第42話『妖精パックと甘い恋』

「キミは」

 羽根を大きく広げて、浮かび上がってきた小さな影に、ソジュンは目を丸くした。

「パックさん! 」

 そう呼び掛けられた、森の祝福者、パックは、小鳥のさえずりで、「先程振りね」と挨拶をした。そして、周囲にいるホブゴブリンたちに視線を配ると、「私が、このコたちを連れて来たの」と言った。

みなさんの、お手伝いをする様にって」

「それは、ありがとうございます」ソジュンは、深く頭を下げると、すぐに顔を上げた。「しかし、パックさんは、森の妖精の中でも気高い存在と聞いてます。どうして、何度も僕たちを助けてくださるのですか? 」

「それはね──」

 ささやく様に言って、花びらの様な妖精は、スズランの様に真っ白な肌を赤らめた。

が、アタシにお願いされたから……」

「“あの方”? 」

 リクが鸚鵡返おうむがえしに質問をした。

「きのうの夜、アタシに、キャンディを下さった、優しき少年のことよ」うっとりとした眼差しで、パックは答えた。「あの方、アタシに、もういちど、お願い事をなさったの」

「アディのことかしら? 」

 レアが誰にでもなく言った。その言葉に、妖精は美しい顔を輝かせた。

「“アディ”! あの方、アディというお名前ですのね! まるでお花のつぼみの様ですわ! 」

「正確には、アダムって言うんだけどね」

 リクは付け足したが、妖精はといえば、こぼれ落ちてしまいそうな瞳を宙に漂わせて、春の溜息を吐くばかり。リクの言葉なんて耳に入っていない様だ。

「アディ──アタシね、あの方から頂いたキャンディを、巣の中で大切にとってありますのよ。あの方の肌の様に透き通っていて、あの方の髪の毛の様な色をした、あのキャンディ! お月様の描き出す、まあるい輪っかの様に キラキラ しているの、あのキャンディは──」

「それで、どうしてアディが頼みを? 」

 いつまでも続いてゆきそうな、甘い言葉たちを断ち切って、ゾーイが尋ねた。

 すると、妖精の方でも はっとしたのか、恥ずかしそうに身をよじると、小さな声で言った。

「アタシが、お願いしたから、ですわ」

「アナタが? 頼みごとをしてってアダムに? どうして」と、ゾーイ。

「あの方が、悲しそうな顔でピアノを弾いていたので」

「アダムが? 」と、リク。

「“アダム”! 嗚呼あゝあの方、たくさんのお名前を持っていますのね! まるで妖精の様だわ! 」

 パックは、「アタシたち」という言葉を強調して叫んだ。

「確かに妖精の様に、悪戯好いたずらずきではあるわね。それで、アディが悲しそうにしていたのと、アナタが頼みごとを強請ねだるのと、どう関係があるのよ? 」

 レアが尋ねると、小さな妖精は ふんっ と、チーズたちの様に鼻を話して、腕を組んだ。

「どう関係があるの、ですって? このお嬢さんは、心臓に灯る甘美な熱を知らないのですわっ! 暗い森に光を差す、お月様に出会ったなら、ご奉仕したいと思うのが、心というものじゃないのかしらっ! 」

 パックは、そこまでを一気に喋ると、可愛らしく顔を赤らめた。

 リクたちは、パックの言葉に大きなクエスチョンマークを頭上に浮かべると、首を傾げ合った。しかし、妖精たちの思考を、人間が理解できるはずがないと考え直すと、「どうしてアダムは悲しそうにしていたの? 」と質問を変えた。

 すると妖精は、何かを思い出したかの様に、背筋を伸ばした。「そうですわ! それが、不思議でしたの! 」

「あの方にね、落ち込んでいますわね? って伺いましたの。ご事情をお伺いしても よろしいかしらって。そしたらね、あの方ったら奇妙で、“砂の精”の復活について悩んでいるなんて言われましたのよ! アタシも妖精ですから、勿論、その お話は伺っていますわ。今、“砂の精”の魂の宿になっている人間──あの、アントワーヌでしたっけ? 汽車の指揮官らしいですわね──あの方が絶えてしまうっていうのは、残念なことですけど、仕様が無いことですものね。なのに、あの方ったら、いつまでも クヨクヨ なさっているんですもの。“俺に力が無かったために、友を失うことになるんだ”なんて、溜息をたくさん お吐きになられて……」

