第9話 現れた竜
「おーっす。今日もちょっぴり肌寒い中、お仕事ご苦労さんです。国王様っています?」
レシア城の正門前で、兵士達二人に軟派な態度で話しかける若者がいた。短い白髪をしているが年は二十歳そこそこだろう。黒いズボンと、同じ色のブーツを履いているが布で作られた服は花柄だった。いかにも旅行で来た、と言わんばかりの軽さに思える。
兵士達は常識のなさそうな若造にため息を漏らした。
「国王は現在謁見の間におられるだろう。謁見許可証は持っているのか?」
「あはは。いやー、ちょっと持ってないっすね」
「謁見には許可証が必要だ。無いのならお引き取り願おう」
「ええー。困っちゃうなぁ。俺ぁどうしても、すぐに王様に会わなくちゃならないんすよ。だってほら……」
男は兵士の一人に近づき、耳元に顔を寄せた。
「王様ってば、あっちのほうで楽しめる人探してるんでしょう? 他のお偉いさんにバレないようにこっそりとさ。その話で来たんですよぉ」
「……皆目検討もつかんな。何の話をしている?」
「ふぅーん。本当はご存知の癖に、存外固いんすねえ」
「さっきから聞いていれば、お前は我々や国王を愚弄しているのか?」
堪らず反対側にいた兵士が詰め寄った。男は苦笑いしつつ両手を上げ、降参の意思を示す。
「いやいやー! ちょっと待ってくださいよ。愚弄するだなんてあるワケないじゃないっすか。だって、アンタらは愚弄するほどの価値もないわけだし」
「な、なんだと貴様!」
「……待機所に連絡してくれ。国王への侮辱を行なったとして逮捕する」
兵士の一人が門の側にある旗を上げ合図を送る。その間、もう一人は白髪の男を睨みつけ、腕をがっちりと掴んでいた。
「もはや謝罪など聞かんぞ。貴様は不敬が過ぎる」
「あー怖い怖い。しっかしあれだなぁ。聞いてた話と全然違うじゃん。まあいいけどね。プランを変更するだけだし。俺は元から………こっちがやりたかったんだからな」
合図を送り終え振り向いた兵士は、少しの間頭が真っ白になった。白髪の男の全身から赤い何かが噴き出ている。相棒の兵士は三歩ほど交代して前のめりになり、右腕を抑えているようだ。右腕は肘から先がなくなっていた。
「な!? ど、どうした!」
「あーうるせーな。お前らは本当によく喚く」
白髪の男は掌を上に挙げ、赤い光を上空に飛ばした。光は僅かにある雲と重なりそうな位置まで到達してから爆発を起こし、光の文字を生み出す。
右腕を無くした兵士は、地獄の苦しみに耐えながらも光の紋章を凝視し、更なる驚きに目を見開いた。
「あれは……竜?」
「俺達の象徴だ。正確に言えば、俺たちの母だけどな」
紋章には明確な意味があった。直後、広大なレシア城下町のありとあらゆるところに、突如として怪物達が出現した。人間に成りすましていた竜達が、その偽装を解いて巨大化し、町への攻撃を開始するための合図だったのだ。かくして地獄が始まる。
ついさっきまでの軽い雰囲気が消え去った白髪の男は、いつの間にか容姿が変貌していた。身体中に奇妙な黒い紋章が浮かび上がり、背中に鋭く大きな羽が生えている。身長は先程までと変わらないが、他の竜とは異なる恐ろしさが滲み出ていた。
兵士達はあまりの恐怖に震えたが、しかしそれでも戦おうと剣を抜く。男は心底嫌そうに首を振る。
「勝てないと分かっていながら挑む。忠誠心もあると。あー……嫌いじゃないけど、惜しいな。同族だったらスカウトすんだけどさ」
「誰だ!? お前は何者だ!」
それが二人の兵士が最後に放った言葉だった。並の人間には視認できないほどの速度で放たれた風魔法が、兵士達を肉塊に変える。
「俺ぁゴードリックだ。安心しろよ。お前らの後に、すぐこの国の奴ら全員送ってやるからさ」
◇
竜と人間達との戦いはあまりに一方的だった。
人間が作り上げた武器、習得した魔法、集団戦術といったものが、古の覇者達にはほとんど通用しない。レシア国精鋭の騎士や兵士団、凄腕と称される冒険者達でも、一匹倒すことですら至難の技だ。
竜側が百体程度に対し、人間側は数万を超えている。数では圧倒しているが、象に蟻が挑んでいるようなものであった。
巨大な三つ首の竜や空飛ぶ黒龍、でっぷりと太った巨漢のような竜が容赦無く蹂躙していく中、町民達は必死に逃げ惑うしかない。
その中でも追い詰められていた住民達がいた。三十人ほどが固まって逃げていたが、住宅街の端に追い込まれて逃げ場所がない。大きな腹をした体長にして十メートルはあろうかという桃色の竜が、棍棒片手に迫っている。ワニのような口からはよだれが垂れて、地面に水溜りを作っていた。
「ふん。今日のおやつはこいつらで決まりか。まあ、悪くはねえかな」
