第47話『死の手帳と閻魔様』

 時計の針が円を下り、窓の外の景色が朝へと近づくに連れ、アントワーヌの息は、詰まり、荒くなっていった。ほおからもくちびるからも血の気が引き、体の温度も奪われつつあった。

 彼の部屋に集った従業員たちは、なすべき手段も無いまま、妖精たちの必死の手当てを見守るだけだった。

「どうしてなの? トニは、生きたいと願ったはずよ」

 誰にでも無く聞くレアに、ロバ頭のメル=ファブリが答えた。

「遅かったんじゃ。この子が、気がつくのが遅かったんじゃ」

 歯を食いしばり、目を細めた衣装係は、小さな声で、付け足した。

「もう、遅いんじゃ──この子の、アントワーヌは、もう……」

 その声が消え切るか、消え切らないか、枕元の椅子から立ち上がった姿があった。アダムだ。この炭鉱夫兼次期指揮官の彼はと言えば、先程から貧乏揺すりが止まず、何度も何度も舌打ちを繰り返していた。

 アダムは、扉へと歩き出した。

「どこ行くの? 」

 リクがたずねると、彼は振り向かないままに言った。

「仕事してくる。もうすぐ日の出だ。リクたちは、ここにいてやってくれ」

「ちょっと」

 ゾーイが止める間もなく、彼は出て行った。

「アダム──」

 立ち上がろうとするリクを、ニックが引き留めた。

 アダムと同じく炭鉱夫である大男は、いつもの優しい笑顔をリクに向けると、「俺が行く。トニを頼んだ」と部屋を後にした。

「もう、あの ふたりったら! こんな時に──あら? 」

 アントワーヌの頭上に浮かび、“とっておきのおまじない”に当たるリーレルたちは、唇を震わせようとして、首を傾げた。と、部屋の扉が勢い良く開いた。同時に、「お、お、お、おいっ! 侵入者だ! 大変だ! 」と叫ぶ、アダムとニックが現れた。

「うるさいわねっ! 仕事に行くんじゃなかったの! さっさと行きなさいよ! 」

 レアが大声で訴えた。

「どちらも静かに。ほら、チーズさんが怒ってます! 」

 怒鳴り合うアダムとレアを、ソジュンが止めた。彼の言う通り、ベッドの隅で、ホブゴブリンのチーズが、鼻を ふごふご と鳴らしていた。

 それでも、炭鉱夫の ふたりは、騒ぐのを止めようとしなかった。

「静かにしてる場合じゃねえんだ! 侵入者だって! 」

「声を掛けられたんだ! どちら様かと尋ねたら──」

「オレだって」

 廊下から響いてくる足元に、ギクリ という表情を見せて、ニックが振り返った。その視線の先から、カラフルな衣装に身を包んだ、ヒョロリ と背の高い男が現れた。その身長は、大男のニックよりも遥かに大きく、2メートルはあるのだろうか。しかし、顔付はまだ少年を思わせる幼さを残している、からすの様な髪の毛と瞳の色を持った、不思議な雰囲気の美男子だった。

「オレもさあ、暇じゃないんだよ。腕が何本あったって足りないし、目がいくつあったって、まだ欲しいくらいなのにさあ、どうしてもって呼ばれて来てみたら、騒がれるってどういうことなの? 仕事の合間縫って色々調査もしてやったのにさあ、最悪だよ」

 納豆を口に詰め込んだ様な、モゴモゴ した喋り方をする、背の高い美男子は、前をふさぐアダムとニックを軽々とかき分けると、大股に部屋に入ってきた。ベッドに横たわるアントワーヌに視線を向けた。

「ふむふむ、こいつねえ」

 勝手に納得をすると、部屋の中の一同を見回した。

「で? アイツどこいんの? 」

「アイツ? 」

 見ず知らずの、馴れ馴れしく振舞う その人物に、体を仰け反らせるリクが聞き返した。

「オレのこと呼んだヤツでしょ。アイツいないの? まじかよ」美男子は呆れた顔を見せると、「まあ、いいや。オレはオレの仕事するだけだし」と、やはり勝手に気を取り直して言った。

 ポカン と口を開くだけの従業員たちの中、フリルのウェイトレスが、果敢かかんにも一歩前に踏み出た。

「と、ところで、あんたは何なのよ! こっちはね、今、大変な時なの! 冷やかしに来たのなら、帰って頂戴! 」

「そ、そうだよ! 」

 レアに続いて、ミハイルの足に隠れるコリンが言った。

「はあ? 何なの」

 美男子が眉を寄せた。すると、コリンにしがみ付かれているミハイルが、レアの言葉に答えた。

「カレは、“閻魔様えんまさま”。神出鬼没しんしゅつきぼつ。お久しぶり」

「え、“閻魔様”⁉ 」

 叫ぶ様にリクが言った。

 驚くのも仕方がない。その姿は、閻魔という、大それたものとはかけ離れていたからだ。

 ステッカーを乱雑に貼り付けた様な、目の チカチカ するジャケットとズボンに身を包み、首元には、赤い派手な紐リボン、耳朶みみたぶからは、目の形を縁取った、不気味な銀のイヤリングがぶら下がっていた。

「閻魔様って、あの、閻魔大王⁉ 地獄の番人っていう──」

 人間の従業員たちが、その姿と名前との不一致に呆気に取られているのも露知らず、“閻魔”と呼ばれた美男子は、リクの言葉に対し、饒舌じょうぜつに語り出した。

「ああ、まだその勘違いしてる奴いんのお? まじ、困ってんだよねえ。閻魔は閻魔でも、オレは大王様じゃねえし、あのヒトのが偉いんだからさあ、いい待遇されたきゃ、間違いは正した方が良いよお。ちなみにい、オレが持ってる閻魔帳はさあ、大王様のやつとは違ってえ、死期が近い人間の名簿であってえ、名前と現在地ぐらいしかあ、個人情報 扱ってない訳え。お分かりい? 」

 そこまでを ペラペラ と喋り終えた閻魔は、リクに向くと、どこからともなく、紫色の、分厚い一冊の本を取り出して見せた。これが、カレの言う“閻魔帳”なのだろう。

「んでえ、こんなのを持ってたらねえ、今度は別の勘違いを生んでえ。オレのこと死神って言ってくる奴も出てきた訳え。まじ参っちゃうよねえ。大王様と間違えるなら、名前が一緒だし仕方ないとしてえ、神様と間違えられちゃあねえ。そう思うっしょお? 」

 閻魔の態度に、タジタジ になっているリクの横から、表情の無いミハイルが、「閻魔様、仕事」と注意した。

「あ、そうだ そうだ」閻魔は はっとなって言った。「それよか、久し振りだねえ。ミカ君。 いつもなら乗っ取られちゃってるキミが、今じゃ人間を乗っ取っちゃってるなんてすげえじゃん。妖精も、成長すんだねえ。感動しちゃったよお」最後に無駄口を叩くと、また、ベッドに顔を向けた。周りで手当てを続ける妖精たちが、閻魔のことを見上げていた。

「さて、さて」

 閻魔は、先程 取り出した分厚い閻魔帳を繰り出した。

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