第4話【忘れられた少女】
神様のようだ、と言われたことがある。
苗字が『神』とあり、名前が『
神様と
疎んだ覚えはない、恨みを抱いたことも。
自分にとっては両親から贈られた大切な名前で、沙那も少しだけ気に入っていた。
「『これから帰るね』っと……」
その日は何をしていたか。
スマホのメッセージアプリで母親に帰宅することを連絡した沙那は、いつものように電車を待っていた。
近場とはいえ、三駅ほど電車を乗らなければならない。自転車通学も考えたが、意外と距離があるので電車が一番楽なのだ。
帰る時は連絡を必ず入れろと耳にタコが出来るほど言われてきたので、沙那は連絡を欠かしたことはない。両親に心配をかける訳にはいかない。
『間もなく、ジジ……ザザザ、ガリガリ……が参ります。安全の為、黄色い線の内側まで下がってお待ちください』
駅構内に終点を告げるアナウンスが流れたが、その肝心の終点の駅名に雑音が混ざったのだ。
沙那は顔を上げて電光掲示板を見やる。
電光掲示板には見慣れた駅名が並んでいるはずなのだが、何故かこれから来る電車の行き先が唐突に文字化けしてしまう。
「読めない……」
何が起きている?
周囲の人々はスマホをいじったり、音楽を聴いていたり、友達とお喋りをしていたりで電車のアナウンスを聞いていない。
まともにアナウンスを聞いていたのは、ちょうど両親にメッセージアプリで連絡をし終えた沙那ぐらいだ。
他の乗客は気づいていないのか、と駅構内を見渡すと、
「――――――――ッ」
沙那は息を呑んだ。
それまで賑やかだったはずの駅構内は、水を打ったように静まり返っている。
誰も彼もが光の差さない瞳でホームを見つめている。それまでスマホをいじっていた人も、音楽を聴いていた人も、楽しそうに友達と喋っていた人々も、誰もが無表情のままホームを見つめていた。
その光景の、何と恐ろしいことか。
ガタン、ゴトン。
ガタン、ガタン。
電車がホームに滑り込んでくる。
ここは利用客も多く、滅多なことでは座れない。
それなのに、ホームにやってきた電車は無人の状態だった。誰も乗っておらず、気味の悪さが漂っている。
ぷしゅー、がこん。
無言で電車の扉が開かれて、沙那の周囲にいた客が次々と電車に乗り込む。
絶対に乗ってはダメだ。
これに乗れば、元に戻れなくなる。
沙那は急いで引き返そうとしたが、無駄に終わった。
「行こうよ」
「いこうよ」
「逝こうよ」
「逝こうよ」
「逝こうよ」
「逝こうよ」
沙那の腕を掴む女子高生たちが、口々に言う。
彼女たちの瞳は充血し、口の端から血を流して、手や足があらぬ方向に折れ曲がっていた。指先の皮が剥けて肉が見え、骨が垣間見える手で懸命に沙那を拘束している。
悲鳴が口から漏れる。
沙那はおそるおそる背後を振り返り、電車を確認した。
電車はあまりにも古く、歴史の教科書で見かけるような形。曇った窓ガラスに額を押し当てて、沙那を睨みつける乗客がたくさん。
これを恐怖と呼ばずにどうする?
