第48話『分離と復活』

「アントワーヌ君、アントワーヌ君……おっと、ここだあ」

 閻魔えんまは手慣れた様子でページを弾くと、ある箇所で手を止めた。

「うんうん、ちゃあんと名前が載ってんねえ。《泣き女バンシー》たちの報告通りだ。くっきり名前が刻まれちゃって、可哀想にい。助ける余地が無いねえ。普通なら、このまま死を待つのみ、かなあ」

 素っ気ない様子で、事務資料──カレにとっては、そうなのだ──を読み上げる閻魔に、レアが突っかかった。

「ちょっと、待ちなさいよ! もしかして あんた、トニの命を取りに来たって言うんじゃないでしょうね? 」

 そんなことしたら、私、許さないから! とわめく彼女を、近くにいたゾーイとソジュンが止めた。

「リリイ──」

「レアさん、僕だって同じ気持ちです。しかし──」

「でも! 」と、レアは、遂に泣き出してしまった。

 他の従業員たちも、肩を落とし、下を向いた。

 一方で、その様子に首を傾げたのは、妖精たちで、宙に浮くリーレルが、「どうして あんたたち、そんなにへこんでんのよ」と言った。

「どうしてって──」

 コリンが言葉を詰まらせると、今度はミハイルが、「閻魔様、来てくれた、大丈夫」と言った。

「どういうこと? だって、閻魔様って、トニの魂を取りに来たんじゃないの? 」

 閻魔帳をどこかへと消した閻魔は、「あのさあ」と溜息を吐いた。

「さっきもオレ言ったっしょ? オレは神様じゃないの。死神様じゃないんだからさあ。生きてる命を取れるはず無いっしょ? 」まあ、取ろうと思えば取れるけどねえ、と閻魔は恐ろしいことを ポロリ とこぼしたが、とにかくねえ、と続けた。「命を取るのはあ、神様の仕事でえ、オレの仕事じゃないの。でさ、立ち話も何だし、ここ座っていい? んで、彼がまじで辛そうだから、仕事だけ先に終わらせちゃうわあ。ちょっと妖精のミンナはどいててくれる? んで、メル君は窓に結界張っててもらっていいかなあ? 神様うえにバレると面倒なんだよねえ。あと、君たちもさあ、部屋の中に入るか出て行くかして扉閉めてよ」

 閻魔は、扉の前でぼんやりしていたアダムとニックに声を掛けると、リクが座っている椅子と反対側に置かれたそれを、アントワーヌの枕元まで引きって行って、腰掛けた。炭鉱夫たちが入室し、部屋の扉が閉まったのを確認すると、窓の側でカレの命令を待つ、ロバ頭の衣装係、メル=ファブリに目配せした。「じゃ、5分程よろしくう」と気の抜けた合図を出した。

 メルの手が黄色に輝いたかと思うと、その光が部屋の中を覆いつくした。まるで蜂蜜を壁や床や天井中に塗りたくったかの様に、空間が歪み、音がこもった。

「じゃあ、手術を始めますかあ」

 メルの呪文を確認した閻魔は、そう言って、アントワーヌの、真っ白になった額に、手の平を被せた。

「何するの? 」

 リクが尋ねた。すると、閻魔は、ニタリ と口元に笑いを浮かべ、「肉体と魂の分離さ」と低い声で答えた。

「久し振りにやるよ、こんな大それたこと。本来なら、神様がやる仕事なんだ。だいぶ神経使ってねえ。アントワーヌ君この人助けてほしかったら、オレがいいって言うまで物音立てないでよね」

 言葉の後、どこからともなく、突風が吹き荒れ始めた。リクたち従業員は、お互いにお互いを支え合わなければ、立っていられない程だった。椅子に座るリクは、隣にいたレアに しがみつかれながら、閻魔の姿に、目を丸くした。

 カレの姿は、一寸前までとは、まるっきり異なっていた。

 体の至る所から、人間や動物の腕が無数に生え、背中には、眼球が塊になって作られた翼が、ギョロギョロ とうごめいていた。元々背の高かった体だったが、今では頭は天井につかえ、眼球の羽根のついた背中は、扉の前で突っ立っていた炭鉱夫たちを押しつぶしていた。アダムとニックは、体液に濡れる生温いその感覚に悲鳴を上げそうになっていたが、なんとか堪え、命からがら抜け出てきた。

 そんな彼らのことなど全く気にも留めない閻魔は、アントワーヌの額に乗せている手と反対側の手で彼の口を開かせると、2本目の右手の指を、その中に入れた。

「大人しくおいで」

 ポソリ とつぶやいたかと思うと、口内で バチン と、静電気の様なひらめきが起きた。

 手を引き抜くと、ビードロ玉程の大きさの光の玉が ふたつ、中から浮き出てきた。ひとつは、白い、煙の様なもの。もうひとつは、線香花火の様に パチパチ と輝く黄色い玉だった。

