第2話【授業を望む幽霊教師】
「あれは何!?」
「へぶッ」
あの恐怖の授業が終わった途端、鬼灯はユーイルをぶん殴っていた。
華麗に決まる右ストレート、吹き飛ばされる銀髪の男子生徒。
横倒しになった机に全身をぶつけながら教室の隅まで滑り、ようやくユーイルの動きは止まった。ぶん殴られた衝撃が凄すぎる。
ついでに言えば復活も早かった。殴られた頬を赤く腫らしたユーイルは素早く起き上がると、
「何をする!!」
「あれは何なのよ!! あんな気味の悪い幽霊がいるなんて知らないわ!!」
「何だオマエ、ミサコ先生を知らんのか。遅れてるな」
ぶん殴られた頬をさすりながら、ユーイルは「説明しよう」とわざとらしく咳払いしながら言う。
「ミサコ先生とは、旧校舎に出現する女教師の幽霊だ。授業熱心な先生だったが事故でこの世を去り、しかし強い未練が影響を及ぼして悍ましい姿のままこの世を彷徨い歩いている悲しい幽霊だ」
「成仏することはないの?」
「ないな」
鬼灯の質問に対して、ユーイルは即答した。
「いいか、下僕。幽霊が成仏するには、何かしらのルールが絡んでくる」
「ルール?」
首を傾げる鬼灯に、ユーイルは得意げな様子で「そんなことも知らんのか」と言った。
「口裂け女然り、ババサレ然り、あるだろう対処法が。その対処法が実行されれば幽霊は弱くなる、格段にな」
「じゃあ、あのミサコ先生って幽霊にも対処法があるの?」
「あるとも」
自信たっぷりに頷くユーイルだが、
「教えてやらんがな」
「何でよ!!」
「オレがわざわざ餌を減らすような真似をする訳がなかろう。成仏なんて以ての外だ。食事の素を減らされては堪らん」
ふい、とそっぽを向いたユーイルは、まるで虫でも追い払うかのような手つきと共に告げる。
「授業は終わりだ、下僕。オマエの恐怖心はなかなか美味だが、これ以上は胃がもたれそうだ。とっとと帰れ」
散々な言われように腹が立った鬼灯はもう一発ぶん殴ってやろうかと画策するが、モタモタしていたらまた歪んだ鐘の音と一緒にミサコ先生がやってきそうだ。もうあの授業を受けるのは勘弁願いたい。
鬼灯はユーイルへ恨めしげな視線をやり、それから教室の隅に追いやられた自分の鞄を引っ掴む。
教室を出るまでミサコ先生に警戒し、最後にユーイルを睨みつけて荒れ果てた教室から立ち去った。
もう二度と旧校舎には立ち入らないようにしよう。
☆
あの恐怖しかない授業を体験した翌日のことだ。
いつものように登校し、複数の幽霊などを無視して鬼灯は自分の教室にやってきた。
残念ながら友人である青柳永遠子とはクラスが違うので、教室に入る際に泣く泣くお別れをしている。永遠子と一緒のクラスであれば多少は生きやすいのだが、鬼灯は運がないようだ。
賑やかな自分の教室に足を踏み入れれば、ヒヤリとした空気が肌を撫でた。
「ひやッ!?」
上擦った悲鳴を漏らす鬼灯。
甲高い悲鳴を聞いたクラスメイトからの怪訝な視線が痛い。幽霊が見える影響で普段から遠巻きにされているのに、どうしてこうも損をする役回りなのだろうか。
とりあえず肌を撫でた冷気は愛想笑いで誤魔化して、そそくさと自分の席に急ぐ。
鞄を机の上に置けば、聞き覚えのある声が耳朶に触れた。
「何だオマエ、いわゆるボッチというアレか」
それは昨日、旧校舎で出会った銀髪の男子生徒のもので。
「クラスに一人ぐらい友人を作らねば未来はないぞ。まあ、その方が都合のいいことはあるけどな」
声は窓の向こうから聞こえてきた。
鬼灯は「自分の聞き間違いだ」と自分自身に言い聞かせるも、やはりそれでも相手が気になってしまう。
机の上に置いた鞄を強く握りしめ、意を決して窓の向こうへ視線をやった。何の変哲もない青空と無人の校庭、それから園芸委員会が育てている花壇がある。
そこには普通の外の景色が広がっていた。鬼灯の座席は窓際なので、授業中にぼんやりと外の世界を眺めるのが密かな楽しみになっている。
「聞き間違いか。良かった……」
「何が良かったのだ?」
「昨日の旧校舎の幽霊が、ついに教室にまで来たのかと思ったのよ」
「それはそれは。オマエ、随分とその幽霊に好かれているな? まさか取り憑かれているのか?」
「それはない。だって家までついてこなかったもの、やっぱり旧校舎から出られないのよ」
「そうかそうか。では振り向いて確かめてみたらどうだ?」
「? 振り向いて――」
何かあるのだろうか、と鬼灯は振り向いてみると、
「おはよう、下僕。ご機嫌はいかが?」
透き通るような銀髪と夕焼け空を溶かし込んだかのような赤い双眸、××高校の制服である黒い詰襟を着て微笑む忌々しい奴がそこにいた。
しかも手を振ってやがる。友達感覚だ、この野郎。
鬼灯の思考回路が停止する。
普通の幽霊であれば指定の場所から出られず、人間の多い場所には来られないはずだ。
なのに何故こいつがここにいる?
