第38話『日向ぼっことふしぎな雑談』

 昼食を終え、いつもの様に、ふたつの石炭士に休憩を与え終えると、リクは汽車の外に続くステップを降りた。鼻歌を奏で、小脇には、シンイチから借りた『世界オカルト全集』と、バスケットを抱えている。

「もっとこう、空を眺められる所ってないのかなあ。あ、あそこなら、いいかも」

 木々の向こうに、陽の光で輝いている場所を認めたリクは、もういちど、汽車を振り向いた。

「うん、あんまり遠くないし、大丈夫」

独り言を言って、踊る様に歩き出した。

 土を踏みしめて、自然の空気を鼻いっぱいに取り込む。リクは、不思議な気持ちになった。

 ここは本当に異国の地で、リクたちは本当に、汽車に乗ってここまでやってきてしまったのだ。ピクシー、ノッカー、レプラホーン、《入れ替わりの精チェンジリング》に《泣き女バンシー》──様々な妖精たちと話をし、生活をした。木でできた おしゃべりする人形だってそうだ。ずっとお伽噺とぎばなしの中だけのできごとなのだと信じていたことが、本当のこととして目の前にあった。

 リクは背の高い木の幹に触れてみた。ザラザラ と指が音を鳴らした。足で土を蹴ってみた。パラパラ と地面が音を鳴らした。

 つい数日前のリクにとっては、こんなことが、こんなことだけが現実なのだと疑わなかったのだ──木の陰から小さな妖精が顔を覗かせた。森に迷い込んできた少女を見守っているのだ──青い服の男、“砂の精”が現れてからというもの、リクの世界は大きくひっくり返ってしまった。

 「あ」

 目的の日向に着いたリクは、思わず声を発した。

「え、どうして! 」

 ようやく重たい雲も晴れて、ポカポカ と温まって見える大地には、先客がいた。その先客は、重そうな黒い髪の毛を不愉快そうに揺らしながら、振り返った。

「“どうして”って、どうしてさ。俺が外に出てたら、いけない理由でもあるの? 」

 振り向いた青年は、不機嫌そうにそう言った。1号車、ロイヤルスイートに住む汽車のオーナー、シンイチだ。いつも暗闇の中に潜んでいるせいだろうか、日光に照らされた彼は、気の毒な程、青白い肌をしていた。

「いけなくはないけどさあ。いつも部屋の中にいるものだと思ってたから」

 リクがぶつくさと言うと、シンイチは細い目を更に細くしながら、「俺だって出たくなかったさ。それでも、トニが、“太陽の光を浴びるのは、人間活動の根本だ”って言ってしつこいから」と、リク同様ぶつくさと言った。

「トニが? 起きたの? 」

 はっ としてリクは聞くと、シンイチは首を傾げながら、「まあ、相変わらず調子は悪そうだったけどね。妖精たちの介護もあって、なんとか、おかゆぐらいは食べてくれてるよ」と答えた。

「そうなんだ。良かった」

「まだ飲み込めるうちはね。でも、あの様子じゃあ、それも難しくなっていくだろうね。今朝も、ずっと譫言うわごとばかり。チェンシーが無理矢理、スプーンを口に突っ込んで食べさせていたんだ。もう長くないよ」

 シンイチが突き放す様にそう言うのを聞いて、リクは驚きの表情を浮かべた。

「凄く簡単に言うんだね」

 リクが言うと、シンイチは、「どういうこと? 」と返した。

「もう長くないって。イチが凄く簡単に言ったことに、びっくりしちゃって」

「何か悪かった? 」

 事実から見た観測を述べただけなんだけど、と付け足すシンイチに、リクはまゆひそめた。

「トニとイチは、友達なんじゃなかったの? 家族じゃなかったの? 」

 リクが声を震わせてそう訴えるのを聞いて、シンイチは顔をそむけた。彼は地面に広げてあった本に視線を落とすと、しばらくの沈黙の後、こう答えた。

「親友であり、家族であるからこそ、俺はトニの旅立ちを止めないでやるんだよ。トニは俺に、言ったんだ。“生きるのが怖いんだ”って。俺もトニの言うことは理解できる。だから、俺はトニの望むまま、見送ってやろうって決めたんだ。生き続けて欲しいって言うのは、俺たちのエゴでしかないよ」

