第2話【電車】

『二番線に、○△駅行きの電車が参ります』



 駅構内にアナウンスが流れ、ホームに電車が滑り込んでくる。


 風が起き、鬼灯の青みがかった黒髪を派手に掻き乱した。

 ××高校の制服の裾も盛大に揺れ、慌ててスカートを押さえる。他に乗客はいるが、同じようにスカートが捲れ上がって「きゃー」とか「わー」とか甲高い悲鳴を上げていた。


 こんな地味な女子高生のスカートの中身など、誰も興味ないだろう。



「おお、鬼灯よ。オマエ、人並みに恥じらいがあったのだな」


「殴るわよ」



 鬼灯は隣に立つ銀髪赤眼の男子生徒を容赦なくぶん殴った。


 傍目から見れば、虚空をぶん殴るというヘンテコな動きをした女子高生にしか見えない。これなら近づく人間もいないだろう。

 そもそも普通の人間には幽霊を見える能力も、幽霊に触れる能力も、幽霊を引き寄せる才能だってないのだ。彼女だけが特別なのだ。


 殴られた頬を押さえた銀髪赤眼の男子生徒――ユーイル・エネンは、



「酷すぎるぞ、鬼灯!! オレが何をした!?」


「気に触ることを言った」


「今時の若者はこれだから!!」



 ユーイルは不満げに唇を尖らせると、



「口の中が切れて食事の際に血の味しかしなかったらどうする。口の中は繊細なのだぞ」


「うるさい」



 鬼灯は目の前で閉じた電車の扉を見つめ、遠ざかっていく電車を見送る。


 これでは目的の場所に行けない。

 直感がそう語っていた。


 では、どの電車で行けるのか――そう問われても理解は出来ない、



「ふむ、また見送るのか。いい加減に乗らんのか?」


「乗らない」


「何故?」


「行けないから」



 鬼灯は電光掲示板を見上げて、次の電車が何時に来るのか確認する。


 次の電車は五分後のようだ。

 周辺を山に囲まれた小さな町とはいえ、ここを訪れる電車は意外と本数が多い。この山を越えた向こう側にある都会を目指しているのだろう。



「目的は、その駅に行くことでしょう?」


「……目的を履き違えないとは重畳」



 満足げにニヤリと笑ったユーイルは、



「では、次のオレの食事内容を教えてやろうではないか」


「そんなことまで分かるの?」


「まあ、何となくだがな」



 ユーイルは伽藍ガランとした駅構内を歩き回り、ちょうど手頃な椅子を見つけて座る。



「次の食事は駅の幽霊だ。ほらオマエ、都市伝説の『きさらぎ駅』とか聞いたことはあるか?」


「異界の駅、よね」



 鬼灯も、その話は聞いたことがある。


 電車に乗っていたら寝落ちしてしまい、どこか知らない駅に到着していた。不思議とそれまで乗っていた客は誰一人いなくなり、電車が動く気配はない。

 取り残されたその人が電車を降りた瞬間に扉は閉じ、電車は立ち去ってしまった。その人が降り立った駅の名前が『きさらぎ』という駅だった。


 まさか、今回はその都市伝説を食らうつもりか?



