第49話『生きた理由』

 世にも美しい閻魔えんまは、ベッドの上の指揮官と向き合う姿勢になると、話し始めた。

「まず、大前提として、《泣き女バンシー》から宣告を受けた魂は、時期が来たなら問答無用であの世送り。カノジョたちの、死に関する嗅覚は、神様が信頼する程の代物なんだ。君は、《泣き女カノジョ》たちからの宣告も受け、状況としては、最悪だった」

 それが、どうして助かったのか? 理由は3つ。

「ひとつめは、君にりついた“砂の精”の行動だ」

 “砂の精”──その名を聞いたアントワーヌは、思わずね上がった。

「そうだ、“アイツ”──“アイツ”はどうなったんだ? 俺の中に、“アイツ”の気配が全くしないのだが」

「“あのコ”なら、この中だよ」閻魔は、カラフルなジャケットの内ポケットを指して言った。「肉体と魂の分離。言ったであろう? 手術は成功だと。それよりも、話を続けてもいいかな、アントワーヌ君? 」


 “砂の精”に身体を乗っ取られ、死ぬまでが、本来のアントワーヌの人生だった。“カレ”さえ、正当な手段を踏んでいれば──無関係者に危害を加えず、アントワーヌの身体のみをむしばほうむることを指している、と閻魔は言った──、“カレ”の魂はこうして、アントワーヌの身体から強制的に退出させられることなどなかった。

「しかし、気が急いたのであろう。無関係者に手を出した」

「リク──」

「そう、その通り」

 “カレ”は、リクの夢の中に出現し、彼女に、これ以上アントワーヌへの干渉は止せと忠告を出した。忠告を聞かなければ、どうなっても知らぬぞ、と。

「正直なところ、ここまでの行動なら、目をつむってやらんこともない。単なるおどしにすぎぬからなあ。しかし、それからが、不味かった」

 “カレ”は、その脅しを現実にしてしまった。

「リク君の命を、その力を持って、葬ろうとしたのだ。こちらの許可なくだ。これは、我々の規則にも違反する、とんでもない行為だ。閻魔帳に乗っておらぬ魂は、死神様の手も介せず、このの監視下にもあらず。これ然り、大王様の元へも辿りつけぬ魂になる。大王様の閻魔帳には、生者せいしゃの魂も記入されているのだ。自らの死者とそれらの数が合わねば、ワタシらの仕事が疑われるどころか、世界の均衡が崩れる。そんなことは許してはおけぬ。それが、第一の理由だ」


「第2の理由は──」お喋りな天使は、休まずに話し続ける。「リク君の存在だ」

「リクの? 」

「阿保んだらな“砂の精”が騒ぎを起こす以前から、ワタシの元には依頼が来ておってなあ。アントワーヌ君、君をどうか、助けてやって欲しいと──まあ、この話は第3の理由に話すとして、調査の為、しばらく、汽車の様子を観察することにしたのだ。最初は、いくらアイツの願であっても、君を助ける価値は無いと判断した。するとどうだ? 妖精が罪なき人間を襲撃したではないか! 」

 廊下に崩れ落ちたリクの肉体から、“砂の精”が抜け出たのと入れ替わりに、閻魔は精神をリクの体内に入り込ませた。万が一、リクが戻って来れないことが無いようにだ。

「彼女は、妖精から襲われた時の対処を、しっかり心得ていた」

「対処? 」

「“大切な物を、忘れない”という、簡単なものだ。自己を見失わない為の、初歩的な呪文だ」

 身の毛がよだつ様な、何も無い、闇の中。リクは、必死に“大切な物”を思い浮かべていた。

「最初は、彼女の両親が投影された。彼女に良く似た顔で、暖かな家族だ」

 その家族の思い出を終えると、次に出てきたのは──……

「君たち、汽車の住民の顔だった」

「俺らの──」

「そうだ。この汽車で生ける者、ひとり残らず、彼女は失いたくないときた。彼女は、君に、死んで欲しくないと、心の底から思っていたのだ。そして君も、そんな彼女にてられ、生きたいと願った」

「それが、第2の理由」

 アントワーヌが呟く様に言ったのを、閻魔は頷きで返した。

「それで、第3の理由は──? 」

 アントワーヌが問い掛けた時だった。部屋の脇に除けられていた丸い全身鏡が、白い光線を発した。そのあまりの眩しさに、彼は顔の前を手で覆った。

「あら! もう全部が終わってしまっていましたのねっ! 」

 小鳥の鳴き声の様な甲高い声が、部屋に反響した。

 やっと目が落ち着いてくると、アントワーヌは周囲を見回した。

「はあ? 」

 椅子に座り、優雅に足を組む閻魔の指の上に、小さな小さな人型の妖精が止まっていた。ソレは、苔色こけいろの長い髪の毛を三つ編みで ひとまとめにし、それを色とりどりの花弁で飾り付けていた。

