第5話【再会】

 案の定と言うべきか、黒海音弥くろうみおとやは旧校舎の前にいた。


 今まさに扉を開けようと、その錆びついたドアノブに触れる。

 あの銀髪赤眼の男子生徒を意地でも探そうとしているようだが、彼の為にも黒海音弥を止めなければならない。きっとその方がいいと鬼灯は判断した。



「黒海先生!!」



 鬼灯は少しだけ開かれた旧校舎の玄関扉を、無理やり閉ざす。



「この先はダメです。貴方の噂通りなら、旧校舎は人間を食べるんですよね?」


「この先に入祢いるねがいるんだ!!」



 錆びたドアノブを握りしめ、音弥は叫ぶ。



「会って……会ってもう一度だけ話がしたい。それだけなんだ。ただ一言だけ……ごめんって謝れれば、背中を押してしまってごめんって……」



 旧校舎の扉を開けようとする音弥の手を叩き、鬼灯は立ち塞がるようにして音弥と旧校舎の扉の間に身体を割り込ませる。


 虚ろな黒い双眸には、ただおぞましいほどの執着が浮かぶ。

 この先に待ち受ける銀髪赤眼の男子生徒――ユーイル・エネンに会いたいという強く醜い感情。今まで見てきた幽霊や怪物よりも恐ろしい、強い想いを抱く人間がそこに立っている。


 正直な話、鬼灯には関係のないことだ。


 黒海音弥くろうみおとやは望んで旧校舎に突撃を仕掛けた。ならば、通せんぼなど止めてさっさと旧校舎に叩き込んでしまえばいい。

 旧校舎に食われたとしても、音弥は何も思わないだろう。旧校舎の幽霊に新しい顔ぶれが増えるだけだ。



「……ユーイルは、貴方を歓迎しませんよ」



 それでも、鬼灯は扉の前から退かなかった。



「何が理由か不明ですが、彼は貴方を避けています。忘れる方が賢明だと思いますよ」


「でもいたんだ……!! 窓の向こうに、入祢いるねが!!」


「いましたよ。でも貴方を見た途端に逃げました。避けられていることぐらい自覚を持ってください」



 鬼灯を無理やり退かしてまで旧校舎に踏み入れようとしないところを見ると、彼の言う『入祢いるね』とやらに避けられていると自覚はあるのだろう。一体何が理由で避けられているのか不明だが、ユーイルにも事情はあるはずだ。


 解決するには、まだ時間が早すぎる。

 距離を詰めすぎれば相手に警戒されるし、踏み込みすぎれば突き放される。黒海音弥くろうみおとやに必要なのは時間だ。



「黒海先生、戻りましょう。何故うちの教室に来たのか分かりませんが、ホームルームがまだ終わって」





「そこにいるのは音弥か?」




 錆びた扉の向こうから、聞き覚えのある声が聞こえた。



「……入祢いるねか?」



 音弥の乾燥した唇が、追い求めていた男子生徒の名を呼ぶ。


 鬼灯が背にした旧校舎の扉の向こう側で、何かが蠢く気配を感じ取った。

 人間ではない。かといって、ユーイル・エネンが冗談で来たとは思えない。


 この向こうにいるのは、一体誰だ?



入祢いるね……入祢!!」


「待って、待ってください!!」



 我を忘れて扉をこじ開けようとする音弥を押し留めて、鬼灯は扉に向かって叫ぶ。



「ユーイル、どういうこと!? こうなるって分かってて煽りに来たの!?」



 その言葉へ応じるかのように、扉が開く。



 ぎぃー。



 蝶番の軋む音、埃臭い空気が鼻孔を掠める。

 触れてもいないのに開いた旧校舎の扉は、鬼灯と音弥を誘うように待ち構える。


 どこまでも続く薄暗い廊下。腐った床板が所々に見受けられ、壁に貼られた標語は今にも剥がれ落ちそうだ。

 見慣れたはずの旧校舎の廊下だが、何故か今はとても恐ろしい。まるで生き物の喉奥を見ているかのようだ。


 呆然と廊下を眺める鬼灯と音弥を廊下に招き入れるかのように、どこからか制服に包まれた腕が伸びる。



 すぅー……。



 音もなく開いた、どこかの教室。


 そこから伸びた華奢な腕は、詰襟の袖に包まれていた。

 生白い指先が上下に動き、鬼灯と音弥を呼んでいるようだ。


 その得体の知れない腕は、果たして誰のものか。



入祢いるねなのか……?」



 音弥が問いかける。



 ゆら、ゆら。



 腕は上下に揺れるだけ。



「本当に、入祢いるねなのか?」


「待ってください、黒海先生。あれは」


入祢いるね!!」



 玄関扉を潜ってすぐ近くの部屋から伸びる腕に誘われ、音弥が旧校舎の廊下に足を踏み入れようとする。


 鬼灯は慌てて音弥の腕を掴んだ。

 成人男性に勝てる訳がないと思っているが、ここで彼を行かせる訳にはいかなかった。懸命に腕を引っ張って、旧校舎へ入るのを阻止する。



「だーめーでーすー!!」


「離してくれ……!! 入祢いるね、入祢ぇ!!」



 得体の知れない腕に呼びかける音弥だが、次の瞬間、何故か鬼灯ごとまとめて後方に吹き飛ばされた。


 鬼灯よりも身長が高く、なおかつ筋肉もある大人の男性が無様に地面へ転がったのだ。

 こんな芸当が出来るのは誰かが蹴飛ばすしかないだろうが、その犯人は旧校舎の玄関扉に仁王立ちをしていた。



「もう何十年と時を経ているにも関わらずメソメソメソメソと……オマエはオレの何だ? 彼女か?」



 肩に届く純銀の髪と、赤い色の双眸。



「全く、自分自身のせいで死んだ愚かな同級生のことなぞさっさと忘れてしまえばいいものを……」



 端正な顔立ちにしかめっ面を浮かべ、詰襟を身につけた男子生徒。



「音弥、オマエはどうしてオレを忘れることが出来ん。オレは出来れば、オマエに会いたくなかったぞ」



 旧校舎を根城にする悪霊――ユーイル・エネンがそこに立っていた。

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