 閻魔は、左の3本目の手で黄色い玉の方を ひっ捕らえ、ジャケットの懐へ放り込むと、右の3本目の手で白い玉を柔らかく掴み、慎重に、口の中へと戻した。

 また バチン と音が鳴り響いた──……


 リクは、風が止んでいるのに気がついた。

 閻魔の姿も、いつの間にか身長2メートルの美男子のものに戻っていて、カレは例にならって、どこかから取り出した閻魔帳を開くと、「うんうん。名前も消えてるしい。証拠隠滅しょうこいんめつは完璧っしょ? メル君、お疲れ様あ。手術は無事終了だよ」と、気の抜けた声を発した。

 ベッドの上のアントワーヌは、気持ち良さそうな呼吸を繰り返し、安らかな表情を浮かべていた。そのほおには、しっかり血の気が戻っている。

「トニ! 」

 我先にと、レアが叫んだ。

 それを合図に、他の従業員たちも、自らの指揮官の名前を呼びながら、ベッドに近付こうとしたが、ひとり 冷静な閻魔が、それを引き留めた。

「ちょっと、ちょっとお! 皆さん方さあ。嬉しいのは分かるけどさあ、魂が戻ったばっかりでえ、疲れてるんだからさあ、ちょっとは寝かせてあげなよねえ」

 そう言われて、見たアントワーヌは、ホカホカ と血の通った顔はしているものの、閻魔の言う通り、どこか やつれている様にも見えた。

「ねえ? だからさあ、感動の瞬間は後にしてえ、オレもオレなりにやることもあるしい、部屋から出て行って欲しいんだよねえ」

「私たちの汽車なのに、追い出すって言うの? 」

 気の強いレアが言った。閻魔は、「いや、だからあ」と、タジタジ な様子で口角を上げたが、「あ」と何かを思いついた様に手の平を合わせた。

「オレへのおもてなしをしてよお。君らの指揮官助けてやったっしょ? だからさあ、美味いご飯でもご馳走ちそうしてよお。それにい、アントワーヌ君もすぐに起き上がれるようになると思うしさあ、お祝いも──人間ってのは、少しでもいいことがあるとお祝いするもんなんっしょ? ──も兼ねてさあ。オレってば名案じゃね? 」

「それもそうだね! 」

 上手く言い包められた従業員たちは、そそくさとアントワーヌの部屋から出て行った。それは、妖精たちも同じで、カレらは、ご飯のつまみ食いを期待してのことだった。

 しかし、閻魔の口車に乗らず、部屋に残った影がひとつ。

「リク君。まだいたのか。君も例外ではないよ。待っておいでよ。すぐに行くよ」

 従業員、そして看護に当たっていた妖精たちが、扉から出てゆくのを見つめていたリクに、閻魔が言った。

 腰掛にゆったりと くつろぐ閻魔は、「変なことはしないってえ」と、穏やかな笑みを向けた。「ただ少し、お話するだけだてえ。だからあ、心配しないでさあ、皆のとこ、行きなさいってえ」

「でも──」

 リクが言いかけると、閻魔の細長い指が、ステンドグラスのはまった扉を指差した。このオトコに、聞きたいことが たんまりあったリクだったが、脚が勝手に、指の向く方へと進んで行った。まるで糸に繋がれた人形の様に。回れ右をすると、そのまま何も言えず聞けず、リクは部屋から出ると、扉を閉めていた。

「どういうこと? 」

 しばらくリクは、間の抜けた様に口を ポカン と開けたまま、そこに立っていたが、両手足を見回すと仕方なく、皆の待つ食堂室へと向かうこととした。


 ステンドグラスの輝きを確かめる様にして居たのは、閻魔だ。彼は、1号車のスイートルーム内にいながらも、3号車の食堂室の扉を、リクが閉めるのを聞くと、ベッドへ振り返った。

「さあて、アントワーヌ君。随分前ずいぶんまえからお目覚めだったみたいだけれどお? オレに聞きたいことって、何なのさ? 」

 ワインレッドの衣装に身を包んだ、この汽車の指揮官は、ベッドの上に体を起こした。胡坐あぐらをかくと、びんに入った水を口に含んだ。

「こんなに身体が軽く感じるのは、何年ぶりだろうか」

 アントワーヌは ポソリ と呟くと、丸い物で溢れかえた部屋をふらつく閻魔に、視線をやった。

「どうして、俺を助けた? 」物知りな彼は尋ねた。「お前の名は聞いたことがある。死を司る天使、閻魔だ。それが、どうして俺を? 」

「正しく言えば、オレは──言わば、監査役なんだよねえ。オレの仕事はあ、死神様が正しい人物の魂を、正しい手順を踏んで抜き取っているのかってのを確認するのとお、それがちゃんと大王様へと配達されているかってのをお、確認する係な訳え。でもさあ、死神様も大王様も大体にして適当っしょ? オレばっか真面目にやってんのも馬鹿みたいじゃん? だから、オレも偶には息抜きに好き勝手にさしてもらってるって訳え」

「それで、息抜きに俺を助けたってことか? 」

 アントワーヌの問いに、閻魔は ふふふ と笑って、枕元の椅子に引き返した。

「息抜きの為に、このワタシが、こんな大掛かりな調査をするとでも? 」低い声で、カレは聞き返す。その口調は、魂の見届け人という名ににふさわしいものだった。「今回の件に関しては、君の魂を救う理由があった。君は、に感謝せねばならぬぞ」

「“あの子”? 」

「ああ」閻魔はうなずいた。「あの子が君を救ったのだ」

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