「そんな訳ないだろう。大きすぎるものを食えば胃がもたれる。オレの胃腸は繊細なのだ、丁寧に扱え」


「口も繊細なら胃も繊細なのね」


「人間の身体とは繊細なものだろう。まあ、オレの場合は多少頑丈だがな」



 ユーイルは電光掲示板を見上げて、



「異界駅は様々なものがある。今回もそれだろうな」


「食べられるの?」


「もちろんだ。オレに食べられない怪異はない」



 ツイ、とユーイルは指で電光掲示板を示す。


 鬼灯の視線は、つられて電光掲示板を見上げていた。

 そこにあったのは見慣れた文字が流れていくだけ。次の電車があと二分ほどで到着することを示しているが、その文字が唐突に揺らぐ。



 ジジ、ザザザ。

 ザザザ、ザザザザジジ。



 電光掲示板の文字が変わる、変わる。



 ジジジ、ザザザザザザ。

 ガリガリ、ザザザザザザッ。



 電光掲示板の文字が化ける、化ける。



『次のー……ガガガガ、行き、です。黄色い線のーガリガリ、ザザザザザザッ……ですガリガリガリガリ、ブツッ』



 ノイズ混じりのアナウンスが、鬼灯の耳朶に触れる。



「おお、ついに来たようだな」



 ユーイルは踊るように立ち上がると、いそいそと鬼灯の隣に並ぶ。


 鬼灯のいるホームに滑り込んできた電車は、見た目だけなら普通だ。

 だが、始発でも終点でもない駅なのに、電車の中には客一人いなかった。回送電車でもなく、行き先の部分を見上げてみるが、その肝心の行き先は文字化けしている影響で分からない。



 ぷしゅー……。



 鬼灯を招き入れるように、電車の扉が開く。

 何の変哲もない電車の内部。それだけで、得体の知れない生き物に食われるような感覚に陥った。


 生唾を飲み込む鬼灯は、



「行くよ」


「いいだろう」



 銀髪赤眼の男子生徒と共に、得体の知れない電車へ乗り込んだ。



 ☆



 ガタン、ガタン。

 ガタン、ゴトン。


 ガタン、ガタン。

 ゴトン、ゴトン。



 電車は揺れる、揺れる、揺れ動く。


 窓の外を流れる景色は、やはりどこか見慣れたもの。

 建物や自然が後方に流れていくけど、得体の知れないゾワゾワとした感覚は拭い切れない。



「ふーん、今時の電車はハイカラだなぁ」



 ユーイルは窓の外に夢中だった。形状の珍しい建物を見つけると、嬉々として「あれは凄い面白い形だ!!」とはしゃぐ。子供か。


 そんな彼を横目に見ながら、鬼灯は学生鞄から本を取り出した。

 どうせ駅に着くまで時間がある。この電車に乗っていれば到着するのだ。本でも読んで時間を潰せば――。



 とす。



 誰かが座る音。



「ねえ」



 鬼灯の正面に誰かが座っている。



「ねえ」



 何度も呼びかけられる。



「ねえ、ねえ、ねえ」



 しつこく、何度も何度も。


 鬼灯は本のページから視線を上げない。

 正面をどうしても見ることが出来なかった。顔を上げてはいけないと思った。


 視界の端で動く誰かの足は、あらぬ方向に折れ曲がっている。赤い何かも見える。これ以上は見れない。



「ねえ、ねえ、ねえねえねえねえねえ」



 しつこく何度も呼びかけられ、鬼灯は恐怖を覚える。


 怖い、怖くて仕方がない。

 得体の知れない誰かがそこに座っている。怖すぎて堪らない。



「おい」



 聞き覚えのある声が鼓膜を揺らし、



「まあ、電車に乗る際のおやつ感覚だな。腹ごなしにはちょうどいい」



 黒い人影が鬼灯の前に立ち、変な方向に折れ曲がった足が隠れる。


 そこでようやく、鬼灯は顔を上げることが出来た。

 最初に認識できたのは銀色の髪。食事の際に使われる銀色のナイフが窓から差し込む陽の光を受けて鈍く輝き、その切っ先が鬼灯の向かいに座っていた何かに刺される。



「ふむ、まあまあな味だな」



 ユーイルは折れ曲がった足を食らい、血に塗れた腕を食う。

 あの時と同じように幽霊を食う。


 丁寧に銀色のナイフで切り分けながら電車の中で食事をするユーイルは、鬼灯へ振り返る。



「どうした、鬼灯よ。おかしな表情をしているぞ」


「え、あ……」



 鬼灯は幽霊が食われていく光景に慣れず、ユーイルから視線を逸らす。


 電車に乗り込んだ幽霊を食い終わったユーイルは、鬼灯の向かいに腰を下ろした。

 食べかけの腕をまるでおやつ感覚でむしゃむしゃと食べる銀髪の青年は、鬼灯の後ろ――窓の向こうに視線を向けた。



「お、着いたな」



 鬼灯はパッと窓の外へ振り返る。


 電車は見覚えのない駅にいた。

 だだっ広い草原の中にポツンと取り残された、古びた駅。到着と同時に、車掌のアナウンスが電車内に響く。



「カミシャナー、カミシャナー…………」

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