 パックは、その時のアダムを再現するかの様に、大袈裟に溜息を吐いた。

「アタシはこれでも、ずっと長い間生きてきましたのよ。それこそ、たくさんの、朽ちゆく、人間に恋心を抱いてきましたけれど、幾度お近づきになっても、さっぱりですわね。人間というものは。朽ちゆく魂を持つことこそ、美しさですのにねえ。羨ましいことですわ。短い一生の中では、漠然ばくぜんと過ごすことなんて、できないはずですもの。でも、人間は不思議ですわよね。こんなに短い期間しか生きられないくせして、他人のことばかりをお考えになるんですもの。いつ自分のことを考えられるのかしら? 考える暇も無く人生が終わってしまうのではないのかしら? それでも、他人のことに傷ついている、あの方を放っておくなんてできませんでしたわ。だから、お聞きしましたの。何とかしてあげましょうか? って」

「そうしたら? 」と、リク。

「本当に奇妙なんですのよ、あの方ったら! あなたたちの荷物を、小汚いノッカーの巣に運んでやってくれないかって頼んできましたの! そんなことでいいのかしらって、アタシ、思わず聞いてしまいましたわ。そしたら、それで十分ですって! 」

 元から丸い目を更に まん丸にして、パックは「奇妙よ、奇妙よ」と繰り返した。そして、「だから、このコたちを、連れて来てあげたって訳なんですの」と締めくくった。


 チーズたちホブゴブリンの行列が、かごに乗った果物の山を、木からなる《妖精の近道トンネル》の中へと運んで行っている。その様子を、川の前でレジャーシートを広げている、リクたちは眺めていた。

「働き屋さんねえ」

 服装と同様、レースのたっぷり詰まった日傘を差したレアが、つぶやくみたいに言った。

「パックさんも、随分ずいぶんと張り切っていますからね」

「けど、あれは少し張り切りすぎだね。ほら、あのコなんて、手を滑らせただけでしかられてる」

 ソジュンの言葉に、ゾーイはそう返した。彼女は、市場で買った林檎の皮を4つ分、慣れた手つきでき終えると、それぞれに手渡した。

「ありがとう」リクはさっそく、果汁が染み出る実に かぶりつくと、「それにしても、妖精が人間に恋するなんて、それこそ不思議だよね」と言った。

「そうよね」

 レアも、小さな口で上品に果物をついばんで、ニヤリ と微笑んだ。「ねえ、リクは、恋ってしたことある? 」と聞いた。

 質問に、リクは「え? 」と首を捻って、「無いけど。どうして? 」と返した。

「無いの⁉ 」

 その答えに驚いたのはレアの方で、美しい空色の瞳をめいっぱい見せると、ガックリ と肩を落とした。

「恋をしたことが無いなんて、信じられないわ! 人生の楽しみそのものだっていうのに! 」

「そんなものなのかなあ」

 リクがまたもや首を傾げていると、レアは、今度はゾーイに視線を送った。

「ゾーイは? どうなの? 」

「私? 」

 年上のウェイトレスは、興味津々なレアの表情に、魅惑的な笑い声を漏らした。

「勿論、あるわよ」

「きゃっ! 聞いてもいいのかしら? 」

「いいけど、ふたりは退屈じゃない? 」

 ゾーイは、リクとソジュンを見比べて言った。

「いいえ、退屈だなんて! 」

 視線に気がついたソジュンが、咄嗟とっさに首と手を横に振った。

「聞きたい! 」

 普段、口数が少ないゾーイの話に、興味を抱いたリクも、ソジュンが喋り終わらないうちに、返事をした。

 ゾーイは、喉を潤すがごとく、林檎をひと口、健康的な前歯で削り取ると、話し始めた。


「私の彼──といっても、もう別れちゃったんだけど──は、もう、神様が私に贈ってくださった、天使の様な人だった。私と彼とでは、生きてゆくべき世界がまるっきり違っていた。でもね、彼は、こんな私なんかを、心から愛してくれた。私が、たった一回、愛してるって言うと、彼は千度でも、私に、愛してるって言ってくれる様な──」

