第36話『地球の底と炭鉱の精』

 暗い穴を下って行く為には、リーレルたちピクシーが先頭を進むだけで良かった。ライターやマッチを使わなくても、カノジョらの体の内側から溢れ出る光さえあれば、充分に明るかったのだ。

 赤ん坊の様な体勢で穴の中をい進んで行く炭鉱夫たちは、ピクシーたちを先頭に、アダム、リク、ニックと続いた。それぞれは、それぞれの尻を見失わない様に、しっかりと前を見つめていた。

 穴の中は、壁も床も天井も真っ黒で、リクたちの手や服や顔を、黒く塗っていった。

 しかし、何よりもリクたちを苦しめたのは、無責任に漂っている空気だった。

 石炭のほこりを帯びたそれは、情け容赦なんて言葉は知らない。無遠慮にリクたち炭鉱夫の鼻や口の中に入り込み、無防備な彼らを ゲホゲホ と咳き込ませた。

「ケホッ! 何この空気! ケホッケホッ! こんな所に、本当にノッカーがいるの? 」

 すすだらけの手で、口元を ゴシゴシ と擦りながら、リクは叫んだ。

「あんまり無駄口叩かねえ方が身の為だぜ! 」

「そうよ、へんてこ娘! それに、そんなに ぶつくさ言わなくっても、もうちょっとで目的の場所に辿り着けるんだから、黙って進みなさいよ! 」

「ぶつくさ なんて、言ってないよ」

 しかし、リーレルたちの言う通り、ノッカーたちのいる場所はすぐそこだった。

 肩幅 ギリギリ だった洞窟の幅は、人がひとりふたり通れる程度の余裕ができ、天井の高さも、159センチメートルのリクが背を伸ばして立ち上がれるくらいまでになった。と、同時に、穴の外で聞いた、カツンカツン という、金属の音も、だんだんと近付いてきていることに気がついた。

「この音って? 」

 リクが尋ねると、未だ、腰を窮屈に屈めたままのニックが、「ノッカーの警告音だ」と答えた。

「警告音? 」

「そうだ。ノッカーたちは、妖精たちの間で、“炭鉱の守り神”と呼ばれているくらい、気高い存在なんだ。あの音が鳴っている場所は、採掘が困難で危険な場所なんだ。それをカレらは、人間たちに知らせている」

「へえ! いい妖精たちなんだ」

 リクが感心していると、先頭を飛ぶリーレルが、ブルル とくちびるを鳴らした。

「“守り神”なんて皮肉よ! あいつらはジブンが助かりたいだけなんだから! だって、住処すみかに何かあったら、ジブンたちが困るじゃない! 」

「それでも、いい妖精だよ」

 リーレルたちの言葉に、そう反論するリクに、ピクシーは、「どうだか! 」と投げ捨てた。


 進むごとに、穴の幅は どんどん広く、天井も高くなっていた。今では、大男のニックでさえも、胸を張って歩いている。

 首元へ流れ落ちる汗を、シャツのそでで拭ったリクは、ノッカーの警告音の中に、イキモノがうごめく音を聞いた。

リクは、その音に耳を澄ませた。

 固い地面を、裸足で パタパタ と歩く音が聞こえたかと思えば、蛇が ザラザラ と這う様な音も交じっている。その中でも、いちばん目立つのは、猫の鳴き声に似た、甘ったるい鳴き声だ。あれが、ノッカーの声だというのだろうか?

 リクはノッカーのイメージを、何度も何度も頭の中で作り替えた。

「ほら、リク。“守り神”様のお出ましだぜ」

 こめかみに人差し指を押し付けているリクに、先頭を歩くアダムが振り返って、声を掛けた。

 広間の様な、丸い部屋の中。アダムの手が指し示す方へと目を向けたリクは、両手で目を ゴシゴシ と擦った。

「きょ、巨大メガネザル──」

 炭鉱夫たちの目の前に現れたノッカーは、リクが表現した通りの見た目をしていた。

 丁度リクの胸元くらいの、その全身は、茶色い毛で覆われていた。小さな頭には、ウサギの様な大きな耳と、同じく大きな瞳がついていた。顔の大部分を占める その目は、水晶玉の様に、ピカピカ と光を反射させていた。

 《炭鉱の守り神ノッカー》は、品を見定める様な目付きで、炭鉱夫たちの全身を、黙って見つめていた。

「ほら、この子たちよ。さっき、アタシたちが連れて来るわねって言ってたのは」

 鋭い視線に、委縮いしゅくしてしまっている炭鉱夫たちの先陣を切って、リーレルが声を発した。

 ノッカーは、重たい瞬きをした。そして、険しい表情で、口を開いた。黄色い、剣山の様な歯を見せて、ひと言。

「みゃー」

「へ? 」

 リクは、横に並ぶ、アダムとニックの顔を見比べた。

 ふたりは特に驚く様子を見せることも無く、猫の鳴き声の妖精に、愛嬌あいきょうのある笑顔を見せた。

「今回は、たちをお招き頂き、ありがとうございます」

「わたくし? お招き? 痛いっ」

 その、やけに丁寧な口調に、思わず反応して、リクは、アダムから背中を強く叩かれた。

 一方、背中を打った紳士しんしな炭鉱夫は、少しも表情を崩さないままで続けた。

「ところで、わたくしたちの目的はご存じかと──その、いかがでしょうか? 」

「みゃー」

 アダムの小難しい言葉を細かく咀嚼そしゃくしている様に、目を閉じて何度か頷いていたノッカーだったが、ゆっくりと、そう答えた。

「何て言ってるの? 」

 小声で尋ねるリクに答えたのは、リーレルだった。

「《石炭はやれない》、ですって⁉ 」

 小さな妖精は、目の前の毛むくじゃらに、そう叫んだ。

「みゃー」

 不機嫌そうに顔にしわを寄せたノッカーは、相変わらずの調子で鳴いた。

「《決まり事》? ふんっ、アンタじゃ話にならないわ! アタシたちがさっき話した、“班長”を出しなさいよ。ソイツと直接話してやるわ」

 リーレルは力強くそう叫んだ。

「みゃー」

 小さな妖精から命令された守り神は、ひと鳴きすると、闇の中へと消えて行った。どうやら、リクたちがいる部屋の奥にも、道が続いているみたいだ。

「きょうは一体どうしちまったんだろうな? 」

 ノッカーの足音が消えたのを確認すると、アダムが小さな声で言った。

「いつもなら、あっさり了承してくれるの? 」

 リクが聞き返すと、アダムは頭をき、「そうでもねえけどさあ」と、ぼやいた。

「でも、“やんない”なんて、ハッキリ言うことはねえんだよ。ノッカーたちにとっても、石炭は大切な資源らしくってさ。けど、いつもなら、渋りはするけど、最後には、“汽車の為なら”つって、手押し車4台分はくれんだよ」

 本当はもっと欲しいところではあるけどな、と、強欲な炭鉱夫は笑い声を立てた。

 リクは能天気な彼を横目でにらみ付けて、今度はリーレルに顔を向けた。

「ノッカーたち、どうしちゃったんだろうね」

「知らないわよ! 」リクの問い掛けに、リーレルは突き返す様に言った。「妖精のくせに、汽車を護らないなんて、呆れるわ! ノッカーは、けちん坊な妖精だけど、ここまでだとは思わなかったわ! 」

「ふたりとも」

 ニックの声が、ふたりをさえぎった。

 暗闇の向こう側から、ペタンペタン と固い床を進む音が迫ってきていた。反響の為だろうか。その音は、幾重にも聞こえた。不気味な音に、リクは潜む様に身を屈めた。

「ワガハイに用事ですかな? 」

 地面を這う様な しわがれ声が、闇の中から響き渡った。

 姿を現したのは、先程、対峙していたノッカーよりも、ひと回り大きい個体だった。きっとカレが、リーレルの言っていた“班長”なのだろう。カレは人間の言葉を話すことができた。

「はじめまして。ワガハイが、この炭鉱に住み着くノッカー連の“班長”である」

 班長の後ろには、先程のノッカー含め、5匹ものノッカーたちが控えていた。

「愛すべき、森の精ピクシー連、そして汽車連の皆々みなみな。ようこそ、ワガハイの支配する住処すみかへ。皆々に入窟にゅうくつを許したのは、間違いなく、ワガハイである。しかし──」

班長は言葉を切って、咳払いをした。

 12個の大きな瞳が、リクたちを見て、キラリ と光った。

先刻せんこく、ワガハイの部下が申した通り、石炭はやれんのだ」

「どうしてよ! 」

 班長が話し終わらない内に、リーレルが大声で質問をした。

 ノッカー連の班長は、その質問を待っていたらしい。両方の口角を不気味に吊り上げると、いやし気に、両手を擦り合わせながら答えた。

嗚呼あゝ、気高きピクシー連のお喋りムスメ。ワガハイ共ノッカーをあわれんでやってくれないかね? 石炭から生まれたワガハイたちは、炭鉱から離れることができないのだ。しかし、ここには人間が多すぎる。憐れんでくれ、汽車連よ。ここには人間が多すぎる。ワガハイたちはこの時代の石炭に生きるノッカー。この時代から離れることができないのだ。ここには人間が多すぎる」

「つまり、どういうことなの? 」

 リクが尋ねた。

「つまり、ワガハイたちは、石炭をやれんのだ。石炭はワガハイたちの体の源! しかし、ここには人間が多すぎる。ワガハイたちは、ワガハイたちの体を維持いじする為の石炭しか持っておらんのだ。だから、やれんのだ」

 班長は じっくりと、そう言い終えた。

 この説明を聞かされて、首を振らない炭鉱夫はいなかった。3人はお互いに顔を見合わせると、頷いて、「なら、仕方ねえかな」という結論を出した。

「ご無理をお願いし申し訳ありませんでした。では、わたくしたちは、これにて──」

 紳士を装うアダムが挨拶をし、引き下がろうとした、その時だった。「ちょっと、待ちなさい」と、班長が手を高く上げて言った。

「やれんと言ったばかりですが、汽車連も、石炭がなければ身動きとれんと思うがね」

「それは、そうだけどな。けど、生き死にに関わることであるなら、強制はできない」困った顔のニックが、頬を掻いた。

 すると、班長は、不気味な笑顔をもっと引き延ばして、「いやいや、折角来ていただいたのには、理由があってだな」と言った。

「理由? 」

「先刻も述べた通り、ワガハイたちは ギリギリ の石炭で暮らしている。しかしな、ワガハイたちだって、汽車を護りたいという気持ちは一緒なのだ」

「だから、どうするって言うつもりよ」

 リーレルが意地悪い口調で突っかかった。

「ワガハイたちは、腹ペコなのだ。石炭があるから、腹ペコでもやっていけるが、どうも口が寂しくてな」

「だから、何よ! アタシたちに、“食べ物でも持って来てくれ”なんて言うんじゃないでしょうね? 」

 ピクシーの言葉を聞いたノッカーは、「その通り! 流石、気高き森の精! 」と叫んだ。

「ワガハイたち、場所に縛り付けられたノッカーとて、他のノッカー連とのやり取りはできるのだ。汽車連の望む石炭の数くらい把握しているぞ。ワガハイたちは、ワガハイたちの身を切る、いな千切ちぎり取る思いで、荷車4台分の石炭を分け与えよう。しかし、それはワガハイたちの望みが満たされれば、という条件である。決して、悪くはないとは思うが、どうであろうか? 」

「え? ふごごっ! 」

 「そんなんでいいの? 」と口走りそうになったリクは、口を手で覆われた。

「じゃあ、そちらの望む量を教えて貰いましょうか。お望みか? 」

 純粋なリクの言葉を咄嗟とっさに抑え込んだアダムが問いを返した。

「交渉は成立、ということで良いのかな? 」

 班長が大きな黒目の奥に光を宿した。

「いいえ」と、アダム。「そちらの条件を伺ってからです、班長殿。もう一度、伺います。を、、お望みですか? 」

 重く、言葉を区切って質問を繰り返すアダムに、班長は、口を歪ませた。喉の奥で、「ちぇっ、人間ごときが。かんばかり良くなりやがって! 」と呟いた。

「そうであるなあ。ワガハイたちは妖精の部類の中でも、否、のノッカー連の中でも、特別恵まれぬ班である。つまり、それなりの報酬を受けても良いと思うのだ、どうだろうか? 」

 班長の言葉に、後ろにくっついている配下のノッカーたちが、一斉に、「みゃー」という雄叫おたけびを上げた。足を ドスンドスン と踏み鳴らし、床の埃を宙に舞わせた。

「ケホッ! ケホッ! もう! 」

 リクたち炭鉱夫は、顔の前でガムシャラに腕を振り回しながら、文句を叫んだ。

「勿体ぶらないで言いなさいよ! 」

 一方、リクたちとは違い、埃の影響を受けていない様に見えるリーレルたちピクシーは、班長に詰め寄っていた。

「よかろう。申し上げよう」

 班長はそう言って、ノッカーたちの踊りをしずめると、次の様に言った。

「この部屋いっぱいを、果物で埋め尽くし給え。さすれば、手押し車4台分、石炭を分け与えよう」

「この部屋いっぱいだと⁉ 」

 アダムが叫んだ。リクとニックは、同時に部屋の全体を見渡した。

 入ってきた時はあんなに窮屈だった洞窟だが、この部屋ときたら、まるで学校の教室の様な広さをしている。この部屋を、果物でいっぱいにするなんて、できるのだろうか?

 リクは首を横に振った。

「できっこないよ」

「なら、諦めることである」

 意地の悪い守り神はそうニヤついて、闇に舞い戻ろうとした。

「いや、交渉成立だ。その条件で手を打とう」

 リクはビックリして、声の方を見上げた。視線の先のニックは、度肝どぎもを抜かれた様な表情を浮かべるノッカーに、柔らかい表情で向き合っていた。

「こ、この部屋を果物で埋め尽くせる、とでも言うのか? 」

「ええ、そんなことでいいのなら」ニックは、手を使って部屋の大きさを測定しながら、頷いた。「それで、アナタらは本当に、手押し車4台分の石炭を用意できるんです? 」

 ニックから視線を向けられたノッカーは、天井に頭をぶつけるかと心配になるくらいに、ギクリ とね上がった。

「できるとも! 」班長は声を張り上げて返事をした。「しかし、人間たち。約束をたがえてはならんぞ! ワガハイたちも、この身を削り石炭を用意するのだ! 明日あすの日没、明日の日没までに用意するのだ! 良いな! 」

「口約束だけでは信用できない」

 班長の言葉に、ニックはみついた。隙を見せない炭鉱夫は、茶色い瞳を、ノッカーの黒い瞳の上で留まらせた。じっくりと感情を読み取っている様な慎重さで、再び口を開いた。

「先ずは石炭1台分。アナタたちに石炭を集める能力が本当にあるのか、証明してほしいんです」そう言いながら、炭鉱夫は自らの首の後ろに手を回した。パチン という音が部屋中に響き渡ったかと思うと、ノッカーたちの目の前に、金色のペンダントが下げられていた。「その代わり、これを預けます。今の俺にとっては、命と同じぐらい大切な物です。これと、石炭1台分、交換してくれませんか」

 そして、約束通り、この部屋いっぱいの 果物を用意できたなら、そのペンダントを返して欲しい。と、ニックは付け足した。

 ペンダントを受け取った《炭鉱の守り神ノッカー》は、ニッタリ、不気味な笑みを浮かべると、お人好しの大男に頷いた。

「良い匂いだ。貴方の思い出の香りであるなあ。確かに、受け取った。では、ワガハイたちも、契約に従おう」

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