「きゃッ――」
「おっと、叫んでもいいのか? 朝からすでに変な空気なのに、叫んでさらに変な空気にするか?」
脅しをかけるように銀髪の男子生徒――ユーイル・エネンはニヤニヤと笑いながら言う。
鬼灯は寸前で悲鳴を何とか飲み込むと、口を塞いでやり過ごす。
ユーイルから視線を外して鞄を机の横に引っ掛けると、ストンと何事もなかったかのように自分の座席へ腰を下ろした。何を話しかけられても無視するという強い意思を掲げ、ユーイルを徹底的に視界へ入れないようにする。
しかし、旧校舎の悪霊はお構いなしだった。
「つまらんなぁ、つまらんなぁ。驚きはしたけど恐怖はしないではないか。昨日の方がマシだったぞ」
「…………」
「おい、何故無視をする。見えているだろうオマエ、おい下僕」
「…………」
「なるほど、意地でも無視をしようと言う訳か」
ユーイルはやれやれと肩を竦めると、
「仕方がない。オマエに取り憑くことにしようか」
「それはッ――!!」
再び叫びそうになった鬼灯は、慌てて自分の口を手で塞ぐ。
ただでさえ周囲の視線が厳しいものになっているのだ。「独り言?」「今日はやけに大きいよね……」「いつもでしょ」などとヒソヒソと悪口が聞こえてくる。
ニヤニヤと笑うユーイルを睨みつけた鬼灯は、視線に耐えかねて教室から飛び出した。朝礼が始まるまで、トイレで時間を潰していよう。
「やい、下僕。一体どこへ行く。其方は教室ではないぞ」
「ついてこないで」
「しかしなぁ、オレはオマエに取り憑いた悪霊だからなぁ」
「冗談でしょ?」
「もちろん冗談だ」
後ろから適度な距離を保ったままついてくるユーイルを睨みつけた鬼灯は、
「朝から一体何なのよ。旧校舎から出ることが出来るなら、どこかに行けばいいじゃない。私なんかに構わず、他の人間のところに行けばいいでしょ。恐怖心を抱いている人間なんてたくさんいるんだし」
「つまらん反応だな」
ユーイルはフンと鼻を鳴らすと、
「せっかくオマエの幽霊を引き寄せる体質をどうにか出来る方法を教えてやろうと思ったのに」
「…………それ、本当?」
チョロかった、鬼灯は死ぬほどチョロかった。
この体質はどうにも出来ないのだ。神社に頼ろうが、寺に頼ろうが、有名な霊媒師に見てもらおうが、どうにも出来なかったのだ。もう神様なり悪霊なりに縋るしか方法は残されていない。
淡い期待を持ってユーイルへ振り返った鬼灯は、
「どうやったら解決できるの?」
「決まっている。ルールを達成して幽霊を弱らせてやればいいのだ」
ユーイルは自信満々に薄い胸板を張り、
「そうすればオマエが視認できる幽霊の数は減り、やがて見えなくなる。これが最適な方法と言えるだろうな」
「…………それは、貴方の食事を減らすことに繋がらない?」
「だろうなぁ」
ユーイルは幽霊に対して抱く人間の恐怖心を食らう、と言っていた。
ルールを達成して幽霊を弱らせる方法は、ユーイルの食事の機会を減らすといっても過言ではない。むしろ確実に減るのだ。わざわざ自分から食事を減らす方法を提案するとは、どんな腹積もりだろうか。
やれやれと肩を竦めたユーイルは、
「仕方なかろう。下僕の幽霊を引き寄せる体質は大いに期待できる。質のいい食事が見込めるのであれば、まあ協力する他はあるまい」
とはいえ、とユーイルは微笑んだ。
「オレに考えがない訳ではない。まあ、オマエの幽霊を引き寄せる体質を利用しつつ、幽霊を見えなくさせる作戦がある訳だが」
「それってどういう……?」
内容を聞こうとしたその時、校舎内に朝礼を告げる鐘の音が鳴る。旧校舎で聞いた歪んだ音ではなく、ちゃんと遠くまで聞こえるような鐘の音だ。
鬼灯は数人の生徒に混ざって自分の教室を目指すが、ユーイルは廊下に突っ立ったままだ。
彼は幽霊なので教室に慌てて駆け込む必要もないし、むしろ授業を受けなくてもいい存在だ。仁王立ちしていようが何をしていようが、鬼灯には関係のない話である。
ユーイルは教室を目指す鬼灯の背中に、こう言った。
「作戦が知りたければ放課後、旧校舎へ来るといい。ちゃんと授業を受ける準備をしてくるようにな」
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