「“生きるのが怖い”」

「俺も、その気持ちは理解できるよ」

 初めて聞いた言葉の様に、繰り返すリクに、シンイチはつぶやく様に言った。

「子供の頃はね、ただ生きているだけで良かったんだ。けどね、大人になると、そうじゃないんだ。を探す様になるんだ。特別じゃなくてもいい、自分が必要とされていること、それが大切で、自分の為に生きるっていうのが、難しくなってくる。自分が無力だって知った時、になったんだ」シンイチは、本のページをめくった。その視線はくうを見つめていて、あの暗い部屋の中を思い出させた。「でも俺は、死ぬのも同じ様に怖かった。だから生きてる。それに、俺は偶然にも、誰かに必要とされる人間に成れたんだよね。でもまあ、それはそれで、今度は自分を必要以上に削ってしまって、やめちゃってるんだけど」

 話し終えた青年は、リクに向き直ると、柔らかい笑顔を浮かべた。と、頭を天へ向けた。

「リク、こっちに来て! 」

 そう言って、シンイチが一目散に駆けだした。

「どうしたの? 」リクが首を傾げた、その瞬間。「え? うわっ! 」頭の上に重たい水が落ちてきた。

「スコールだ! 」

 リクは、体全体で手招きをするシンイチの隣に滑り込んだ。その頭上には、大きな木の葉の傘が開かれていた。

「はあ、びっくりした」

 髪の毛についた雨粒を払い落としながら、リクは言った。

「だね」

 うなずくシンイチも、慣れない運動に、地面にへたり込んでしまった。その時、彼の脇から地面に流れ落ちた本を、リクは見つめた。日向の中で、彼が ぼんやりと眺めていた物だ。

「何読んでるの? 」

「ああ、これ? 」シンイチは本を持ち上げると、リクに背表紙を向けた。「読める様になったかい? 」

 そう聞かれてリクは、背表紙に まじまじ 見入った。

「ウィ、『ウィザード・オブ・オズ』! 『オズの魔法使い』! 」

「ふふふ、正解」シンイチは、愉快そうな笑い声を立てて頷いた。そして、「リクはしっかり学習して偉いね」と、どこか小馬鹿にする様に、そう付け加えた。

 その様子に気がついたリクは、あごと眉間にしわを寄せ集めて、「そう言うシンイチはどうなの? 英語は読める様になったの? 」と、言い返した。

 思わぬ反撃に、シンイチは、一瞬 ポカン とした表情を作ったが、耐えきれないと言った風に、ドッ と噴き出していた。そして、大袈裟に体を捻り回すと、笑いを絞れるだけ絞り出して、やっと、ふうふう と落ち着きを取り戻した。そして、ある1ページを開くと、ゆっくりと口を開いた。

「I’m a very good man, but I am a very bad wizard──so I can’t help you」

 川のせせらぎの様な、軽やかな舌使いで発せられたその言語を、リクは一瞬、理解することができないでいた。シンイチが得意気な顔になって、「どう? 見直した? 」と言ったのも、リクは パチクリ と瞬きながら聞いていた。

 そして無意識に耳元に手を当てて、「あ」と声を上げた。

「翻訳機、汽車の中に忘れてきちゃった! 」


 大雨の中、手持無沙汰なリクたちは、バスケットを開いた。中には、レアが焼いてくれたクッキーと、ゾーイが淹れてくれた、温かいレモンティーの入った水筒があった。リクはそれらを、シンイチにもお裾分すそわけけした。

「ありがとう」

 感謝の言葉を述べて、マグカップを受け取るシンイチに、リクは微笑み掛けた。

「イチって、日本人だったんだね」

「名前から分かるものじゃないかな? 」

 何を今更、と言いたげにシンイチは返すと、リクの膝の上に置かれた本に視線を移した。

「その本」

「あ、そうそう。イチから借りたやつだよ」リクは、『世界オカルト全集』を顔の前に持ち上げながら、「まだ、あんまり読めてないんだけどね」と笑った。

「毎日が忙しくて」

「それは、そうか」

 シンイチも釣られる様に笑うと、クッキーをかじった。

 リクも、クッキーを、ひとつ丸ごと口の中に押し込むと、サクサク と音を立てながら、視線を本へと戻した。クッキーをまんだ指を、シャツで拭い取ると、目次のページをった。

 そこには、胸を ドキドキ させるテーマが、ずらりと羅列られつされていた。リクは期待に目を輝かせた。

「面白そうでしょ? 」

 リクの反応に気がついたのか、シンイチがそう言って、体を寄せてきた。

「俺のおすすめはね、これ。『失踪した息子が別人になって帰ってきた』ってやつ」

 シンイチは、「第4章 オカルト事件ファイル、第6項目 未解決! 私の息子はどこ⁉ 」というタイトルを指差しながら言った。

 リクは促されるままに、指定されたページを開き、首を傾げた。「どこかで見たことある」心の中でそう思った。それから、記事に ザっ と目を通した所で、「あ」とひらめいた。

