第33話『勉強家と新大陸』
「あれ? ここ……」
リクは目を覚ました。ぼんやりした頭を持ち上げ、背後の窓を振り返った。霧の様にぼんやりした、白い陽の光が入ってきていた。その光景に、リクは昨晩、自分があのまま眠ってしまったことに気がついた。
「あ、私、やっちゃった! トニは、無事? 」
小さくそう叫んで、ベッドの主を確認しようとした時だった。きのうと変わらず、手を
「指揮官なら無事だよ。おはよう、リク」
そう言って、顔を覗かせたのは、新米料理長のソジュンだった。
優しそうに目を細める彼は、椅子の位置を、アントワーヌのすぐ枕元へまで移動させると、リクの肩に掛かった毛布を指差した。
「それ」
「へ? ああ、ジェイが掛けてくれたの? ありがとう」
ソジュンに指摘されて、ようやく毛布の存在に気がついたリクが言うのを、彼は首を振って否定した。
「毛布を掛けたのは、僕じゃないよ。それに、僕の前にいたニックさんでもない」
「じゃあ、誰が」と言い掛けて、リクは「あ」と気がついた。鼻先まで垂れ落ちていた眼鏡を押し上げ、ぐっすり眠っている、アントワーヌに視線を向けた。
ソジュンは、ニッコリ と
「恐らくね。ニックさんが言ってたよ。交代で来た時、リクは毛布を被って気持ち良さそうに寝てるし、指揮官はベッドの上で、不思議な格好で倒れてたって」
ソジュンのその言葉に、リクは「ああ」と息を
「何だかんだ、指揮官もお人好しだよね」
リクの様子に、喉の奥を鳴らす様な笑い声を立てて、ソジュンが言った。
「ぷぴっ」
その時、ソジュンの横に座るチーズが、彼に向いて鳴いた。
「ああ、はいはい。少し待ってくださいね」
ソジュンは、アダムからの伝言用紙を持ち上げ、「ええっと」と、指でなぞった。
「お腹が空いた時は──確か、この単語は……」
そう言いながら、ソジュンは、サイドテーブルの引き出しから、紙に包まれたチーズを取り出し、チーズに分け与えた。
「それ」
リクが、ソジュンが持つ用紙を指差すと、彼も、「ああ、これ」と言った。「アダムさんが書かれたんだってね」
リクは深く頷いて、「レアが、何か国語かで書いてあるって言ってた。フランス語とか、英語とか、ドイツ語とか、たくさん」と
「僕も以前 気になってね。本人に聞いてみたんだ」
思わぬソジュンの言葉に、リクは飛びついた。
「な、何て言ってた? 」
しかし、ソジュンは、リクの期待に苦笑いを浮かべただけだった。
「分からなかったよ。ここに来る以前に、やっていた仕事のお陰だって言ってたけど。どんな仕事なんですか? って
「そうなんだあ……」
リクは、溜息と共に、肩を落とした。
「その後、ゾーイさんから、アダムさんは、元いた場所や、家族にあまりいい思い出を持っていないから、
リクは、落ち込む彼の様子を チラリ と見て、「そうだよね。私も知りたがりだから」と呟いた。でもすぐに気を取り直して、ソジュンの持っている用紙を指した。「けどさ、言いにくい理由があるにしろ、そんなにたくさんの言葉を知ってるって、やっぱり凄いよね」と笑った。
「そうだよね、そうだよね! 」
リクの言葉に、ソジュンは興奮しきった声で言ったが、チーズに夢中のチーズは、気にしていない様だった。
「ほら、今時は、
そこまで言って、ソジュンはアントワーヌの寝顔に、視線を落とした。
「僕はいつまでも、全員と一緒にいたかった……誰ひとり、いなくなって欲しくなかった……」
涙で目を
「ぷごっ! ぷごっ! 」
すると、チーズを食べ終えたチーズが、激しく鼻を鳴らし始めた。
「チーズも、同じ気持ちなんだよ」
リクとソジュンはそう言って笑ったが、すぐにそうではないと分かった。廊下が急に騒がしくなったからだ。
「止まった! 止まった! 」
そう言う大声と、ドタドタ という足音が、扉の向こうを駆けて行った。
「ぷごっ! ぶごっ! ぶぎっ! 」
チーズはどうやら、その声に抗議をしているみたいだった。
「あの声──」
眉を寄せたソジュンが、リクに囁いた。
「私、行ってくる」
耳を澄ませていたリクはそう言って、席を立った。
例の足音が消えた、ロイヤルスイート手前の扉を開いたリクは、外の様子に立ち尽くした。
「き、汽車が、停まってる」
リクの言う通り、蒸気機関車は停車していた。しかしそれは、海の上に、ではない。陸地に停まっていたのだった。
