第5怪:入祢由縁

第1話【生物教員】

 仲のいい友人がいた。


 相手がどう思っているのか不明だが、自分は友人と思っていた。

 悪戯好きで怖いもの知らず、心霊スポットを巡っては嬉々として報告してくれる同級生だった。特に学校の怪談を好み、深夜に校舎へ忍び込んでは見回りの教員から何度も怒られていた。


 その友人が、この学校でまことしやかに囁かれる噂話の真相を確かめようと乗り出したのだ。



「決めたぞ。オレは旧校舎を探検しようと思う」



 夕陽が差し込む放課後の教室に、友人の生き生きとした声が響く。



「あの旧校舎は随分前から立入禁止になっているが、では何故いつまで経っても旧校舎は取り壊されないのだろうな? 気になって仕方がないぞ」


「本当に幽霊が出るからだと思うよ」



 自分は怖いもの知らずな友人に助言をするだけ。



「あそこの旧校舎は出るって噂があるんだ。本当だよ」


「それはどんな形状をしている?」


「それは……」


「答えられないだろう。オレはそれを確かめてみたいのだ」



 友人はニヤリと笑い、



「幽霊が出ると言うのならば、どんな幽霊が出るのかハッキリしたい。トイレの花子さんも、踊る人体模型も、踊り場の鏡も、屋上から飛び降り続ける女子生徒の幽霊も、みんな嘘っぱちだったのだ。何か一つぐらい本物の怪談があってもいいだろうに」



 そう言って、友人は窓の外を見やった。


 この新校舎が出来てから、半年が経過した。真新しい校舎はどこもかしこもピカピカで、友人の言う怪奇なんてあるはずがなかった。

 そして新校舎から見える校庭の隅にひっそりと存在する木造の校舎――旧校舎は、何とも不気味な気配を漂わせていた。夕暮れも相まって、黒い影のようなものが旧校舎付近を支配しているようだった。


 友人はうっとりと旧校舎を眺めると、



「ああ、いいな。とても素晴らしい」


「…………止めた方がいいと思う」



 旧校舎に突撃しようと目論む友人に、自分は止めるように言う。



「あの旧校舎は洒落にならない。だから止めておいた方がいい。絶対に行かないで」


「なるほど、オマエは怖いのか?」



 友人は自分に詰め寄ると、



「洒落にならないのであればそれで結構、幽霊は本当にいるのだと証明になるな。オレは幽霊が見てみたいのだ、それで死んだのであれば本望だ」


「でも俺は……ッ!!」



 行ってほしくない、という言葉が出なかった。


 友人は旧校舎に行くことを望んでいる。そこがどんなに危険な場所だろうと、友人は旧校舎に忍び込んで幽霊を目撃することになるだろうか。

 これ以上、彼を止めるのはよくない。そう思ったからこそ、自分はこう言葉を選んだ。


 ――いいや、選んでしまったと言うべきだろうか。



「……明日、その感想を聞かせて」


「任せろ。最高に面白おかしく話してやろうではないか、楽しみにしているがいい」



 友人はいつものように爽やかな笑みで言い、その日は別れた。





 そして次の日、友人の入祢由縁いるねゆえんは行方不明となった。



 ☆



「化学の八重笠先生がお休みだって」



 女子生徒の一人がそんなことを言っていた。


 ちょうど次の授業は化学で、担当教科の先生が休みということは他の先生が監督に来るのだろうか。

 授業の準備をしていた鬼灯は、そんなことを考えながら化学の教科書とノートを机に並べる。担当教科の先生が休みであれば、自習か何かになるのだろうか。


 授業の準備を手早く終えた鬼灯は窓の向こうを眺める作業に戻るが、噂好きな女子生徒たちは「じゃあ次の授業は誰がやるの?」という内容になる。



「確か、来たばかりの先生がプリントを届けに来てくれるみたいだよ」


「え? 誰?」


「ほら、生物の先生だって」


「生物の先生って二年生のか。初めて授業を受けるかも」


「まともに話すのも初めてじゃない?」


「あんまり見かけないもんね」



 あまり見かけない生物の先生。


 鬼灯も覚えはない。そもそも他人に興味がない時点でお察しだ。

 全校集会の際に紹介してもらった記憶はあるけど、どんな顔をしていたのか覚えていない。


 そういえば先日、旧校舎を訪れた白衣の男性がいただろうか。彼も見かけない顔をしていたが、まさか彼ではないだろうか。



(……ユーイル、一体どうしたんだろう)



 彼が旧校舎を訪れる際、あの旧校舎を根城にする銀髪赤眼の男子生徒は「オレはいないと言え」と言ったのだ。それからどこかに隠れて、あの白衣の男性から逃げた。

 あの白衣の男性とユーイルは何か関係があるのだろうか。関係するのであれば面白いのだが。


 鬼灯はぼんやりと窓の外を見ながら思考に耽っていると、授業の開始を告げる鐘の音が鳴る。



 きーんこーんかーんこーん。


 ――がら。



 扉の開く音が遅れて聞こえてくる。


 鬼灯は居住まいを正し、教室へやってきた先生に注目する。

 鳥の巣を想起させるもじゃもじゃとした黒髪、長い前髪の隙間から覗く黒曜石の双眸。だらしなく着崩したシャツとスラックスの上から白衣を羽織り、やや摺足で教室に入ってくる見覚えのある男性。


 あの時、旧校舎にやってきた男性だ。



「……八重笠先生から自習用のプリントを預かってきたので、それをやってください。分からないことがあれば聞いてください」



 教壇の前に立つ男性は、ぐるりと教室中を見渡して言う。



「初めまして、三年生の皆さん。今年度、この××高校に赴任しました黒海音弥くろうみおとやと言います。あまり接点がないので、この機会に名前を覚えて帰ってくださいね」



 そう言って、白衣の男性――黒海音弥は不気味に微笑んだ。

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