 閻魔は、その小さな妖精を指の上で、好き放題に躍らせると、顔をほころばせた。

「パック君! 来るのが遅かったじゃん! もう、何してたんだよお」

 その口調は、いつの間にか、天使の威厳を失い、恋人にうつつを抜かす馬鹿者に戻っていた。

「だってだって、折角会えると思ったんですもの! しっかりお化粧してこなくちゃ! 」

 “パック”と呼ばれた、小さな妖精は、そう言って、自慢のドレスを閻魔に見せびらかせた。

「おや、それは見たことないなあ。もしかして、オレの為に用意とかしてくれたんじゃね? 」

 うっとりと閻魔が言うと、パックは無慈悲にも首を振った。

「違いますわ、閻魔様。“アディ”の為にですのよ! さあ、閻魔様、彼はどちらに? いらっしゃるんでしょう? 折角、彼の、心からのお願いを叶えてあげたんですもの。きっと、アタシに感謝してくれるに違いないわ! 」

 その言葉に、閻魔は眉のしわを寄せた。

「げえっ! まさか、まさかパック君! キミってば、あの金髪の男にれてんじゃ無いよねえ? 彼は腰抜けだよ! オレが、キミからの願いを叶えてやってた間、彼ってば、ずっとそこで突っ立ってただけじゃね? オレの方がイケてね? ねえ、どこ行くの? 」

 閻魔が訴えかけている間に、可愛らしいパックは飛んで行ってしまった。

「食堂から彼の声が聞こえますわっ! 」と言う響きだけを残して。

「まじかよ」閻魔は肩を落とした。「パック君! 彼なんてね、前歯だけがやたらとデカいんだから! 口開けた顔をよく見てみろってえ! 」虚空こくうに向かってそう叫んだ。

 嵐の様に去っていった、その光景に、呆気に取られていたアントワーヌだが、ふと気がつくと、「あの、ひとつ、いいか? 」と閻魔に言った。

「どうぞ、何なりと、聞けばいいんじゃね? 」

 グッタリ と落ち込んでしまった閻魔は、床に視線を落としたままで言った。

「その……3つ目の理由って、まさか、アレか? “キミからの願いを叶えてやっていた”と、聞いた気がするが──」

 アントワーヌが尋ねると、もう完全にやる気が失せてしまった閻魔は、力無く頷いた。

「そうじゃね。第2の理由の時に話したと思うけどお、オレに依頼してきたのは、オレの愛しのパック君じゃんね。上目遣いでさあ、おねだりしてきたんだよねえ」

 “アタシの大好きな人の、大切な人なの! 助けて! ”

「いくらさあ、嫉妬心しっとしんが湧いたとしてもさあ、いいとこ見してやりてえってもんでしょ? だからさあ、他の仕事ほっぽってさあ、時間割いて調査とかさあ、まじ何世紀か振りに肉体と魂の分離と結合とかさあ──あれさあ、簡単に見えるけど、超難しいし超大変なんだよ? ──やったのにさあ……」閻魔は、特大の溜息を吐いて、席を立ちあがった。そして、「ああ、もう! やってらんない! オレは帰る! 」と叫んだ。

 アントワーヌはベッドの上に膝をつく様に立ち上がって、「いやいや、待て待て」と、その体を押さえた。

「折角、命を救ってくれたんだ。お礼ぐらいさせてくれ。俺の従業員も、きっとそれを望んでいる」

「君の従業員だって⁉ きっとあの金髪野郎もいるっしょ? やだね! 好きなコの好きな奴の顔を見ながら美味しいご飯なんて食べれないっしょ! オレは仕事あるしい、もう帰るから! 」

 不貞腐ふてくされた閻魔は、ギャアギャア とそう言うと、アントワーヌの手を振り解いて、浮かび上がった。背中からは、眼球で作られた羽根が生えている。

 その奇妙な翼に驚いていると、不機嫌な表情の閻魔が、アントワーヌに指を差した。

「あの金髪に伝えといてくんない? 今後、君が《泣き女バンシー》の宣告を受けたが最期、速攻で命を取りに行く様に仕向けるからって! 」

 そう言い残すと、閻魔は瞬きの内にその場から消えた。

 部屋の中には、ボンヤリ と口を開けるアントワーヌだけが残った。彼は、鼻で細かく息を吸い込むと、ハッ として言った。

「妖精たちの、ニオイが消えた──」

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