「私、これ知ってる! 」

 突然のリクの叫びに、シンイチは体を仰け反らせた。

「ほ、本当? 」

「うん! 」

 リクはシンイチに、大きく頷いた。

「私ね、動画を見るのが好きだったんだけど。あ、イチは分かる? ええっと、あの、インターネットのサイトで、一般の人が動画を投稿できる所があるんだけど」

「わ、分かるよ」

 リクの熱に、シンイチがおびええ切った様子で頷くと、リクは、「そこで見たの! 」と更に声を弾ませて言った。

「私ね、そのサイトで、ずっとファンだった人がいたの。男の人だったんだけどね、すっごく話が巧くて、博識で、落ち着いてて……! 私、その人の動画を何度も何度も見返しててね。その人の動画で、この事件が紹介されてたんだよ! 」

 興奮しきったリクは、そこまでを一気に喋ると、急に ションボリ 落ち込んで、「でも、その人、今はいないんだ。少しお休みしますって言ってから、2年も帰ってきてないの」と溜息を吐いた。

「そ、そうなんだ。それは残念だったね」

 リクの様子に苦笑いを見せるシンイチは、「でも、リクも今じゃ失踪している身じゃないかな」という言葉を飲み込んだ。代わりに、「ちなみに、その人って、何て名前なの? 」と尋ねた。

「“アカメ”」リクは答えた。「“アカメ”っていうの。いつも狐のお面を被ってて、謎多き男ってことで知られてたんだけど、皆、彼のことが好きだったのに」また溜息を落とした。

「アカメ? 」シンイチは不思議な物でも見た様な表情になって繰り返した。そして、「それ、俺のことじゃない? 」と信じられない告白をした。

「へ⁉ 」

 呆気なく発せられた、その言葉に、リクは悲鳴にならない悲鳴を上げた。

「嘘! 嘘だよ! 」

 リクは顔の前で両手を振りながら言った。

「嘘じゃないって」

 シンイチは困った様な顔で言って、ほおいた。

「リクの言った通り、本当に少しの間だけ、休みを取ろうと思ってたんだよ。不定期の投稿とはいえ、動画を作り続けるって言うのも楽なことじゃなくってさ。しかも、俺はり性で、元々喋るのが得意じゃないのに。だから、台本を作り込んだり、何度も何度も撮影し直したり、編集でなんとか誤魔化ごまかしたり、大変でさ。精神的にも参っちゃって。それで、気分転換にって、一旦離れてみることにしたんだ。そしたら、いつの間にかここにいた」

 シンイチは、ようやく冷めてくれたレモンティーを、慎重に舌の上に流し込んだ。薄っすらと開いた目で、リクも、ようやく落ち着いてきたのを確認すると、ゆっくりと続けた。

「俺も、曲りなりにもオカルト通ではあるし、何日か様子を見てみたり、チェンシーの話を聞いたり、それこそ、トニが汽車に乗ってきた時の服装を見て、“あれ”が、“例の汽車”だってことには気がついた」

「“例の”って、“無番汽車むばんきしゃ”ってこと? 」

 リクが聞くと、シンイチは、「今はそうやって呼ばれてるんだね」と首を縦に動かした。

「世界中に出没するって噂だったでしょ? 俺も、いつか動画のネタにしてやろうと、インターネットの情報を引っ掻き回したりしてたんだけどね。まさか、自分が乗ることになるなんて思わなかったし、その上、オーナーだなんてね」と言って笑った。

「確かに、そうだね」リクも笑顔を作って言った。「でも、まさか、イチがアカメだったなんて思いもしなかった! 会えて嬉しい」

 その言葉に、シンイチは耳を熱くしながら、「ど、どうも」と、ギクシャク と返事をした。

「俺も、ずっと外に出ない生活をしてたし、こうやって、直接会って、ファンだって言われたことなんて無かったからさ。貴重な経験ができて、よ、良かったと思ってる」

「照れてる? 」

「ほら、晴れたよ」

 シンイチは、話題を逸らす様に空を見上げた。激しい雨は、嘘のみたいに降り止んでいた。

「本当だ。よかったあ」

 晴れた空に、リクも笑顔を向けた。

「うん、そうだね」

「ね」

 そう呟くシンイチに視線を向けると、目が合った。

「ねえねえ、動画で喋たなかった他にも、面白い話はあるの? 」

 リクが強請ねだると、シンイチは困った様な、嬉しい様な笑みを浮かべながら、台本の無い、ぎこちない喋りで、陽が暮れるまで、話し続けた。

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