第50話『大団円と願い事』

 アントワーヌ復活の宴会えんかいは、まだ人の寝静まる朝早くから開かれた。みんな、興奮で眠ることができなかったのだ。

 リクの歓迎会と同じく、机と椅子を行儀よく並べ替えたサロンには、アントワーヌをはじめとする汽車の従業員たちの他に、彼の看病に当たった妖精たち、そして、アダムに恋心を抱く、森の祝福者パックが集まった。

「急いで作ったから、手の込んだ料理はできなかったけれど、奮発したんだから、沢山食べて頂戴ね! 」

 机を ギュウギュウ に囲む各人に、華やかな笑みを顔全体に浮かべて、レアが言い、世界一騒がしい食事が始まった。

 会話の大半は、九死に一生を得た指揮官、アントワーヌのことだった。

「全く、一時はどうなるかと冷や冷やしたぜ」

 ワイングラスの中でワインを回しながら、アダムが気取って言うと、前の席に座るゾーイが ニヤニヤ と笑った。

「とか言って、“仕事してくる”、だなんて、目に涙溜めて出て行ったでしょう? 」

「こらこら、そう茶化してやるな。友を想う気持ちは、誰だって同じだ」ニックは相棒をかばうと、「しかし、本当に良かった」

「本当に! 良かった」

 大男に続いたのは、ベビーチェアに座る小さなコリンだった。彼は、ニックの言葉を繰り返すと、目の前によそわれたチャーハンを ひとすくい、美味しそうに食べた。

 隣では、大食いのミハイルが、脇目も振らず、料理という料理を、胃の中に片付けている真っ最中だった。

 その姿を見て目をひんいていたのは、汽車のオーナーのシンイチだ。暗い自室から出てきた彼は、初めて見る彼らの食事に興味津々な様子だった。

「そんなに掻き込んで無事なのかい? 凄い体だなあ。ねえ、チェンシーもそう思うだろう? 」

「ええ、そうでございますねえ。しかし、このままではシンイチ様の食事が無くなってしまいますねえ」シンイチに張り付く様にして座る、彼の世話係の老婆、チェンシーは、ゆったりと答えた。そして、「食べたい物はございますか? 何でも取ってあげますよ」と言った。

 そんな世話係の言葉を、彼は右手を立てるだけで制すると、友人へと目を向けた。

「それにしても、トニ! 何があったかは全部、メルから聞かせて貰ったよ。色々大変だったんだろう? 変なヤツも来たって聞いたよ。でも、本当に良かった」

「ちょっとシンイチさん! “変なヤツ”じゃないです! 閻魔様えんまさまです、閻魔様! 」

 シンイチの無神経な物言いを慌てて訂正したのはソジュンで、彼もアントワーヌに顔を向けると、「それにしても、凄いですね、閻魔様って! 本当に指揮官のことを治してくれるなんて! 」と目を キラキラ と輝かせて言った。

 すると、すぐ隣で上品に肉を切り分けるレアが口を開いた。

「本当ね。ついさっきまではベッドの上で グッタリ していたっていうのに、もうワインを飲んでいるなんて! あと何秒かしたら、あのうるさい憎まれ口を叩くようになるのかしら。もしそうなら、ずっと死にかけの方が、まだ静かで良かったわ! 」

「とか言って、レアこそ毎晩泣いていたのを知ってるんだから! 」

 アダムの頭上に舞うピクシーのリーレルが、茶化すと、周りのキョウダイたちが一斉に羽根を ブンブン と鳴らした。どうやら、笑っているらしい。

「ちょっと! 」と耳まで赤くする彼女の足元で、木でできた双子が跳ね回った。

素直スなおじゃない! あっははは! 」

「アダムのこと言えない! ひひひ、ひひひ! 」

「全くだぜ! まあ、俺は泣いてねえけど! 」

 そこに、アダムも交じった。

「あんたたち、覚えていなさいよ」

 眉間を狭め、ほおを可愛く膨らませるレアに、救いの手を差し伸べたのは、衣装係のメル=ファブリだった。

 ロバの頭をした老妖精は、本をうず高く積んだ椅子の上で「これこれ、揶揄からかうんでないぞ」と言葉を発すると、その真っ黒な瞳で、アントワーヌを見つめた。

「ワタシだって、毎晩の様に泣いておった。涙さえ流せない体じゃが、毎晩、その衣装を繕いながら、泣いておった」と、アントワーヌの着ている、ワインレッドのジャケットを指差して言った。「アントワーヌや。お前の命は、お前だけのものでないんじゃよ。もう、分かるじゃろう? お前が死を選んだ時、泣いた者がおった。自分の無力を悔いた者がおった。お前がまた生きたいと、そう思って貰えるようにと、危険を顧みず、尽くした者もおった。お前の命は、ここにおる、皆のものなんじゃ。ここにおる者たちは、お前という存在を必要としている。それを忘れてはいけない。そして──」メルは、自らのひざを落とすと、小さな声で、ささやいた。