老若男女三十人余りが怯えることしかできない。
「でも、その前に潰しとこ」
小さな子供達が悲鳴を挙げる。大柄な体躯にもかかわらず俊敏な腕が、棍棒を勢いよく振りおろした。
「きゃあああ!」
あらゆる悲鳴が混ざり合い、混乱に陥る人々の体が無惨に潰されるよりも先に、棍棒のほうが弾かれたので竜は驚いた。
「ああ? どうなってんだ」
「これは……二回目は無理ですよ」
白く丸い壁が民衆を守っている。プリーストレグが貼ったダメージバリアが、崩壊一歩手前になりつつも棍棒の一撃から守り抜いていた。
「セリナ! 早く狙ってください!」
レグの叫びが届いていたかは定かではないが、すぐに飛び込んできた矢が棍棒に突き刺さる。桃色の竜は首を傾げていたが、数秒後に棍棒が爆発して木っ端微塵になり飛び退くほど仰天した。
「うおお!? 畜生! 何をしや——」
言い終わるより前に、唐突に竜の顔が地面に落下する。すぐ背後にあった屋根の上に立っていた男の剣が、あっさりと頑丈すぎる首を切断したからだ。
「あれは……王子?」
「王子様だ! ロラン王子が帰ってきたぞー」
「王子様ぁー!」
助かった住民達は、屋根の上で剣を振るっていたロランの姿に希望を見出し歓喜した。
(王子だって? まさかロラン殿、王族だったのか!? こ、これは……ますます筆が捗る)
側で聞いていたレグにとっては大きな情報だった。しかし、状況は依然として危機的であり、第一王子が戻ってきたからといってどうにかなる筈がない。誰もがそう考えてしまうだろう。
ロランは常人離れした助走と跳躍力で、町の中心に位置する教会の屋根に飛び乗り、一度は抜いていた剣を鞘に収める。そして大きく腰を落とし、もう一度剣の柄を右手で握った。
今や祖国は地獄絵画そのものだ。彼は全方位に一瞬視線を巡らした後に意識を研ぎ澄ましていく。鞘から七色の光が漏れ出し、徐々に剣全体に広がっていった。ロランはタイミングを図っている。それはより多くの竜達を同時に仕留めるために必要な作業だった。
竜達が怒り暴れ、口から炎や雷や毒の息を噴射してくる。それらはロラン自身にもいくつか当たってはいたが姿勢は崩れない。彼には常人離れした奇妙な感覚があった。戦場の状況や動きを掴み取ってしまう、五感ともまた異なる奇妙な感知能力だ。
ロランはこういった感覚は、ドラゴン相手にのみ機能するものと考えたが、実際にはどんな相手にも通じ得る能力だった。その感覚が答えを呼ぶ。炎や氷に当てられた体が一気を一気に回転させ、鞘を引き抜き剣を振るう。
抜かれた刃から伸びた光が長く鋭く成長していき、そのまま水平にロランと共に一回転した。生み出された光はレシア全体を占めるほどの長さとなり、敷地内に攻め入っていた竜達のほとんどに命中した。
この一撃が決定打になった。一騎当千と称しても大袈裟ではない光の刃。三つ首の竜は全てが胴体とお別れし、他の竜達もまた絶命を余儀なくされる致命傷を負い倒れていく。百体近くいた竜のほぼ全てが倒れ、残すところ数匹というまでに減少していた。
「セリナ! レグ! 他の竜は任せた。僕は先に進む」
「え!? わ、分かった! あたしも後から行く! 死なないでよ」
「くれぐれも、無理はしないで下さいね」
残っている竜達に構っている場合ではない。ロランは背後に恐ろしいほど強力な竜の気配を感じ取っている。
「お前随分と派手にやってくれたじゃねえか」
振り返ると、白髪と長身が印象的な若い男がいた。しかし、顔や露出した肌には無数の紋章が刻まれており、背中には羽が生えていた。
「君が竜達を率いていたのか。しかし、絶滅したという伝承があった筈なのに。なぜだ?」
「ふん! 俺たちが絶滅なんてするわけねえだろうが。でもよお、死なない為に欺くことだって必要だったのさ。殺し合いの前に、一つだけ褒めてやる。竜をこれだけ大勢ぶっ殺せた奴は、今も昔もお前だけだろうよ。名前は?」
「……ロランだ」
「いい名前だな。俺はゴードリック。そんな大健闘をしたお前なわけだが。残念ながらこの後すぐに死を迎える。可哀想だから先に教えてやる」
ゴードリックの掌からゆっくりと赤く、彼の長身と同じほど長い刃が姿を現した。金枠の鍔や柄までが抜けきって空中に浮かび、それを左手で掴む。
「神すら殺す竜の剣。竜の血を引くものだけが扱えるこの剣がある限り、お前に勝機なんかねえ」
ロランは無言で背中に預けていた盾を取り、右手に剣を構える。竜もまたそれ以上は語らず、ただ黙るのみ。
しばらくの沈黙の後、二人はほぼ同時に走り出した。
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