第34話『外国語と秘密の過去』
リクとアダムは運転室から出ると、一緒に食堂へ向かった。
甘ったるい
「本当の意味での初仕事? 」
リクが聞くと、レアの代わりに、目の前に座っていたアダムが答えた。
「この島には、
「炭田? 」
その間抜けな
「そうだった! 」
ようやく気がついたリクが言うと、先輩炭鉱夫は、「全く」と、首を振った。
「早く飯食えよ。飯食ったらすぐ行くからな」
リクは「分かった」と急いで
アダムから言われた通り、リクは部屋に戻るとすぐ、
「ああ! 久し振りの土! 」
木の間から微かに見える空は、あいにく灰色の雲で覆われていたが、リクは大満足だった。
「そう言えば──」
リクは気持ち良く伸びをすると、汽車に振り向いた。車輪が透明の線路に支えられ、地面から20センチメートルほど浮き上がっていた。
リクは、その真っ黒な表面を見つめながら、歩き出した。パリパリ と草を踏みしめる音を楽しみながら、ずっと先に見える、先頭部分へと進んだ。
食堂車を横切り、2号車を通り過ぎ、アントワーヌが寝ている1号車を
「やっぱり」
リクが仰ぎ見るそこには、真っ黒な真ん丸が見えるばかり。ナンバープレートなど、存在していなかったのだった。
「“無番汽車”だ──」
そう。それは、本当に存在していたのだ! リクは輝く瞳いっぱいに、その感動を映し出した。
すると、背後から、「おい! 」という声が聞こえた。
振り返ると、そこには、ふたりの先輩炭鉱夫、アダムとニックがいた。ふたりとも、それぞれに手押し車を引いている。
「早く来いって言ったのはアダムなのに、待ったよ! 」
リクが言うと、若い炭鉱夫は目を パチクリ させて、口を開いた。
「え? 」
アダムの言葉に、リクは首を傾げた。彼の言葉が、全く聞き取れなかったのだ。
リクの様子に気がついたアダムは、再度同じ響きを繰り返した。が、やはり聞き取れない。
「アダム、何言ってるの? 」
そこで気がついたのは、隣にいた大男のニックだ。リクとアダムの様子を、まじまじ見ていた彼は、ハッ とした表情を見せると、相棒の肩を小突いた。そして、またもリクの分からない言葉で会話すると、「少し待っていろ」というジェスチャーを見せて、汽車の中に戻った。
「ど、どうなってるの──」
ジェスチャー通り、ふたりは すぐに帰ってきた。
地面に放っていた手押し車を引き寄せたアダムは、リクに、耳栓の様な物を手渡した。そして、リクがそれを装着するのを見ると、「いやあ、すまねえ すまねえ! 」と笑った。
「どうなってるの? この、耳栓みたいなやつ、何」
リクが
「これは、
「翻訳機? 」
「ああ」と、お人好しの大男は頷いた。「普段こうやって外に出るときは、アダムが俺に合わせてくれているから使っていなかったんだが。そうか。リクは違う言語で喋るんだったな。汽車にいると、つい忘れる」
一方のリクは、ニックの言葉を聞いても、クエスチョンマークばかりが浮かんで、先程アダムがやっていた様に、目を パチクリ させた。
「待って 待って! 」
リクは両手を顔の前で振って言った。
「だって皆、汽車の中では、日本語で話してたでしょ? どうなってるの? 」
「は? 」
リクの言葉を聞いて、炭鉱夫ふたりは顔を見合わせた。そして、その意味を理解すると、ふたりして笑い出した。
「あのなあ、リク。俺がトニの部屋に置いたメモ、見なかったのか? 」
散々 笑ったお腹を手で擦りながら、アダムが聞いた。
「見た、けど! 」
リクは笑われたことに腹を立てつつ、トゲトゲ しく返答した。
「それには、何が書いてあった? 」
「ええっと」
質問を続けるアダムに、リクは腕を組んで宙を見上げた。ほんの少しの不機嫌は、もうすっかり無くなっていた。
「私は読めなかったんだ。知らない言葉がいっぱい書いてあって。でもレアが、フランス語で書いてあるって言ってた。あと、英語、ロシア語、ドイツ語でも書いてあるって言ってた! 」
リクの回答に、笑顔で ゆっくり頷いたアダムは、「どうしてだと思う? 」と質問を重ねた。
リクは、「また質問? 」と唇を
「皆が使ってる言語が違うからだ! 」
「その通り! 」
リクの大きな声に、アダムも声を張り上げて返した。
正解を出せたことに喜んでいたリクだったが、それも、自身の中に浮かんできた疑問のせいで、一瞬の内に
その疑問とは、こうだった。
「ちょっと待って。それって、最初の質問の答えではないよね? 私は、どうして汽車の中で、皆が日本語を喋ってるの? って質問をしたんだもん。皆が使ってる言語が違うのだとしたら、言葉だって通じないはずでしょ? だって、今は翻訳機をこうして付けてるからいいけど、汽車の中では、翻訳機なんて見当たらなかったよ? 」
この質問を引き受けたのは、メカニックに詳しいニックだった。
「汽車の中の翻訳機は、無いんじゃなく、目に見えないだけなんだ」
「“目に見えない”? 」
リクが質問を返した。
