第31話『まごころと絶望』
「“トニの為に力を貸してくれ”──メルからそう依頼されたのは、丁度、リクがこの汽車の炭鉱婦になった日のことだった」
ロバ頭の妖精、メル=ファブリから引き留められたアダムは、リクたち ふたりを先に食堂に向かわせると、もう一度部屋に入った。
「内密にって、何だよ」
床に放られたクッションに腰を下ろしながら、アダムは
「あのふたりに聞かれちゃ不味いことなのか? 」
「ああ、そうじゃとも」
老いた妖精は、アダムの目の前に ドカリ と座り、ゆっくり
アダムが首を傾げると、メルは、次の言葉について、彼に聞いた。
「“砂の精”は、知っておるな? 」
アダムはすぐに首を縦に振る。「ああ、勿論。“トニ”のことだろ? 」
「正確には、違うのじゃが。そうじゃな」
「で、“砂の精”がどうしたって? 」
アダムが聞くと、メルは改まって言った。
「いち妖精として、次期指揮官殿に、お頼み申したいんじゃ」
「は? 」
“次期指揮官”──その単語を耳にした瞬間、アダムの表情が固まった。
「トニに、なんかあったってことか? 」
「この子は本当に賢い子じゃのう」メルは、目を細めた。「今は何も起きとらんが、これから、起こるんじゃ」
「“砂の精”が、本来の姿に戻ってきてるっていうんだ」
レアとリクも見ただろう? と問われ、ふたりは
「今までは全身真っ青って感じだったけど、この前見た姿は、頭の先から真っ白だった」
「それが、何を意味してるんだ? 」
アダムはメルに尋ねた。ロバ頭は、ゆっくりと
「アントワーヌの身体が、乗っ取られつつある、ということじゃ」
「トニの身体が⁉ 」メルの言葉に被せる様にして、アダムが叫んだ。「どういうことだ? “砂の精”は死んでるはずだろ。それがどうして、生きてるトニを乗っ取れるっていうんだ」
「それが、この間、サロンでレアさんたちがお話ししてくださった内容ですね」
今度はソジュンが言った。それにミハイルが頷く。
「妖精、死なない。体、なくなるだけ」
「それで、メリーがアディにした頼み事って、何だったの? 」
続けてゾーイが口を開いた。
「なるほどな。それで? 俺に頼みって、何だ? 」
「アントワーヌを助けて欲しいんじゃ」
「どうやって」
間髪を入れずにアダムが言った。アダムの鋭い緑色の瞳に、メルの黒い目が
「交渉を、して欲しいのじゃ」
「交渉? 」
「この汽車に通う妖精たちに、アントワーヌを助けてくれるように、交渉してほしいのじゃ」
メルはそこまで言って、
「だがな、その頃のトニに対する妖精たちの評価と言ったら、最悪だったんだ」
「トニは、“砂の精”を殺したことになってたからね」
アダムの言葉に、リクが頷いた。
「みんな、カゾク。トニの味方、いなかった」
ミハイルがリクの言葉に付け足した。
「ああ。だから妖精たちに、トニを助けてくれ、なんて交渉、危険でしかなかったんだ」
「だからアディは、私たちに黙って行動していたのね……それなのに、私、ごめんなさい──」
レアは
一方でアダムは、そんなレアに向かって、ゆっくり首を横に振った。
「いいんだ。俺も、説明しておけば良かったな。ただ、ニックやゾーイはとにかく、レアやリクなんかは、無茶をしかねねえ。そう判断したんだ。レアに至っては、トニに、故郷の弟を重ねていたしな」まあ、トニの方が、年は上なんだが。「負わなくてもいい責任を感じて、傷つくのを、見たくなかったんだ。俺には、“この汽車の次期指揮官という加護”がついてる。妖精たちは、どんなに気に食わねえことがあっても、俺を直接攻撃することはねえ。だが、レアたちは違う」
「頼れるのはアダム、お主だけなのじゃ。この任務がどれほど危険で、どれほど重く、酷なことかというのは承知しておる」
口調に不安を宿すメルが、「この頼み、受けてくれるかの」と問うよりも先に、アダムが口を開いていた。
「俺は、まず何をすればいい」
アダムのその言葉に、メルは重たい頭をめいっぱい下げて言った。
「ありがとう。我が恩人を、どうか、どうか助けてやっておくれ」
