第45話『ふくれっつらと希望の光』
運転室も合わせると、11個もの車体を調べるのは、大変という ふた文字で表すのでは足りないほどだった。四苦八苦、超えて
「やっと終わったあ! 」
「よく頑張ったな、リク。偉いぞ」
ニックはリクの頭に、ゴツゴツ した大きな手を乗せると、人を安心させる笑顔を見せた。
昼寝のし過ぎで、遅刻した午後6時少し過ぎ。リクがアントワーヌの部屋に駆け込むと、そこには、ロバ頭の妖精、メル=ファブリと、その向こうに、もうひとり、先客がいた。
「イチだ! メルだけのはずじゃなかった? 」
「トニの様子が気になってね。ちょっと見に来たんだよ。最近、チェンシーの監視が酷くってさ。メルがいる時じゃないと、この部屋に入っちゃいけないって言うんだ」
リクから名前を呼ばれた、汽車の
すると、掛け布団の膨らみが、音を立てて動いた。眠っているものだとばかり思っていた、アントワーヌが、リクに体を向けたのだ。
「全く、いつまでも
アントワーヌのその言葉に、シンイチは、不平を訴え細い目を更に細めた。が、手当てを行っているメルから、「アントワーヌの言う通りじゃ」と追い打ちを受けた。
「何度も言っておる様に、今の“砂の精”は、前までとは異なる存在になりつつある。《輪》を見ても、全く反応を示さない時さえあるのじゃ。悪いことは言わん。部屋に戻って、じっとしていておくれ」
いつもは温厚な衣装係から、ピシリ とそう言われ、シンイチは、やっと重たい腰を持ち上げた。
「ここの
黒髪の青年は、
「イチって案外、子供っぽいんだね」
猫背なシンイチが閉めた扉を見つめながらリクが言うと、寝たまま
メルも、その意見に賛成する瞬きを見せた。短い両手から発する光で、アントワーヌの体を黄色い光で包み込みながら、リクへ振り向くと、「座ってはどうじゃ? 」と、ベッドの向こう側にある椅子を示して言った。つい先ほどまで、
「俺も、そろそろだな──」
「これ、そんなこと、言うのではないぞ──」
リクがベッドを半周する内に、アントワーヌとメルが、そんな小声を交わしていた。その
「あ? 」
リクの声に、アントワーヌが顔を向けた。
「やっぱり! 」確信を掴んだ、と言う様にリクは頭を上下に振った。「トニ、きょうはお
赤道が横切るこの地、インドネシア・カリマンタン島に汽車が到着した朝、リクが見た彼の姿は、ゲッソリ と
「
リクは尋ねた。指揮官は首を振った。
「いいや。これから、行くんだよ」
「どこに? 」
リクは尋ねた。指揮官は、体を仰向けに直すと、真っ直ぐ、前を指差した。
「あそこだ」
指の先を見て、リクは首を傾げた。
「天井? 」
「違う! 」リクの回答に、アントワーヌは声を大きくして訴えた。「空だ、空! 天国に行くんだよ、俺は! 」
「久し振りの親子の再会だ。立派な姿見せてやりたいだろ」
息を整えて言うアントワーヌの言葉に、リクは「うーん」と唸った。不満そうな、眉間を寄せたその表情を、彼は見逃さなかった。
「なんだ、その顔は。どうせ、俺なんて天国へ行けないなどと思っているのだろう? 」
「違うよ」
リクは言った。
「なんだか、違う様な気がするんだよね」
「何がだ。この服がか? メルに作らせた一級品だぞ」
「違うよ」リクは、また否定した。「全部が、間違ってる気がするんだよ」
「間違っている? 」
今度は、アントワーヌが眉間に
その表情に、リクは「ええっと──」と怖気づいてしまいそうになったが、病床のアントワーヌでさえも、「これ」と叱ることのできるメルに、助けられた。
「リクの話を聞こうじゃないか。なあ、アントワーヌよ。ほれ、リク、話してごらんなさい」
「あのね、私は、あの、トニについて、知らないことばっかりだし、私も、14年の人生しか学んでこなかったんだけど、でも、私は、思うの」
「何をじゃ? 」
アントワーヌの代わりに、メルが
「トニのお母さんは、トニに来て欲しくないと思うの。だから、
ベッドの指揮官は、リクのその言葉に、眉間の皺を一層濃くした。「ええっと」リクは、
