第3話【神沙那駅】
だだっ広い草原のど真ん中に、ポツンと取り残された田舎風の駅。
コンクリートで作られたホームの床はひび割れ、隙間から根性のある雑草が顔を覗かせる。白線は消えかかり、点字ブロックは風雨に晒された影響で汚れてしまっている。
駅舎の屋根は錆びたトタンで、嵐を受ければ飛んでいってしまいそうな予感があった。貼られたポスターも色褪せて、生温かい風を受けてバタバタと
肝心の駅名だが、ボロボロの看板にはこう書かれていた。
「
聞き覚えのない駅だ。
開かれたまま放置されている電車の扉の前で立ち尽くす鬼灯は、駅名を口にする。
きさらぎでも何でもなく、聞き覚えのない意味の分からない駅だ。こんな駅が本当に異界駅なのだろうか。
すると、呆然と立ち尽くす鬼灯の横を通り抜けて、銀髪赤眼の男子生徒がヒョイと電車から降りてしまう。
「ほうほう、ここが
「ちょ、ちょっと……ッ!!」
雑草が生えた駅の床を革靴で踏みつけ、ユーイルは電車の中に取り残される鬼灯へ振り返る。
「何をしている、鬼灯よ。そんなところにいつまでもいないで、さっさと来い」
「何があるか分からないのに、降りれる訳が……ッ」
「何があるか分からない? それが恐怖の
ユーイルは「おかしいな?」とでも言うかのように首を傾げ、
「オレは幽霊を食らう幽霊だが、他にも人間の恐怖を食らうぞ。オマエは餌を引き寄せる為に利用すると同時に、引き寄せられた幽霊に怯えるオマエの感情もおやつ代わりに食ってやるのだ」
「欲張り」
「何とでも言え」
敵陣のど真ん中というのに、この幽霊は相手がどれほどの規模であろうとお構いなしのようだ。
鬼灯はキュッと唇を引き結ぶと、意を決して電車を降りた。
電車を降りた途端、背後で扉が自然と閉まる。今まで開きっ放しになっていたのに、鬼灯が降りる時をずっと待ち望んでいたとばかりに仕舞ったのだ。
扉を閉めた電車は、
ガタン、ガタン。
ガタン、ゴトン。
錆びた線路をどこまでも進んでいき、最終的には見えなくなった。
不気味な電車を見送った鬼灯は、改めて神沙那駅を見渡す。
民家さえない草原の真ん中に建てられた駅は、とんでもなく古い。屋根は錆びたトタンで、隅に置かれたベンチは色褪せている。自動販売機らしい代物を発見したが、何故か何の飲み物も販売されていない。
売り切れではなく、ディスプレイ部分に何もないのだ。見事に空っぽである。ボタンにもご丁寧に『売り切れ』という赤いランプが点灯し、自動販売機として意味がない。
「何なのよ、ここ……」
「
ユーイルはすでに死んでいるので怖いもの知らずなのか、線路の上に立って言う。
「俗に言う異界駅の一つだろうよ」
「じゃあ、ここに行方不明になった同級生がいるの?」
「さてなぁ。この狭い駅にいればいいのだが」
最初から食事が目当てのユーイルは、行方不明になった男子生徒のことなど関係ないようだ。
薄情な悪霊は放置して、鬼灯は駅の改札に向かう。
田舎駅によく見られる無人駅で、改札はボロボロの状態だ。ICカードどころか切符だって通せないほど壊れてしまっている。無賃の状態で電車に乗れそうだ。
駅員部屋を覗き込んでみると、事務机の上には黄ばんだ紙が山のように放置されていた。壁に掲げられた時計は止まり、表面のガラスが割れてしまっている。
椅子が何脚かあるが、それら全て椅子の脚が折れていたり背もたれがなかったりなど壊れてしまっている。何かあったとしか思えない。
荒れた駅員部屋を覗く鬼灯は、
「誰もいない……」
「当然だろう。ここは異界駅だぞ」
「うひゃあッ!?」
背後からユーイルが声をかけてきて、鬼灯は間抜けな悲鳴を漏らした。
「何して……何を……ッ!!」
「驚くのは何ともまあ情けないな。鬼灯よ、こんな駅員の部屋なぞ見ていても別に不思議なものなどなかろうよ」
ユーイルはヒラリと窓から駅員部屋に侵入すると、床に散乱した一枚の紙を拾い上げて鬼灯に手渡す。
黄ばんだ紙には、よく分からない文字が記載されていた。
英語やその他の外国語ではない。かといって記号とも違う。完全に鬼灯の読めない異次元の文字だった。
