第6話【悪霊喰らいの悪霊】
鬼灯は呆然としていた。
ミサコ先生は消失した。
この旧校舎に出現すると言われる、銀髪赤眼の男子生徒によって。
どう消滅したかと言えば、簡単に言えば食われたのだ。
消えたくないと、死にたくないと、まだ授業をしていたいと授業そのものに取り憑かれた哀れな幽霊教師は、銀色のナイフで丁寧に切り分けられて頭から爪先まで食われてしまったのだ。
「何で……何が……」
「ふむ?」
自分の指を舐めていたユーイルは、キョトンとしたような表情で首を傾げる。
「何で、何が? おかしなことを言う奴だな、オマエは。これがオマエの望んだものだろうに」
ユーイルはさも当然とばかりの口調で、
「幽霊が見えなければいいのだろう? 幽霊が引き寄せられなければいいのだろう? ならばこれでいいではないか。何を悩む必要がある」
「でも、あの幽霊は」
「この世にしがみつく哀れな怨霊だと? オマエは優しいなぁ、幽霊如きに情けをかけるのか」
教卓に残された皺くちゃな教科書を教室の床に放り捨て、ユーイルは何の躊躇いもなく教卓を椅子代わりにして腰掛ける。
黒板を一瞥した彼は、埃っぽい黒板にいくつも刻まれた爪痕を発見して顔を顰める。小さく「これを誰が掃除すると……」と呟いたのを、鬼灯は聞き逃さなかった。
幽霊が幽霊を食うなんて発想は考えられない。共食いなんてあるのか?
確かに鬼灯は、幽霊を引き寄せてしまう自分の体質をどうにかしたいと願っていた。だから藁にも縋る思いでユーイルに頼んだのだ。
引き寄せてしまうのであれば、引き寄せられた幽霊を成仏させるというのは予想していた。それがどうして幽霊を食らうことに繋がるのか、
これが、ユーイルの言う作戦なのか?
「鬼灯よ、オマエは非常に幸運だ。オレは何年も人間の恐怖を食らってきたが、本来であればこちらが本職――いや本食? だからな」
ユーイルは、自分でも上手いことを言ったと思っているのか、ニヤリと笑いながら言う。
「鬼灯よ、オマエの幽霊を引き寄せる体質を利用すると言っただろう。これからはオマエが食事を持ってくるがいい」
教卓から飛び降りたユーイルは、
「オマエが引き寄せてきた幽霊を残さずオレが食らってやろう。ついでにオヤツの代わりにオマエの恐怖も食らってやろう。これがオマエの幽霊を引き寄せる体質を改善する為の、唯一の方法だ」
その時、旧校舎の外で寂しげな音が聞こえてきた。
古ぼけたスピーカーから流れる夕焼けチャイムだ。
まだ外で遊んでいる少年少女に帰宅を促す為の代物だが、茜空に響くそれはやけに恐ろしく聞こえる。時折、雑音が混じるので恐怖は余計に感じるものとなる。
鬼灯は机に広がったノートと筆箱を自分の鞄の中に入れ、
「帰る」
「おう、気をつけて帰るがいい」
夕陽が差し込む荒れ果てた教室内に佇む銀髪の男子生徒は、教室から去ろうとする鬼灯に向かって微笑んだ。
その清々しいほどの綺麗な笑みは、先程の幽霊を捕食する光景を目の当たりにしていなければ惚れていたに違いない。
ユーイルはヒラヒラと手を振りながら、
「明日も頼むぞ、鬼灯よ」
☆
××高校の門を潜り、鬼灯は帰路を辿る。
夕焼けに染まる空は真っ赤に燃えており、さながら空全体が火事になっているようだ。空を飛ぶ鴉が寂しげな鳴き声を響かせ、小学生らしき子供たちが急いだ様子で家に帰る。
どこにでもある夕暮れの風景だ。その中に混じる鬼灯も、家路を急ぐ子供にすぎない。
彼女の足取りはひどく重い。鉛でも両足に括り付けているのではないかと思うほど、非常に重い。
かぁ、かぁ。
かぁ、かぁ。
鴉の寂しげな鳴き声が、鬼灯の鼓膜を震わせた。
夕暮れ時は嫌いだ。この時間帯が、最も幽霊の見える時間帯だから。
それ以上に家が嫌いだ。あの家に帰りたくないが、鬼灯の帰る場所はどれだけ嫌がろうとあの家以外にないのだ。
かぁ、かぁ。
かぁ、かぁ。
電柱を止まり木の代わりにしている鴉が、ジロリと鬼灯を睨みつけてきた。
奴らの眼球は、まるで邪悪なものが道端を歩いているように見えているのだろうか。どうでもいい。鳥類風情が、鬼灯の悩みを解決できるような能力を有している訳がない。
夕陽に染まる静かな住宅街を歩く鬼灯を迎えたのは、ご近所さんの冷たい視線。
「ねえ、あの子でしょ」
「ええ……」
「ほら、あの幽霊がどうとか……」
井戸端会議をしていた主婦たちの視線は冷たく、それでいて槍のように鋭い。息苦しくて仕方がない。
鬼灯はなるべく彼女たちと視線を合わせず、そそくさと早足でその場を通り過ぎる。
いくつも同じような家の前を通過して、横切って、たまたま近くを通りがかった帰宅途中のサラリーマンから悲鳴を上げられた。いつものことだ、鬼灯が悲鳴を上げられることなど。
やがて鬼灯は、家の前に辿り着いてしまう。
「…………」
ただのボロボロなアパートだ。台風が直撃すれば、屋根が吹き飛びそうな安アパートである。
鬼灯の自宅は、このアパートの一階だ。一〇一号室――そこが住処である。
ピッタリと閉じられた扉の前に立ち、鬼灯はドアノブに手をかける。薄い扉越しに誰かの会話が聞こえてくる。
「今日の飯は何?」
「今日は唐揚げよ」
「お、いいなぁ。一個貰い」
「お父さんったら!!」
賑やかなやり取りだ。他の誰かが聞けば、いつも通りの家族間の会話だと判断するだろう。
鬼灯は深々とため息を吐くと、ドアノブに自宅の鍵を差し込む。
施錠は簡単に解けると、ガチャンという音が聞こえてきた。ドアノブを捻れば、あっさりと薄い扉は開く。
ギィ、と軋んだ音を立てて扉は開かれ、鬼灯は帰宅を告げる挨拶をした。
「ただいま」
ぎぃー、ぱたん。
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