「《多言語自動同時翻訳発声システム》という物らしい。リクが今、耳に付けているのも、それだ。この機械は、まあ、言うなれば、各国語の同時翻訳家が一堂に会しているってイメージだな。例えば、俺の母国語は、ドイツ語だが、俺が話したのと一緒に、世界各国の言語に、音声として翻訳されるんだ。そして、耳に付けている、この機械を更に小型化したものが、汽車の内部に取り付けられている装置だ」
「小型化したもの? 」
ニックの質問にリクが聞き返すと、大男は「米粒ぐらいの大きさだ」と答えた。
「翻訳機は、汽車の天井の至る所に設置してあると言っていたな。ただ、鉄橋部分には取り付けられなかったらしいが」
「音声として翻訳されるって? 世界各国の言葉に翻訳するってところまでは分かったけど、どうして聞いてる人の母国語まで分かるの? 」
ひとつの疑問が解決すると、リクはまた新たな疑問に取り組んだ。
この質問に答えたのは、アダムだった。
「聞き手の母国語なんて判断してねえよ。俺たち聞き手が、言葉を選んでんだ」
リクは眉を狭めた。
「私たちが言葉を選択してる? どういうこと? 」
「つまり、無意識下の選択だ」
「無意識下の選択? 」
「ああ」アダムは手押し車に
「この翻訳機は、実際に、何十という言語に訳して、俺たちの耳に届けてんだよ。でも実際に俺らの耳に届くのは、せいぜい、1言語か2言語といったとこだろう? 」
アダムの言葉に、リクは肯定を示した。「私には、日本語にしか聞こえないよ」
「それは、リクが他の言語に馴染みがないからだ。リクの耳が、無意識のうちに日本語だけをピックアップして聞き取ってんだよ。逆に言うと、日本語以外の言葉をシャットアウトしてんだ」
「日本語以外をシャットアウトしてる? 」リクは怪しいものを見る様な目付きで聞き返した。「それって本当? もし、アダムがいうことが本当なら、他の言葉も聞こえて良いはずでしょ? 」
それを聞いたアダムは、「疑うなよ」と、ぼやいた後、自身が付けている翻訳機を2度、コツコツ と指で叩いて、「本当だ。俺には、何重にも言語が重なって聞こえていたんだからな」と言った。
「トニの部屋に置いたメモからも分かる様に、俺は母国語以外の言葉も、いくつかだが、苦労無く喋れんだ。前の生活では、それが俺の身を助けていたんだが、汽車に連れてこられた直後はそうじゃなかった。ひとりが吐いた言葉なのに、色んな言語が入り混じって聞こえてきた」そりゃあもう、想像を絶する気持ち悪さなんだ、と、アダムは ゾ っとした表情で付け足した。「あまりの恐怖に、
「そんなアダムが
アダムの説明をニックが引き継いだ。
「そのアドバイスのお陰で、今じゃ2言語まで絞れてる」
「と、いうことは」交互に喋る ふたりの説明を聞いて、リクが口を挟んだ。「アダムには、今でも言葉が重なって聞こえてるってこと? 」
「ああ。母国語と、あとはフランス語だな」
エメラルドの瞳を持つ若い炭鉱夫は、サラリ と答えた。
「疑うんなら、レアにも聞いてみるんだな。あいつも、最初、俺の言うことを疑ってたんだが、他言語に意識してみろって言ったら、実際に聞こえたらしいから」と加えた。
「何だか不思議」リクは耳の翻訳機を
そんなリクの肩を叩いたのはアダムで、力強く手を振り下ろした彼は
「どこに行くの? 」
リクがその後ろを駆け足で追いかけると、背後から、低く優しいニックの声が降ってきた。
「お待ちかねの炭鉱だ」
「俺らの本業だぜ! 」
先頭を務めるアダムも、陽気な声を上げた。
「入れてくれるの? 」
リクが心配の言葉を掛けると、前後の ふたりは ゲラゲラ と笑った。
「侵入すんだよ、当たり前だろ! 」
「目的地に着いたら分かる」
「だって、大地はアタシたちのものだもの! 」
交互に言うアダムとニックの声に、甲高い声が混ざった。
リクは、その声に「あ」と声を上げた。
「リーレルたち! 」
白い光を放つ、小さなピクシーたちが、いつの間にか、手押し車を押すアダムの周りに浮かんでいたのだった。
「アダムといつも一緒なんだね」
リクが言うと、葉っぱの様な形のピクシーたちは、一斉に
「ずっと一緒って訳じゃないわっ! 炭鉱に入るのに、アタシたちが必要だから、いてやってんのよ! 」
キンキン と訴えるリーレルに、アダムは振り向かないまま「ありがとな」と声を掛けると、ズボンのポケットから、小さな包み紙を取り出して、ピクシーたちに手渡した。
金で細かく模様が描かれた、その紙を開くと、中には、色とりどり、飴の欠片が入っていた。全体が5センチメートルにも満たない妖精たちは、払ったら飛んで行ってしまいそうなその欠片を、美味しそうに口の中で転がした。
「アダムって、小さい子の面倒見るの、上手そう」
キャーキャー 楽しむピクシーたちに圧倒されながら、リクはそう呟いた。それをニックは聞いていたらしい。「まあ、アダムは長男だからな。下の扱いを心得ているんだろう」と言った。そして、「なあ、アダムって、何人兄弟だったっけか? 」と質問を投げた。
「兄弟? 」
白っぽい金髪を
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