第44話『ロケットペンダントと戻らぬ故郷』

 ボタンの光線以外の光を遮断しゃだんした、真っ暗闇から外に出ると、目が ジーン とにじんだ。窓の外は、もうすっかり お天気に戻っていた。

「はあ、ちょっとしか手伝ってないのに、もう疲れちゃった」

 両手で伸びをするリクに、隣を歩くニックが怪しい笑みを見せた。

「バテるのは早いぞ、リク。これから外の点検に行くんだからな」

「外お⁉ まだ点検する場所があるの? 」

 驚くリクに、大男は「勿論! 」と首を大袈裟おおげさに振って見せた。

「外こそ、停車している時にしか見れない場所だからな。丁度、雨も上がったところだし、いい機会じゃないか。ですよね、チェンシーさん? 」

 ニックが顔を向けると、老婆も、ニッコリ とうなずいた。

「ええ、暗くなる前に終わらせましょう」

「え、チェンシーも行くの? 」

 自分よりも、ずっと ヨボヨボ なチェンシーの、疲れ知らずな様子に、肩を落としたリクには、「分かった」と頷く選択肢しか、残されていなかった。

「私が、自分から手伝いたいって言ったんだから。言葉にしたことには責任を持たなくちゃ」

「偉いなあ、リクは。“エマ”にも見習わせたいよ」

 電源室の手前、冷蔵室の廊下の扉から、ひと足先に地上へ降りたニックは、リクとチェンシーに手を貸しながら、つぶやく様に言った。

「“エマ”? 」リクが首を傾げた。「誰? 人の名前? 」

「どうぞ、チェンシーさん」と、ニックは、チェンシーを丁寧に地面に降ろすと、リクに顔を向けないままで、「俺の娘の名前だ」と答えた。ポケットから鍵の束を取り出し、電源室外側の、車体の腹から、生える様に取り付けられている、丈夫な鉄の箱を開いた。そこには、作業に必要とされるであろう道具一式が揃えられた、大きな黒いツールバッグがあった。

「さて、分かり易く、1号車から見ていくか」

 そう言って歩き出そうとしたニックを、リクは、「待って、待って! 」と呼び止めた。

「娘⁉ ニックって、もしかして、お父さん、なの? 」

「ああ、そうだが」ニックは ポカン とした表情を浮かべて、リクを見下ろした。「何か変か? 」

「変じゃないんだけどさあ」リクは言う。「何て言うか、ほら、娘さんとかいたなら、もっと話しそうなものでしょ? 私のお父さんなんか、他人と会う時は私の話ばっかりだったし。ニックは、全然だったから」

 早口なリクの説明を、じっくり聞いて、ニックは大きな笑い声を上げた。

「成る程な。そういうことか! 実はな、俺も、汽車に乗る以前までは、娘の話ばかりだったんだ」

 そう言って、大男は、首元を探り始めた。シャツの襟から、金色のネックレスを引っ張り出すと、留め具を外して、リクの前に差し出した。それは、ノッカーと取引する時に、ニックがカレらに預けた、例のロケットペンダントだった。

「これ──」

「そう。ロケットペンダントだ」慣れた手つきで、ニックはそのふたを開けた。「俺の、家族の写真が入っている」

 リクとチェンシーは、ペンダントの形に合わせて切り取られた、白黒の写真をのぞき込んだ。家族3人の、記念写真だ。ひとつのソファに、3人が横並びに座っている。スーツを着た黒髪の女性と、軍服に身を包んだニックが、ふたりの間に座る幼い女の子を包み込む様にして座っている。

「妻のゲルダと、娘のエマだ。俺はここに来る以前、陸軍の、歩兵部隊の一員として、遠い異国の地に配属されていた。ふたりとは、この写真を撮影した、この日以来、会っていない。エマが3歳の頃のものだ。それから約3年。1ヶ月もすれば6歳になる。戦地に立ってすぐは、自分の安否よりも娘のことで頭がいっぱいでな。上官にしかられ、それ以来、娘の話は極力避ける様にしていたんだ」

