を広げた。


「私の赤ちゃんになりなさい。いい子にするなら可愛がってあげます」


 しばらくの間、謁見の間は静寂に包まれた。とはいえ外では戦乱の怒号が飛び交っていたが、室内は不気味なほどの温度差があり、まったく気にならなかった。


「ふ、ふざけるな……」


 一人の兵士が怒りに肩を震わせる。


「赤ちゃんになりなさい、だと? 貴様がいくら竜どもの母だからとほざいたところで、」


 言葉が乱暴に途切れる。ベラとは充分に離れていたが、指先から放たれた魔法により首が切断されてしまった。玉座で足を組む怪物は、冷たい瞳で転がった兵士の頭を見下している。


「おかしいわね。どうして赤ちゃんがそんなにハキハキとお喋りをしているのかしら。赤ちゃんは言葉なんて話せないのよ。そうでしょう?」


 返事をしたらダメだと、大臣と生き残った兵士達は思う。残った自分達は、ただこうして項垂れているしか許されまい。彼女は頬杖をつきながら、ようやく上機嫌な笑顔を浮かべた。


「うふふふ。少しずつ幼くなってきているのね。私からすれば、あなた達人間は皆赤子のようなものよ」


 この場でもっとも恐怖に駆られていたのは、ベラの目前で這いつくばっている国王だろう。彼の上等な赤いズボンの中心が濡れて、床には水溜りができている。国王は静かに、自分にとって代わろうとしている怪物にすり寄った。


「そ……そう、で……ちゅ」

「へ……陛下」


 これは命乞いだと大臣は直感で気がついた。同時にプライドのかけらすら捨て去った姿に怒りを覚え、自分達を庇わずに媚を売る姿勢に失望もした。兵士達もまた同じ気持ちであり、やり場のない気持ちに支配されていた。


「あらあらー? なにか勘違いしちゃってる人がいるようねえ。国王さま? どうしてあ・な・た・が」


 立ち上がった彼女は、四つん這いになっていた国王の側まで進むと、雪山すら暖かく映るほど冷たい視線を送る。そして、右足のヒールで王の左手を潰し始めた。


「ぐあああ! や、やめ、」

「あなたのような男が、なにを赤ちゃんぶっているのよ。気持ちが悪いわ」

「ぎゃああああ!」


 指を一本一本潰されて悲鳴を上げるが、竜の母は奇妙な術で全身の自由を奪っている。いつの間にか霧のように噴き出された魔法の束縛が、王を四つん這いのまま動けなくしていた。


「あら? そういえばあなた達、どうして立っているの」


 今度は何だ。絶対的な力の差に抗えない彼らは、ただ震えるしかない。


「ごめんなさい。分かりづらい表現だったわね。どうして赤ちゃんが、二足歩行なんてしているの? 今からはちゃんと、ハイハイをしなさい」


 先程までの氷のような視線とは一転、まるで聖母のような微笑を浮かべるベラに、大臣達は心底恐怖し従う他なかった。

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