「いくら俺が次期指揮官だからと言っても、相手は妖精だ。命までは狙われないだろうが、何が起こるか分からねえ」と、アダム。「で、俺は、メルからも、加護の
「加護の
コリンが首を傾げる。
「自分を見失わない為の、
「妖精から何らかの攻撃を受けたとして、いちばん最悪な状態は、正気を失うことだ。抜け殻の様になっちまうって聞いた。飯も食えなくなって、水さえも喉を通らなくなるんだと。そうならない為の解決策が、ひとつだけ、あるんだ」
「それって? 」と、リク。
「“いちばん大切なものを、決して忘れないこと”だ」
アダムがそう言うと、従業員たちはそれぞれ顔を見合わせた。
「大切なものって、例えば本とか? 」と、リク。
「いいや、恋人だよ! 」と、コリン。
「俺は家族かな」と、ニック。
「お誕生日に貰った、お花のネックレスよ」と、レア。「大切にしすぎて、まだ一度も付けたことがないわ」
「おいしい、ごはん」と、ミハイル。
「ミカ君は、妖精じゃないですか。いいですか、みなさん、大切なものは、愛ですよ」と、ソジュン。
「大切なもの──」
従業員たちが好き勝手に言い合っている中、ゾーイは胸に手を当てたまま、視線をテーブルに落としていた。
「愛って何よ、具体的じゃないわ」と言う、レアの意見に賛同していたリクは、ゾーイを見つけた。
彼女に気がついたのは、リクだけではなかった。話に参加していなかったアダムも、ゾーイの様子を気に掛けている様だった。次期指揮官の彼は、そっと彼女に近付くと、小声で語り掛けた。リクも、こっそり、言い合いの輪から外れると、ふたりの会話に聞き耳を立てた。
「どうしたんだ、ゾーイ? 」
ゾーイと肩がぶつかるまで体を寄せ、アダムが
「体調でも
すると、ゾーイは
「違うよ。大切なものって言うのが、上手く思いつかなくてね。あのさ、アダムは、
「私も気になる! 」
ゾーイの質問に、リクは盗み聞きをしているのだというのも忘れて、大きな声を上げていた。はっと息を飲む間もなく、アダムとゾーイ、そして議論を交わしていた従業員たちの視線が、リクに集まってしまった。
「そう言えば、そうよね。アディは何をお
「ご、ごめんね。アダム。つい」
しかし、アダムは少しも気にしていない様だった。リクが謝ってきている理由さえ分からないという風に、首を傾げると、あっさりと質問に答えた。
「俺の大切なもんは、故郷だ」
「故郷」ゾーイが繰り返した。
「ああ。どんな時も、忘れたことはねえ」だが、「妖精との交渉なんて、経験したことなかったからな。俺も内心 ビビっちまってさ。自分を落ち着かせる為に、毎晩の様に
『愛し愛せよ 誰もいない
歌い歌えよ 誰もいない──……』
リクは「ああっ」と声を上げて、「だから、ずっと歌ってたんだ! 」と頷いた。
「お陰で、私たちは無視されっぱなしだったけれどね」
レアが意地悪な表情で付け加えた。
若い炭鉱夫は、その顔を チラリ と見ると、口をへの字にして「悪かったって」と小さな声で言った。
その時。アダムのブカブカの袖の内側が、電気が点いた様に、パッ と白く光った。と思ったら、中から葉っぱの様な姿のピクシーたちが5匹、ピョン と飛び出てきた。
「リーレルたち! 」リクが名前を呼んだ。「ずっとその中にいたの? 」
「いいえ」と、リーレル。「ここに飛んできたのよ。アダムの袖ったら、出口にするのに丁度いいんだもん。アタシたち妖精は、丸い物があれば、どこだって行き来できちゃうんだから。トンネルをくぐるみたいにね! 」
小さな生き物は、胸を突き出して そう説明した後、ハッ とした表情になって、「そんな場合じゃないのよ! 」と、テーブルに降り立った。
「どうしたんだ? 」
大きな体を、精一杯折り曲げながら、ニックが尋ねた。
聞かれたリーレルは、アダムに向くと、早口に言った。
「トニが危ないのよ! 」
「トニが? 」
「アタシたち、アダムに言われた通り、ずうっとトニの看病してたの。手伝ってくれるって言ってくれた妖精たちも集めてねっ! 」
リーレルたちは、ピクシーの間で重宝されている
そして、「もう長くないのかもしれないわ……」と