「トニのお母さんは、トニだけのせいでいなくなったんじゃ、決してないし、トニのせいで そうなったなんて、絶対に思ってないよ! トニのお母さんは、トニを愛していた。そうでしょ? トニのお母さんは、今でも、トニが贈ったドレスを着てるはずだよ。でも、それは、トニに会うために着ているんじゃないと思うの。今生きているトニを、誇りに思っているからだと思う。だって、トニは、こんな不思議な汽車の指揮官なんだもん! 私たちのリーダーなんだもん! そして、私たちの、大切な家族でもある──」リクは、一歩、一歩と、枕元へと足を進めた。「もう、トニは、ひとりじゃないのに。もう、トニは幸せでいていいのに。トニのお母さんは、今のトニに来て欲しくないよ」
「それは、お前だけの考えだ──」
口の中で練り回す様に、アントワーヌが言った。
その言葉を受けたリクは、メルが発する眩しい光に負けない笑顔を見せた。
「私だけの考え、そうかも。でも、本当にそうかな? 」
「どういうことだ? 」
アントワーヌが片方の眉を上げた。
「もし、もしもだよ。よおく想像してね」リクは、真っ青なアントワーヌの瞳に、顔を近付けた。
「トニのお母さんが、“砂の精”の力を手に入れたとするね。それで、トニが、いなくなっちゃったとしたら、どう? トニは、お母さんに、自分と同じ所に来て欲しいって思う? 全てを捨てて、来いって? 」
リクの問い掛けに、指揮官の瞳が揺らいだ。それを、彼女は真っ直ぐに捉えていた。
「それでもトニは、私だけの考えだって、言うのかな」
アントワーヌの冷たい手が、リクの肩に触れた。痛々しいほど弱い力で、その肩を押していた。リクは動かなかった。彼の腕が、
リクは、アントワーヌからの返答を待っていた。震える彼の唇が、ようやく数ミリ開くと、呟く様にして言葉が発せられた。
「喉が渇いた──」
「分かった」
肩に乗った腕が、ベッドに落下した。リクは、それを、掛け布団の中に入れてやると、扉へ歩いた。
「水でいいよね? 」
聞くと、汗だくのアントワーヌは、「ああ、それでいい」と頷いた。
「ありがとう」
食堂のある3号車に向かう長い廊下。リクは、覚えのある寒気に襲われた。身体の内側から氷に侵食されていく様な、そんな寒気だ。
「もしかして──」
リクは、独り言を言った。
「でも、ううん、だって──」
トニは起きていてたんだもん、そう続けようとして、口は閉ざされた。
背後から、子供たちの笑い声が聞こえてきたからだ。
「そんな、まさか」
首の後ろに ゾッ と鳥肌が立ち、リクは、ゆっくりと振り返った──
「──あんなに忠告してやったじゃないか……」
リクの背後に
「ボクは、君に、散々忠告してやったのに……」
白い髪、肌、服、金色に
「トニは? 起きてたはずでしょ? 」
震えて上手く歯が噛み合わないまま、リクが尋ねると、“砂の精”は口の両端を吊り上げる様にして笑顔を作った。
「寝かせたよ。ボクが、あの身体の主人になりつつあるんだ。もうすぐなんだ。でもね──」“砂の精”は、
「生きていていいと、思うようになって“しまっている”? 」
リクは繰り返した。カチカチ 鳴る奥歯は、寒さのせいなのか、込み上げてくる気持ちのせいなのか、判断ができなかった。
「生きていていいに決まってるでしょ! あの身体は、誰が何と言おうがトニの物なの。“アナタ”が奪っていい物じゃない! 」
“砂の精”は、冷たい視線を、目の前の少女へと突き刺した。
「ボクのだ。あの
「あれは故意じゃない」
「故意じゃなければ、ボクの体を奪っていいと? 」
「朝露がアナタたちの血であるなんて、トニは知らなかったんだから」
「知らなかった、なら、ボクの肉体は滅んでもいいと? 」
「それは──」
「事実だ。事実なんだよ。あいつのせいで、ボクの自由な体は滅んだ。再び自由になるには、あいつに死んでもらう他、方法が無い! 」
「他に方法があるはず! 」
「無いね! 」
“砂の精”は声を張り上げて断言した。
「わざとじゃなかったとしても、ボクが体を失ったのは事実! そして、奪ったのが、あの赤毛の
狂った様に
「もう少し、あと少しなのに、絶対に、絶対に邪魔させない! こんな小娘なんかに! 」
「ひっ! 」
リクは、その場から逃げようと身を引いたが、もう手遅れだった。
不気味な笑いを響かせる“砂の精”の体が、白く輝いたかと思うと、次の瞬間には、どんな闇よりも暗く、渦巻いて見えた。顔も目も口も無い、煙の様に
「あっ」と声を発する間もなく、リクは気を失い、その場に崩れ落ちた。
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます