第37話『百の洗濯物と穏やかな世話係』

 煤塗すすまみれのリクたちを迎えたのは、汽車の胴体を覆い隠してしまいそうな、洗濯物のカーテンだった。

「ジェイ! もたもたしていたら全部干し終わる前に日が暮れてしまうわ! 」

「ミカ君! そんなに強く引っ張っては駄目ですよ! 」

「お腹空いた」

「ねえ、ゾーイ! 僕のタオル知らない? 君にとってはハンカチぐらいの大きさかも知れないけど! 」

「リリイ! もっと物干し竿を高く持ち上げないと、ニックのズボンが地面に着いちゃう! 」

 森の奥に、従業員たちの賑やかな声が響き渡っている。リクは顔をほころばせた。

「あら、リク! お帰りなさい! 」

 洗濯物の向こうから、純白のドレスに身を包んだレアが現れた。

 美しいウェイトレスは、リクの全身を見回すと、「頑張ったわね」と言って微笑んだ。「シャワー浴びていらっしゃい。それから皆でお昼にしましょう」


 アダムとニックが石炭庫に石炭を積み込んでいる間に、温かいシャワーを浴びたリクは、ロバ頭のメルが新しくつくろってくれたシャツとズボンに袖を通した。

 汚れた作業服を洗濯かごに入れ、タオルに髪の毛を仕舞い込んだリクは、汗まみれの炭鉱夫ふたりと鉢合はちあわせた。

「ふたりとも、お疲れ様! 」

 リクがそう声を掛けると、ふたりも手を上げて答えた。

「レアが食堂でお待ちだぜ。シャワー浴びたら俺らも行くからよ、先食べててくれ」

 アダムの言葉に、リクは「分かった」とうなずいて、別れた。

 シャワー室のある5号室から、食堂のある3号車まで、リクは外の景色を見て歩いた。

 風に揺れる木々を眺めながら、リクはスキップを踏んでいた。

「海もとっても綺麗だったけど、やっぱり陸地がいちばんだなあ! 土だ、木だ、森だ! ガタゴト 揺れることも無いし、最高! 」

 リクは歌う様に言いながら貫通扉かんつうとびらを開いて、その場で固まった。

「え、え、え、誰? 」

 そこには、白い髪の毛をした老婆が、腰を丸めて歩いていたのだった!

 リクは前後左右を見回した。誰も居ない。慌てたリクは、連結部に身をひそめ、見知らぬ老婆を観察した。

 白髪の老婆は、リクの部屋の扉を眺めていた。それから取っ手に顔を近付けると、扉の側面に手を当てて目を閉じた。

「な、何してるの」

 老婆の異様な行動に、すっかりおびえてしまったリクは、鳥肌を立てながらそう呟いた。

 一方、老婆は扉から離れると、床へと視線を移した。小さな落とし物を探している時の様に、入念に床を眺めまわしている。と、そこに何かを見つけたらしい。老婆の視線が止まった。老婆は、その不自由な体を何とか しゃがませた。その時だった。

 食堂車の扉が開いた。レアだ。

「あ、レア! 」扉を盾にしながら、リクは叫んだ。「気を付けて! 」

「へ? 」

 リクの声に気がついたレアが、辺りを見回し始めた。しかし、目の前にいる老婆には気がついていない様だ。老婆の方も、リクの声を辿って、ウロウロ と視線を彷徨さまよわせている。

「変なおばあちゃんがいるの! 私の部屋の前にいる! 気を付けて! 」

 恐怖に耐えきれなくなったリクは、再び叫んだ。

「ああ」

 その言葉で、レアはやっと老婆の存在に気がついたみたいだ。老婆を見つめて、レアは クスクス と声を出して笑い出した。

「“変なおばあちゃん”じゃないわ! 」


 食堂が笑い声で包まれていた。下を向いたまま顔を赤くしたリクは、フォークの先でソーセージを プッスリ 刺した。

「だって、知らなかったんだもん! 」

 リクは、駄々っ子の様な口調でうったえた。

 そんなリクの味方をするのは、やっぱりレアで、彼女はオレンジジュースをリクの前に置くと、従業員たちにきつい視線を向けた。

「そうよ。知らなかったんだから、仕様がないじゃない! 」

「そうだね」と、賛同したのは、もうひとりのウェイトレスのゾーイだ。皆と一緒に散々笑っていた彼女だったが、目尻から涙を拭い取ると、「それに、リクはレアのことを護ろうとしてくれたんだから。凄いことじゃない! 」と、リクを褒めた。

「そうよ」レアがうなずく。

「本当? 」

 ソーセージをもてあそんでいたリクの表情が、やっと明るくなった。と思えば、「扉の陰に隠れてたけどな! 」意地悪いアダムの言葉に、また撃沈した。

「アディ! 」

 レアとゾーイが声を揃えて注意した。

 シャワーの湯で髪の毛を湿らせた炭鉱夫は、怖い目付きの ふたりを チラリ と横目で見ると、「揶揄からかっただけじゃねえかよ」と口を尖がらせた。

 そんな彼らの様子を大人しく見ていたソジュンが、耐えかねた様に口を開いた。

「あのう。盛り上がっているところ申し訳ありません。リクさんの勇気は、僕も称賛に価すると思います。しかし、そろそろ しっかり、紹介した方が良いのではないでしょうか? 」

「そう言えば」

 リクは、端っこの席に座る老婆に目を向けた。

 先程、レアから、「1号車に住んでいる“チェンシー”よ。私は可愛く、“チェシー”と呼んでいるの」と聞いただけだったのだ。

 老婆チェンシーは、目の前に用意されたコーヒーには一切 手を付けないで、のんびりした表情でリクを見つめていた。リクはその視線に、何故か、冷たいものを覚えた。

「リク、と言いましたか。先程は、どうも、お騒がせしましたねえ」

 チェンシーはしわだらけのほおを ゆったりと持ち上げて、リクに言った。

 今まで無口でいた老婆の、突然の言葉に、リクは「え」と戸惑ってしまった。その声は、顔と一緒で、柔らかく、穏やかなものだった。

「ううん。私も、勘違いしちゃって、ごめんなさい」

 リクは急いで首を振った。そして、「1号車に住んでるって言ってたけど、スイートルームってことだよね? 」と聞いた。

「そうですよ」チェンシーは ゆっくりと首を縦に振り下ろす。「わたしは、こんな老いぼれですがね、シンイチ様のお世話係をさせて頂いているのですよ」

「シンイチ、様、ねえ」

 リクは、洗練された老婆の態度に、すっかり呆れていた。

 しかしチェンシーときたら、左右の眉を互い違いにさせているリクの顔を理解していないかの様に、話を続けた。

「ええ。わたしの役目は、シンイチ様の安全を守ることですから」

「危険なことなんて、あるの? 」

 チェンシーの言葉に、違和感を覚えたリクは、率直に聞いた。

「だって、この汽車は人の目には見えない様になってるんでしょ? 汽車に乗ってきた時に、トニがそう言ってたよ。それに、イチは、あの部屋の中からは出ないって言ってた。よっぽどのことがない限り、危険なことなんて無いと思うんだけど」

 リクがここまでを喋り終えると、チェンシーの黒い瞳を見つめた。90歳は超えていそうなその容姿と裏腹に、澄み切ったその瞳は、相変わらず、冷たい微笑みを浮かべていた。

「ちょっと、リク。その物言いは、反抗的すぎないかしら? 」

 レアはそうささやいたが、チェンシーはそうとは思っていない様だ。老婆は、その奇妙な表情を崩さないで、リクの質問に答えた。

「いいえ。決して安全では無いんですよ。この汽車とて、完璧ではありませんからね。貴女も御存じの通り、この汽車にはステルス機能がついております。が、見える人には見えてしまう──完全では無いのですよ。だから、わたしは、シンイチ様をお守りしなくてはならないのです。賢い貴女なら、お分かりかと」

 そう微笑むチェンシーの瞳は、どこか、リクを試している様に思えた。不思議な気持ちに囚われて、言葉を返せないでいると、その怪しい瞳に、ほんの少し、温かい光が宿った。

「しかし、けれども、そうですねえ」チェンシーは無防備な笑顔を見せて言った。「あのアントワーヌが、貴女にシンイチ様をお任せになろうとする理由が、よく分かりました」

「それって、どういうこと? 」

 リクが尋ねると、老婆は相槌を打つようなジェスチャーを何度か繰り返して、首を振った。

「ところで、ニック。厄介なことになったと、リーレルたちから話を聞きましたが」

「あ、ああ。少しばかり」

 急に話を振られたニックは、ソーセージを飲み込まないままで返答した。

「何とかなりそうですか? 大切な物なのでしょう? 」

「ああ、それなら問題ありません」熱々のコーヒーで、口の中の物を一気に胃袋に流し入れて、ニックが言う。「カレらは悪い妖精たちではないので。要求通り、果物をたんまり持って行ってやる予定です」

 ニックの言葉にレアが頷いた。

「丁度、私とゾーイとジェイとで、あした、朝から買い出しに行こうと思っていたのよ。だから、ついでに調達してくるわ! ねえ、折角だから、リクも行かない? ジェイの話によると、ここの辺りって、市場が栄えているみたいよ」

「本当! 」

 リクが目を輝かせた。

 しかし、ここで横槍を入れてくるのがアダムだ。

「けどよ、警戒は必要だぜ。毎回言ってっけど、どの時代に降り立ったかわかりゃしねえんだから」

「分かってるわよ、もう」

 レアは可愛く頬を膨らませた。

「でも、最近だと思うなあ」

 リクは、炭田の様子を思い出しながら言った。

 ノッカーたちが警告音を鳴らす向こうで、車のエンジン音が聞こえたのだ。

「トラックの音がしてたんだよね」

「トラック? 」

 アダムが首をひねった。

「僕も、リクの意見に賛成です」リクの言葉に、ソジュンが頷いた。「森の木が何本か伐採されていたんですよ。その切り口を観察してみたのですが、チェーンソーを使用しているみたいでした。文明が発達しているところを見ると、現代とみて妥当でしょう」

「チェーンソー? 」

 アダムがまた、首を傾げた。

「木を切る道具よ」

 呆れた顔のレアが説明すると、若い炭鉱夫は口を歪ませて、「いつから“斧”のことを“チェーンソー”なんて洒落た名前で呼ぶようになったんだ! 」と文句を言った。

 相棒の無知にニックは大きく笑うと、リクたちの方へ優しい視線を向けた。

「ここが、リクたちの見慣れている世界なら良かった。俺とアダムは、色々とやらなくてはならなくてな。悪いが、代わりに頼むな」

「任せてよ! 」

 リクは新たな街への出発に胸を躍らせながら、昼食を ペロリ と平らげた。

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