紙から顔を上げた鬼灯が見たものは、ニヤニヤと意地の悪い笑みを見せる銀髪赤眼の男子生徒である。
「ほら、読めんだろう」
「だ、だったら貴方は読めるの?」
「読めんに決まってるだろう。オレの知識は昭和止まりだ」
黄ばんだ紙をぐしゃぐしゃに丸めて床に捨てたユーイルは、平然と駅員部屋の壁をすり抜けて出てくる。それなら最初から窓枠を飛び越える真似はしなければいいのに、どうにもこの悪霊は無駄が好きな様子だ。
「それよりも、だ」
再び駅のホームへ戻ってきたユーイルは、背中を追いかけてきた鬼灯へ振り返る。
「オマエはこの異界駅から脱出する方法を考えた方がいいのではないか?」
「え、でも行方不明になった生徒は……」
「自分自身さえ助けることが出来ない小娘が、他人を助けられると思うか?」
ユーイルの夕焼けにも似た赤い瞳が鬼灯を真っ直ぐに見据え、
「それに、異界駅に迷い込んだ人間の成れの果てなど分かりきっている。どうせ助からん、無駄な行動は止めておけ」
「そんな……どうしてそんなことが言えるの……?」
「怪異に犠牲は付き物だ。この
ユーイルの言葉に迷いはない。まるで自分自身も経験してきたと言わんばかりだ。
ここは怪異のど真ん中だ。逃げ場などあるはずもなく、知識も経験もないただの人間が異界駅から抜け出す方法など神に祈る他はない。
鬼灯とて、行方不明になった同級生が無事であるとは思えない。ただ、それでも彼の遺品だけは回収して親族に返してあげたい。
だって、そうしなければ可哀想ではないか。
いつまでも、いつまでも、帰らぬ人間の帰宅を待ち続けるなんて。
「…………私は探すわ、可哀想だもの」
「同情か? そんなもので腹など膨れんよ」
ユーイルは色褪せたベンチに腰掛け、
「しかし神沙那か、何を意味してこの名をつけたのだろうな?」
「適当じゃないの」
「オマエには分からんのか?」
行方不明になった男子生徒を探す鬼灯は、ベンチに座って考え込むユーイルへ振り返る。
銀髪赤眼の男子生徒の姿を象った悪霊は、その端正な顔立ちに真剣さを滲ませて何かを考えている様子だった。
神沙那という駅の名前に何か意味があるのだろうか? 特に何も考えていない適当に考えただけの名前に見えるが。
ユーイルは鬼灯を見やると、
「誰かの名前に聞こえんか? 特に沙那の部分。よく女子の名前にあるだろう」
「確かにあるけど」
鬼灯が納得すると、遠くの方から電車の音が聞こえてきた。
ふと顔を上げれば、神沙那駅に再び電車が滑り込んできた。
鬼灯とユーイルを一緒に運んできた、あの電車だ。行き先が文字化けしてしまった無人の電車。
呆気なく帰れるのかと思いきや、
真っ黒なセーラー服に真っ赤なリボン、項垂れた様子の少女。ボサボサの黒髪がカーテンのように顔を覆い隠しているので、表情が読めない。
ズタボロの学生鞄を肩からかけて、履き潰された革靴で神沙那駅の床を踏む。真っ黒なセーラー服もよく見ればボロボロで、埃や蹴飛ばされた靴の跡が残されていた。
女子高生は迷いなく神沙那駅に降り立ち、去っていく電車を見送る。
「…………あの……?」
鬼灯は
「ここに電車は来ませんよ。それでもいいんですか?」
「…………」
女子高生は頷く。
「迷い込んだんですか?」
「…………」
女子高生は首を横に振った。
「どうしてこの
「…………」
女子高生は答えない。
「…………」
「…………」
鬼灯も、彼女の扱いに困っていた。
迷い込んだ訳ではなく、自分の意思で神沙那駅にやってきたのは驚きだ。何か噂でもあるのだろうか。
それとも、自ら犠牲になりに来たのだろうか?
女子高生に気味の悪さを感じ取った鬼灯は、少女から距離を取る。
「おい、オマエ」
そこで口を開いたのは、ベンチに座ったユーイルだった。
「名前は?」
この場面で聞く質問ではないだろう、と鬼灯は眉根を寄せるが、それより先に女子高生がユーイルの質問に答えた。
「…………
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