「それじゃあ、早く家に帰りたいね」

 リクが言うと、ニックは「どうだろうな」と首をひねった。

「帰りたい……そうだな。帰りたい。しかし、戦地にいる仲間を忘れられないでいるんだ。俺は、偶々ここにいる。この安全な地に。一瞬先の死を恐れない現在にいる──」

 ニックの視線は、手の平の写真に止まっていた。

「だが、戦地は、どうだ? あそこは、まさに、地獄と呼ぶに相応ふさわしかった。寒さで大地は凍り、視界を遮る吹雪の中、敵はどこから攻めて来るのか、はっきりと見て取れない。凍えて死ぬか、撃たれて死ぬかのどちらかだ」どちらかと言えば、撃ち殺される方が楽かも知れないな、と元軍人は皮肉な笑みを浮かべた。「俺のいた部隊は、俺の戦友は、まだあの地に残っている。俺だけが、にいる──」

 自信を責め立てる様な口調で話すニックを見て、リクは、食堂で聞いた言葉を思い出していた。

「だからニックは、あの時、“人の生死について何か言っていい立場じゃない”って言ったんだね」

「よく覚えていたな」ニックは、リクに優しく微笑み掛けた。「確か、トニの今後についての話の時だったか。俺は、平和を心に夢見ながら、この手で、何人もの命を奪ってきた。若く、未来のある命ばかりだった。それが、自らの向けた銃で、散っていったんだ──」

「ニック──」

 その微笑みが、リクの心臓を締め付けた。隣のチェンシーも、静かにこの男を見つめていた。

「俺は、ここにいていいんだろうかって、疑問に思うんだ。仲間は今でも戦っているのに、俺だけが、恵まれている。俺は、暖かな家に帰っていい人間ではない。俺は多く人の幸せを奪った。俺が帰るべき場所は、あの戦地なんだ。皆が、今の俺を見たなら、どう思うだろうか? 考える度、鳥肌が立つ」

「きっと、帰ってきてほしくないって、思ってると思うよ」

 ニックが、喋り切らない内に、思わずリクは言葉を発していた。

「そう思ってるに違いないよ。ニックに、生きていて欲しいって! だって、ニックは、こんなに優しいんだもん。友達だって、家族だって、誰だって! 帰ってこないで欲しいって思ってるよ。私がニックの友人なら、今のニックを見て、言うよ。“絶対に帰ってくるな”って! 大切な人って、そういうものじゃないの? 」

 リクは、ひと息にそう言った後、次の質問を軍人にていした。

「逆に、ニックが残された側だとして、この汽車に乗ったのが他の誰かだとしたなら、“戻ってこい”って、言うの? 」

 リクが差し出した、その質問に、ニックは視線をまどわせた。そして、はっきりと答えた。

「言わない」

 その答えを聞いた新米炭鉱婦は、ホッ と頷いた。

「皆、同じ気持ちだよ。戦地にいる皆も、ここにいる皆も。ニックが皆を愛してくれているのと同じぐらい、ニックのこと、大好きなんだもん」

 顔を真っ赤にしながら、必死に言うリクに、ニックは、表情を緩めた。

「辛気臭い話をしてしまったな。すまなかった。大好きな娘の話をするつもりだったのに──」ロケットペンダントを、再び首に垂れ下げさせると、大きな炭鉱夫は歩き出した。「ところで、リクの世界は、どうだ。戦争はあるか? チェンシーさんは? 」

 ニックの背中を追いながら、リクは小さな声で答えた。

「私の住んでいる国では無いけど。でも、世界を見ると、まだ戦いは続いてるよ」

「そうか」

 ニックは頷くだけだった。

 次に口を開いたのは、チェンシーだった。

「わたしの世界では、ありませんよ」

「本当ですか? 」

 ニックと、そしてリクでさえも、驚きの顔を老婆へと向けた。

「チェンシーの世界では、戦争はないの⁉ 」

「ええ、ありませんよ」リクからの問いに、世話係はしわだらけの笑顔で答えた。「するだけの人間がおりませんからねえ」

「それって、どういうこと? 」

「どういうことでしょうねえ」

 そう言って、ホホホ と笑い声を立てるチェンシーに、リクは唇を尖らせた。が、一方でニックは、穏やかに、「うらやましいなあ」と呟いた。

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