「ワタシの、恩人であるお前に、あの様なかたちで死なれては、ワタシはこれから先、どうやって生きていったらいいんじゃ? お願いじゃから、もう死にたいなぞ、言わんでくれ。お願いじゃ」

 老妖精の言葉を受け取ったアントワーヌは、そっと、微笑んだ。

「ああ。約束しよう、メル=ファブリ。もう二度と、苦しませないと──」そして、従業員たちへと視線を巡らせると、目を伏せて、言った。「すまなかった。ありがとう。俺を救ってくれて。こうして、また、ここにいられること。これが、今の俺にとって、何より代え難い宝だ。もう二度と、手放したりはしない」

「その言葉は、リクにこそ、言うべきよ」

 瞳をうるませたレアが言った。

「へ? 私は、何にもしてないけど」

 突如、話を振られたリクは、口に入れようとしていた肉を、思わず皿の上に落下させた。

「いいや、リクがいなかったら、トニはここにはいなかったよ」

 ゾーイも首を縦に振って言う。

「ああ、そうだな」

 アダムとニックが、顔を見合わせて頷きあった。

「リクはヒーローだね」

 ソジュンが言うと、コリンが、「ヒーロー? 良くわかんないけど、凄いやリクは! 」と手を叩いた。

「ヒーロー、おめでとう」

 全く話を聞いていなかったミハイルは、首を傾げながらそう言うと、また皿に手を伸ばした。

「まだ食べる気らしいぞ、チェンシー! しかし、本当に、何もかもリクの説教のお陰だ。親友を失わなくて良かったよ。ありがとう」

 シンイチが言った。

「違うよ! 」リクは大きく頭を振った。「皆のお陰だよ」

「ここに来るまでの私は、友達もほとんどいなくって、本ばかり読んできた。文章こそが、私の全てだったの。文字の中にこそ、全てがあると思ってた。世界を、沢山の感情を、見てきたつもりだった。けど違った。ここには、私の知らないもので いっぱい。知らなかった世界、知らなかった感情……皆が教えてくれた! だから、私は、自分の気持ちに気が付けたの。自分が、本当に大切な物にも、気がつかされたし、出会うこともできた。だからね、私がありがとうって言いたいのは、皆だよ! 」

 リクは、従業員たちの顔を見渡した。

「アダム、ニック、コリン、ミカ、チェンシー、イチ、メル、マリー、マーク、リーレルたち、ジェイ、ゾーイ、レア。そして、トニ! 皆に、ありがとうって言いたい! 皆、いてくれてありがとう」

 その言葉に、従業員たちは、顔をほころばせた。

「ねえ、レア。あれ、どこにあるの? 皆で乾杯したいの! 」

 続けてリクが言った。

「“あれ”? 何のこと? 」

 レアが尋ねると、リクは、「オレンジジュース! 」と答えた。

「それなら、食堂にあると思うけど、取って来ようか? 」と言うゾーイを、リクは留めた。

「私が取って来たいの! 」

 リクはそう言うと、有無を言わさず席を立った。


 食堂車、調理室の中。オレンジジュースを探すリクの背後から、開いた冷蔵庫のものではない、肌寒い空気がただよった。振り返ると、「げ」見たくない姿が、そこにあった。

「その反応は、あんまりじゃないか」

 寒気の主は、寂しそうにそう言った。白い髪の毛、肌、服装、金色の瞳……“砂の精”だ。

「また、トニの身体を乗っ取ろうなんて思ってないよね? 」

 リクが聞くと、“砂の精”は「まさか! 」と首を振った。

「見ての通り、ボクの体はすっかり元通りなんだ。閻魔に、魂を連れていかれてね。誰かさんのせいで、散々に叱られたよ。でも、そのお陰で、ボクは再び、自由を手に入れたって訳さ」

「良かったね」

 不機嫌な強い口調でリクが言うと、“砂の精”は ギクリ と身を引いた。

「お礼をしに来たのに、そんなに怒らないでくれよ。君を襲ったことに関しては、反省しているんだからさあ」

「お礼? 」

 弱々しく喋る“砂の精”に、リクは聞き返した。

「そう、お礼をしに来たんだ! 」機嫌を戻したリクに、笑顔を輝かせた“砂の精”は、背筋を伸ばして言った。「君の、願いを叶えてあげようと思ってね」

「願い? 」

「でも、世界を平和にしたいとか、汽車の奴らとずっと一緒になんてことは無理だ。それは天使や神様にしか叶えられない願いで、ボクが叶えられるのは、小さな、本当に小さな願いだけなんだから──」

 早口に喋る“砂の精”に、リクは、「じゃあ」と割り込んだ。

「そ、そんなことでいいの? 」

 リクの願い事を聞いた“砂の精”は、キョトン とした表情を見せると、すぐに気を取り直して、「そんなことなら、お安い御用さ! 君の願い、聞き届けたよ」と言って、次の瞬間には、白い煙となって消えていた。

 リクはそれを見送ると、ハッ としてオレンジジュースを抱え込んだ。

皆の待つ、サロンへと、走って帰った。

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