「つまり、それ程までにゾーイに夢中だったって訳ね」と、レア。

「そうね。改めて言葉にされると照れるけど、そういうことなんだと思う。私と違って彼は、大学に行っていたし、美しくて。少し変わり者だったけれど、人望もあった。私とは、全く真逆なの」

「そんなことありません! ゾーイさんも、利発で、美しくて、尊敬すべき人間です! 」

 思わず、といった風に、ソジュンが叫んだ。リクもレアも、大きなジェスチュアで同意を伝えた。

「みんな、ありがとう」ゾーイはその美しさで微笑んだ。「でも、彼は別格だった。私も、彼の周りの人間も、気持ちよりも世間体を心配していた。彼に、もう、私と一緒にいるべきじゃないって言ったのは、私。でもね、彼は何があっても了承しようとしなかった。どんな不幸なことがあったって、私と一生を過ごしていきたいんだって、言ってくれた──」

 黒曜石こくようせきの様に真っ黒に輝く瞳が、彼方まで広がる空を見つめていた。

「私の、唯一の理解者だった──それを私は、自らの手で、無くしてしまったんだ。それからの私は、本当に空っぽだった」

消えてしまいそうな声で、呟いた。

「ゾーイ……」

 レアが、ゾーイの手に、自分の手を重ねた。気丈なウェイトレスは、そんな彼女に、愛おしむ視線を向けた。

「そんな顔しないで、リリイ。私は不幸なんかじゃないから。ここに来て、私の理解者がたくさん出来た。私の味方しかいないんだから。皆のこと、大好きだよ」

 ゾーイはそう笑って、小さく震えるレアを抱き締めた。

「私もよ! ゾーイが大好き! 」

 レアも、そう叫んで身体を抱擁ほうようし返した。

 抱き締め合う ふたりの様子を、リクとソジュンが放っておかなかった。

「私も、大、大、大好きだからね! 」

「僕も! 」

 躊躇なく、レアとゾーイに抱き着けるリクをうらやむ様に見つめたソジュンは、その場に立ち上がったまま、ソワソワ と叫んだ。

「僕も、皆さんのことを愛してますよ! 」

 その時、小鳥の囀りの様な声が響き渡った。

「お花の蕾の様に重なり合うなんて。本当、人間って変わっていますわね」

「あ、パックだ。どうしたの? 」

 小さな妖精に気がついたリクが、体を離して声を掛けた。パックは、無神経な その言葉に、ふん と鼻を鳴らし、不機嫌そうに腰に手を当てた。

「全く、短い一生なのに、どうやったら そんなに呑気のんきでいられますのかしら! 荷物を運び終わりましたのよ。貴女たちも、汽車にお帰りなさい。特別に、このアタシが案内してあげますわ! 」

 パックの言う通り、バンの周りに積んであった果物の小山は、すっかりその場から無くなっていた。数も多くて手際のいいホブゴブリンたちの働きのお陰だ。

 リクたちは、感謝の言葉を述べて、車に乗り込んだ。

「よかったら、後で汽車に来てよ。お菓子をご馳走するから」

 助手席の窓から顔を出したゾーイが言った。

 森の妖精は、可愛らしい笑顔を、小さな顔一杯に広げると、「アタシ、キャンディを頂きたいわっ! 」と言った。

「了解。チーズたちにも声を掛けておいてくれない? ミンナにも、お礼がしたいから」

「ええ、ミンナで行くわ」

 そう言って、パックは、バンの前方へと飛び立った。

「こっちよ! 」

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