扉の向こうには、
「でも、ここ、どこ? 」
リクが、そう呟いた時だった。頭上から、ガサゴソ と擦れる音が響いた。続いて、マイクを通した男の声が響き渡った。それは、電車内でよく耳にする、車掌のアナウンスみたいなものだろうか。声は、分厚いノイズを交えてこう告げた。
「えー、えー、時刻、午前5時50分。汽車停車、汽車停車。カリマンタン島、カリマンタン島。停車時間は82時間20分、82時間20分。じゃあ、皆、楽しんで! 」
ブツン という音と共に、ガサガサ いう雑音も止んだ。
「カリマンタン島? 」
リクは目の前の風景に問い掛けると、「よし」と鉄橋を駆けだした。
早朝の運転室には、
「リク、おはよう! あっははは! 」
「リクも、お仕事? ひひひ、ひひひ! 」
そして──
「やっぱりアダムだった! チーズがうるさいって怒ってたよ」
リクは、運転席の前で地図を広げる、若い炭鉱夫に声を掛けた。
「おう! リク、早起きだな」
一方アダムは、すっきりした笑顔で、そう挨拶をして、また地図に視線を落とした。
「全く……」
リクはそう呟いて溜息を吐いた。が、次の瞬間には、リクの興味は、別のことへと移っていた。
「それで、さっきの放送って? 」
「ああ、これのことか? 」
アダムは地図を広げたままで、壁を振り向くと、糸電話の先についている、紙コップの様な物を指差した。しかしそれは、ピカピカに磨かれた、金属で作られていたのだが。
リクは目を輝かせて、それを見つめると、「これが、マイクなの? 」と、アダムに聞いた。
「マイク? 開発者の名前か何かか? 」アダムは困った表情を浮かべて言うと、「隣にあるボタンを押して、声を全体に届けるんだ」と説明を加えた。
「で、これは? 」
リクは、マイクの隣に設置された機械に目を移した。巻き尺の様な機械だった。壁に取り付けられた円形の金属の機械の中央には、デジタル式で時間が表示されていた。その不思議なデジタル時計には、重りのついた紐がぶら下がっていた。
「それが、汽車が止まってる時間を示してるんだ」
アダムの言う通り、デジタル時計には、《81:18》と表示され、コンマの後に続く秒数は、リクが瞬きをする度にカウントダウンされていった。
リクは、変わった形のタイマーを まじまじ観察しながら、「あの放送って、汽車が停車する度にするの? 」と質問をした。
「ああ、まあな」
ポケットからメモ用紙を取り出した炭鉱夫は、何かを書き込みながら、リクの質問に頷いた。
「いつもアダムが? 」
「ああ。だって、俺しか地図読めねえもん」
リクの視線に気がついたアダムは、メモ用紙をポケットに仕舞い込んで答えた。
「アダムしか? 地図なら、私だって読めるよ。学校で習ったもん! 」
リクが言うと、アダムは、「まじか」と驚きの表情を見せ、「あのニックでさえ知らねえって言ってたぞ⁉ リク、俺は勘違いしてたよ」と、表情を明るくした。
アダムは、オーバーオールのポケットから、コンパスと分度器が合わさった様な物を引っ張り出すと、リクに、地図と共に手渡した。
「これからは頼むぜ」
そう言ったアダムは、スッキリ した表情で、伸びをした。
「リク、すごいっ! あっははは! 」
「航海のプロっ! ひひひ、ひひひ! 」
足元からも、木でできた ふたつの声も上がってきた。
リクは、「航海のプロ? 」と首を
リクの言葉に、アダムが、「は? 」と口を開けた。
「だって、リク、地図読めるって言ってなかったか? 」
「地図は、読めるよ。上が北でしょ? 下が南で、ここは、カリマンタン島って、さっき放送で言ってたね」でも、「それはどうやって分かったの? GPSも無いのに」
リクが言うと、アダムは、「GPS? 何だそりゃ」と眉を
「六……分……儀? 」
リクがまたも首を傾げると、アダムは、ガックシ と溜息を落とした。「なあんだ。結局、リクも地図読めねえのかよ」
「地図 は 読めるよ! 」リクはむきになって、「二重丸が市役所! バッテン印が交番でしょ! 」と言った。
「に、二重丸が……? なんだよ、それ。本当、リクって変な奴だよ」
若い炭鉱夫は、困った様な顔でそう呟いた後、「今度、教えてやるよ! 」と、ケロ と笑った。
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