第4話【会えない】

「鬼灯よ」



 翌朝、××高校にやってきた鬼灯を出迎えたのは、銀髪赤眼の男子生徒である。


 窓の向こう側に堂々と仁王立ちをする銀髪赤眼の男子生徒――ユーイル・エネンの側には鬼灯の親友である青柳永遠子あおやぎとわこも控えていた。

 彼女も何が楽しいのか、ユーイルの真似をしている。今日は仲良くしたい気分なのだろうか。


 鬼灯は自分の鞄を机の横に引っ掛けると、一時間目に控える化学の教科書とノートを取り出した。ノートの空きスペースにシャーペンを走らせ、記載した文章をユーイルの目の前に突き出す。



『何しに来たの』


「腹が減った、と言いに来た」



 ユーイルは頬を膨らませると、



「最近、オマエの近くには碌な幽霊が引き寄せられないではないか。飽きてきたぞ、そろそろ美味い幽霊を所望する」


『貴方の味覚基準が分かる訳ないでしょ。我慢してよ』


「知らん。オレは腹ペコなのだ、幽霊を食わせろ!!」



 バンバンとユーイルが窓を叩くものだから、幽霊の見えない生徒たちはポルターガイスト現象かと怯えた素振りを見せる。実際に何名かの女子生徒は泣き始めてしまった。完全にユーイルのせいである。


 鬼灯がユーイルを睨みつければ、彼は「知らん」と言わんばかりにそっぽを向いた。

 彼には食事が出来ればそれでいい訳で、他はどうでもいい存在なのだ。周りを顧みないとはさすが悪霊である。お祓いでもすれば効果はあるだろうか。


 嘆息を漏らす鬼灯は、



『黒海先生のところに行けばいいじゃない』


「……オマエ、何故その名前を知っている?」



 明らかにユーイルの纏う空気が変わった。


 鬼灯がノートに書いた『黒海先生』という四文字を睨みつけ、彼はふいと視線を逸らす。

 隣にいる永遠子とわこが「どうしちゃったんだろう?」と不思議そうに首を傾げていた。それぐらいに、ユーイル・エネンにとっては黒海音弥という存在は地雷なのだ。


 鬼灯が謝罪の言葉をノートに書こうとした瞬間、朝のホームルームが始まる鐘が鳴る。姿の見えない悪霊のユーイルが窓を叩いたことが怖くてメソメソと泣く女子生徒も自分の座席に着いた。



「やい、鬼灯よ。オレの飯は」


『おじいちゃんご飯は食べたでしょ』


「オマエ、オレをおじいちゃん呼ばわりするな!!」



 ユーイルは憤るが、その声は鬼灯以外の誰にも届かないはずだった。



 バサバサバサッ!!



 抱えていた書類や出席簿などを取り落とす音が、教室内に響き渡る。


 鬼灯のクラスにやってきたのは、担任の教師ではなかった。

 着崩したシャツとヨレヨレになったスラックスの上から白衣を羽織り、もじゃもじゃとした黒髪は鳥の巣を想起させる。長めの前髪の下から覗く黒曜石の瞳を見開き、窓の向こう側を見つめたまま動きを止めた男性教師。


 ――黒海音弥くろうみおとやがそこにいた。



「え……」



 何で黒海先生がここに、という質問は誰からも起きなかった。


 それよりも先に、黒海音弥くろうみおとやの方が奇行に走ったのだ。

 彼は親を見つけた迷子のような泣きそうな表情で窓際に駆け寄ると、ガラス戸を開けて叫ぶ。



入祢いるね!!」



 その名前を聞いたユーイルは、窓を開けて叫んだ黒海音弥くろうみおとやを一瞥すると何事もなかったかのように姿を消した。その場に取り残された永遠子も「え、あ」と慌てた様子でユーイルの後を追いかける。


 音弥は消えたユーイルを探すが、銀髪赤眼の男子生徒の姿が見えないと分かるや教室から飛び出していく。

 その姿を見た他の教員や生徒たちは「黒海先生!?」「どこに行くんですか!!」と口々に叫ぶ。便所サンダルを突っ掛けているだけとは思えない俊足で、音弥はどこかを目指して廊下を駆け抜けた。


 慌てふためくクラスメイトの中で、鬼灯だけは行き先を知っていた。



「黒海先生……」



 彼が叫んだ「入祢いるね」という名字。


 それがおそらく、ユーイルに関係のあるものなのだろう。

 あの銀髪赤眼の男子生徒と黒海音弥が同級生という関係があるのだとしたら、ユーイル・エネンという名前は偽物になるのか。


 鬼灯は席から立ち上がる。代わりの先生が教室に入ってくるが、背後から名前を呼ばれても鬼灯は止まらなかった。


 多分、あの先生は止めなければならないんだと思う。

 ユーイル・エネンという男子生徒の為にも。



 ☆



 馬鹿な奴だとは思う。


 これは自分自身が背負ってしまった罪であり、間違いだ。

 彼が気を病む必要など、どこにもない。



「……大馬鹿野郎め。オレのことなど忘れてしまえば、もっと気楽に生きられたろうに」



 旧校舎の片隅で膝を抱えるユーイルは、ポツリと呟く。


 噂は本当であれと願っていたが、心のどこかでは嘘だと信じていた。

 幽霊などこの世に存在せず、怖い話も全体的に誰かの妄想を面白おかしく誇張しただけに過ぎない。作り話として信じていたからこそ楽しめたのであって、旧校舎を舐めていたユーイルが悪いのだ。


 だから、あの男が悩むことはない。


 せいぜい馬鹿な友人の存在など忘れて、綺麗な嫁でも貰って、可愛い子供や孫にでも囲まれて、安らかな老後を迎えて死んでくれればいい。

 その時、迎えに行けないのが少しだけ残念だ。「オマエの人生は楽しかったか?」と問えないのが寂しい。



「ふん。だからこっちが忘れてやるのだ。見えないと思い込めば、あの大馬鹿野郎も諦めてくれるだろうに」



 すると、どこか遠くで扉の閉じる音が聞こえた。



 ぎぃー、ばたん。



 誰かが旧校舎を訪れたようだ。



「鬼灯でも追いかけてきたのだろうか。何も言わずに消えたから、きっと怒るだろうなぁ」



 はあ、面倒だ。


 ユーイルは深々とため息を吐き、制服についた埃を落としてから旧校舎の玄関に向かう。

 遠くで揉めるような声が聞こえてきたのは、旧校舎の玄関に近づいてからだった。

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