「いやああああああああああああッ!!」
沙那は血塗れの女子高生たちに引き摺り込まれ、電車は出発した。
☆
「助けて」
ボサボサ髪の少女は、落ち窪んだ瞳で鬼灯を見据えて懇願する。
「助けて助けて助けて助けて助けて助けて助けて助けて助けて助けて助けて助けて助けて助けて助けて助けて助けて助けて助けて助けて助けて助けて助けて助けて助けて助けて助けて助けて助けて助けて助けて助けて」
「無理だな」
少女の言葉に応じたのは、銀髪赤眼の男子生徒――ユーイル・エネンだ。
「オマエはすでに怪異に囚われた。もう家に帰ることすら叶わん」
「…………何で」
少女はユーイルをジロリと睨みつけ、
「何で何で何で、何で私がこんな目に遭うの何で私がこんな目に遭うの何で何で何で何で何で」
「それはまあ、運が悪かったとしか言えんな」
そう、運がなかったのだ。
それを鬼灯に求められても困る。鬼灯だって助けたいとは思うが、成仏できるルールなんて分かったものではない。
まして、彼女はもう手遅れなのだ。素人の鬼灯だって、この状況がどれほどまずいものか理解できる。
「オマエにはすでにたくさんの仲間がいるではないか。ほら、見てみろ」
ユーイルが電車に視線をやり、鬼灯もつられる。
見慣れた形式の電車はいつのまにかボロボロに朽ち果て、曇った窓ガラスに額を押し当ててガラス越しにこちらを睨みつけてくる乗客がたくさんいる。
全員してどこかが欠けていたり、どこかが取れていたり、剥がれていたり、見るに堪えない惨状を晒している。皮のない指先でガラスを引っ掻くが、指先の肉を突き破って垣間見える骨が音を立てるだけだ。
こつ、こつ、こつ、こつ。
こつこつこつ、こつ、こつ。
まるで、彼らは「ここから出せ」と訴えているかのようだ。
こつこつこつ、こつ、こつ。
こつこつ、こつこつ、こつこつ。
おー……あー……おー……あー……。
こつこつ、こつこつこつ。こつ。
こつこつ、こつこつこつ。こつ。
おー……あー……おー……あー……。
彼らの呻き声まで、鬼灯の鼓膜を震わせる。
聞きたくない、聞きたくない。
まるで地獄の底から聞こえてくるかのような呻き声など、聞きたくない。
現実逃避をするように耳を塞げば、ユーイルの実に楽しそうな声が手のひらを通して聞こえてきた。
「なるほど、なるほど。意地汚い連中だ。オマエらは列車に飛び込んで自殺を図った奴らで、この
赤い瞳を眇めたユーイルは、
「まあ、おやつ程度にはなるか。どうせ
どこからか取り出した銀色のナイフをチラつかせ、ユーイルは清々しいほどの笑みを浮かべる。
何かを察した少女が急いで電車に引き返そうとしても、すでに遅い。
共食いをする銀髪の悪霊は少女のボサボサの髪を引っ掴むと、雑草だらけの
あの時と同じだ。
夕陽に染まる旧校舎で、顔の歪んだ女教師を食らった時と同じ不気味さしか感じない黒い靄。
丁寧に銀色のナイフで少女の身体から首を切り離したユーイルは、まるでキスでもするように少女の唇に噛み付いた。
「い た だ き ま す」
少女の唇を引き剥がす。
むしゃり、むしゃり。
ごりごり、ごりごり。
むしゃり、むしゃり。
ごりごり、ごりごり。
少女の唇を咀嚼し、髪を引き千切り、眼球を指先で抉り出し、それから彼は美味そうに口へ運んでいく。
悪霊たる少女は、ユーイル・エネンという男子生徒の前では極上の霜降り肉と同等なのだ。
どこまでも甘くて美味しい料理。絶望は彼にとっての甘露。黒い
吐き気のするような食事の風景を眺める鬼灯は、思わず問いかけていた、
「ねえ」
「ふぁんだ?」
抵抗しなくなった少女の悪霊を銀色のナイフで丁寧に切り分けながら、ユーイルは鬼灯に応じる。
「それって美味しいの?」
「オレにとっては極上の料理だ」
指先を舐め、銀色のナイフで少女の身体から腕を切り取るユーイルは言う。
「オレが食べている時のオマエの恐怖も、それはもう美味いぞ。飲み物感覚だ」
「そう……」
もう何も言えなくなった。
食事の美味さが分かるのはこの悪霊だけだし、鬼灯には永遠に分かる訳がないので目を逸らすだけにする。
ユーイルは楽しそうに食事を続け、それから少女の制服とボロボロの革靴を残して綺麗に完食した。
「さて」
銀色のナイフを掴んで電車へ振り向いたユーイルは、舌なめずりをする。
「そういえば、まだここにも大量の幽霊がいたなぁ?」
それからユーイルが食事の終了を告げる挨拶をしたのは、最初の
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