第5話【夕闇に沈む線路にて】

 ピコン。



『ねえ、今どこにいるの?』



 親友の名前によるメッセージを受信して、鬼灯は視線を遠くに投げた。


 異界駅にも時間の流れはあるのか、青い空は真っ赤に染まっている。

 建物も何もないどこまでも広がる草原も橙色に染まり、柔らかな風を受けて草花が揺れる。これだけではどこにいるのか分からない。


 草原の中にポツンと佇む神沙那かみしゃな駅のベンチに座る鬼灯は、



神沙那かみしゃな駅ってところ』


『どこよ?』


『分かんない……』


『早く帰ってきなよ? お父さんもお母さんも心配するよ』



 お父さんと、お母さん。


 親友が送ってくるメッセージ文に並んだ二つの単語から目を逸らすように、鬼灯は携帯電話の画面を消した。

 どうせ彼らは鬼灯のことを心配しない。どれほど遅く帰ろうと、鬼灯がどれほど非行に走ろうと、絶対に心配などしない。


 ぼんやりと風に揺れる草花を眺める鬼灯の隣に、銀髪赤眼の男子生徒が勢いよく腰掛けてくる。腹の中に収めた幽霊たちが身につける衣服などでごっこ遊びに興じていたユーイルが、ようやく遊び疲れて戻ってきたのだ。



「満足した?」


「うむ、なかなか楽しめたぞ」


「そう」



 鬼灯は興味なさそうに応じると、



「じゃあ帰ろう」


「どうやって?」


「線路でも辿ればいいんじゃない?」


「それは名案だな」



 鬼灯は学生鞄を抱えて立ち上がると、錆びついた線路を覗き込む。


 草原を貫くように敷かれた線路はどこまでも続き、果てが見えない。

 この線路を辿っても、元の世界に帰れるか定かではない。それでも電車が来ない以上、もう線路を辿って帰るしか方法はない。


 迷いなく線路に降り立った鬼灯は、駅のホームで幽霊たちが着ていた衣類を抱えて下手くそな円舞曲ワルツを披露するユーイルを呼ぶ。



「行くよ」


「分かった」



 大切そうに抱えていた衣類をゴミでも捨てるかのような手つきで神沙那かみしゃな駅のホームに叩きつけたユーイルは、鬼灯を追いかけて錆びついた線路に降り立った。


 真っ赤に染まる線路が続いていく。

 足場が悪くてよろけそうになるが、鬼灯は気をつけて歩いた。背中から追いかけてくるユーイルは、幽霊という立場を利用してふわふわと空中を漂っていた。非常に羨ましい。


 今だけは幽霊の立場が疎ましく思う。こんな足場の悪い場所を、わざわざ歩かなくていいのだから。



 ピコン。



 携帯電話にメッセージが受信される。


 画面に視線をやると、親友からまた心配する内容の文章が並んでいた。

 少しだけ遠くに行っただけなのに、彼女は心配性な娘である。あまり迷惑をかけたくないとは思うが、この体質が改善されるまでは迷惑をかけてしまうかもしれない。


 見慣れたメッセージアプリの画面には、親友の言葉でこうあった。



『後ろにいる奴って誰』



 


 首を傾げた鬼灯は、少し立ち止まって背後を振り返る。

 ちょうど真横を何気なく通り過ぎたのは、銀髪赤眼の男子生徒だ。


 それ以外はいない。見慣れた親友の姿も、この線路上には見当たらないのに。



「どこから……」



 彼女はどこから見ているのだろうか、と鬼灯は周囲を見渡す。


 だだっ広いだけの草原が続き、建物一つ見つからない。誰かが立っていればすぐ分かるのに。

 親友はどこから鬼灯のことを監視しているのだろう?



「どうした、鬼灯よ」



 少し離れた位置で止まったユーイルが、鬼灯へと振り返る。



「疲れたとしても、手は引いてやれんぞ。自力で歩け、面倒臭い」


「最後の台詞が本音じゃないの。――そうじゃなくて」



 鬼灯は携帯電話の画面をユーイルに突きつけ、



「親友が変なことを言うのよ」


「…………まあ、確かに変だな」



 ユーイルは携帯電話の液晶画面を睨みつけると、



「鬼灯よ」


「何よ」


「この文章、本当に読めているのか? オレには何が何だかサッパリなのだが」


「え? 貴方って文字が読めないの?」


「阿呆。ちゃんと読め」



 ユーイルが鬼灯の手から携帯電話を奪い取ると、その液晶画面を鬼灯に突きつけてくる。


 液晶画面に表示されているのは、親友から送られてきたメッセージ。

 どこにいるの、何をしているの、などの身を案じる内容のものから、今日の宿題の内容を問う何気ない話題まで様々だ。


 特殊な文字は使用しておらず、鬼灯にもきちんと読める文章なのだが。



『鬼灯、そこは陦後°縺ェ縺?〒』


『鬼灯、今日の宿題縺イ縺ィ繧翫↓縺励↑縺?〒』


『鬼灯』


『荳?邱偵↓陦後%縺』



 ジジ、ザザザ。



『鬼灯』


『ねえ鬼灯』


『そこにいるの』


『どこにいるの』


『ひとりにしないで』


『ひとりにしないよね』


『あたしたちともだちだよね?』


『ねえ』


『ねえ』


『ねえねえ』


『ねえねえねえ』



 ピコン、ピコン、ピコン、ピコン、ピコン、ピコン。



『ねえ』


『鬼灯』


『無視しないで』


『騾?′縺輔↑縺』


『迎えに行くよ』


『危ないでしょ?』


『ねえ』


『鬼灯』



 無数に送られ続けるメッセージ文に、鬼灯は恐怖を覚える。


 親友がここまで狂うことはなかった。

 どうしておかしくなってしまったのだろう?


 キーボードに指を置くが、親友に向けて送る文章が思いつかない。

 彼女を宥めるにはどうしたらいい?


 冷や汗が背筋を伝い落ちていく緊張感と恐怖に立ち尽くす鬼灯の手から携帯電話を奪い取り、ユーイルは液晶画面をめつすがめつ観察する。



「なるほどな」



 携帯電話を鬼灯に突き返したユーイルは、



「鬼灯よ、鬱陶しいから切れ」


「え、あ、うん」



 鬼灯は電源ボタンを長押しにし、携帯電話の電源を落とした。

 これで親友から狂ったメッセージを送られることはなくなる。少しだけホッとした。


 ユーイルはニヤリと笑うと、



「なるほどなぁ、次の晩餐が決まったようだ」


「まさか……」


「その親友とやらだ。オレはソイツを食うぞ」


「そんなことさせない!!」



 鬼灯はユーイルを睨みつける。


 自分にとっては唯一無二の親友なのだ。

 そんな彼女を、傲岸不遜なこの悪食野郎の食事にさせる訳にはいかない。


 ユーイルは不思議そうに首を傾げると、



「どのみち食うことになるぞ。事態は進んでいるのだからな」



 ユーイルは弾んだ声で、



「楽しみだなぁ、オマエの親友とやらは一体どんな味がするのだろう?」



 そう言うと同時に、彼はフッと姿を消した。


 いつのまにか鬼灯は、人気の多い月無町の駅に立ち尽くしていた。

 怪しいものでも見るかのような視線を寄越してくるサラリーマンの横をそそくさと通り過ぎ、鬼灯は電源の切れた携帯電話を握りしめる。


 絶対に親友を食べさせるものか、と心に決めながら。











 電源の切れた携帯電話が、メッセージを受信する。



『鬼灯』


『あたしたち』


『ずっと一緒よね?』

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