リーレルたちが、自慢の大きな羽根を
「ああ、分かってるよ。ありがとな。もう充分だ」
そう言って納得を示したアダムだったが、リクたちはそうではなかった。
「トニに生きる希望がない? どういうことなの」
リクの質問をきっかけに、レアも、ゾーイも、コリンもソジュンも身を乗り出した。
「え、ええっとなあ」
目が泳ぐアダムに、リクが「あ」と声を上げて、「もしかして、それが、トニを助けられない、“もうひとつ”の理由なの? 」と言った。
レアもリクに顔を向けて、「そうね、まだ、それを聞いていなかったわ」と頷いた。
「これは、本当は言いたくなかったんだがなあ」アダムはそうぼやくと、「リクが予想した通りだ」と観念した。
「トニから手を引くと決定したのには、妖精たちの件もあるが……トニ本人に生きる意志が無いという理由が、大きいんだ」
「“生きたくない”って、トニが言ったの? 」
アダムの言葉に、リクが恐る恐る聞くと、炭鉱夫ははっきりと首を縦に振り下ろした。
「ああ、そうだ」
「トニが、昔のお話、聞かせてくれた夜──」
アダムの言葉を引き継ぐ様に、ミハイルが口を開いた。
「リーレルとリクたち、ボクに、トニをお願いした後、ボク、しっかり、トニに、ピクシーのお
その時のことを思い出しているのだろうか。ミハイルは、右手を宙に差し出した。
「手、貸して。ボク、トニに言った。でもトニ、手、貸してくれなかった」
ミハイルは、漂わせていた右手を、きゅ と結んだ。
「それで、トニ、言った。“俺は、生きていたくない”って」
「そんな……どうして」
「直接ではないとはいえ、母親を死においやった理由が、自分にあるということに、絶望を覚えたらしい」
レアの呟きに、アダムが答えた。
「このポンコツから、テレパシーでその報告を受けた後、アタシたちはすぐにアダムに報告したのよ。どうすればいいのかしらって。だって、アダムは、この汽車の、次の指揮官なんだもの! 」
テーブルに乗っていたリーレルたちが、浮き上がって話を続けた。
「リクたちがサロンに来る前、俺はリーレルたちに、トニの部屋に すぐに戻る様に指示した。どうか、一時でも、トニの命を繋いでいてくれって。それでも、心のどこかで、トニをこのまま引き留めておくってのも、
リーレルの言葉を引き継いだアダムに、コリンが首を傾げた。
「トニの命を救うのに、どうして間違いがあるの? 」
「それじゃあ、コリン。逆に質問するけど、本人が生きることを望んでいないのに、どうして私たちに引き留める権利があると思うの? 」
アダムが答えるより先に、ゾーイがコリンに、質問を返した。
その質問に、「ええっと」と視線を下げたコリンに変わって、今度はリクが口を開いた。
「それは、トニは今、生きてるんだから、助けないと。できる限りのことをしたいって思うのが、普通じゃないの? 」
「私も、リクの考えに賛成よ。トニは生きているのだから」
レアはリクに頷くと、目の前のソジュンに向いた。「ジェイはどう思うの? 」
突然話を振られたソジュンは、「えっ」と目を見開いた後、「ううん」と、短い
「僕は──」もう一度唸って、「どちらの意見にも、頷けるんです」そう言った。
「レアさんや、コリンさん、リクの意見も分かります。そして、こちらの意見の方が、理屈的に考えれば、正しい。いなくなってしまっては、その後の可能性も、全て失せてしまうからです。生きてさえいれば、様々な可能性も生じます。もしかすれば、指揮官も、心から生きたいと願う日が来るかも知れない。逆を言えば、そう思う日は、一生来ないのかも知れない。可能性を考えるのであれば、僕は、レアさんたちの意見に賛成です」
しかし、とソジュンは言う。
「先程の可能性の話でも既に述べた通り、例え生きることを選んだとしても、指揮官が死を望み続けるかも知れません。僕の生きていた世界が、レアさんたちにとってどういう位置にあるのかは分かりません。が、僕の生きていた世界では、その個人の意思が尊重されているんです。厳しい条件こそありますが、本人が生きるのが辛いと言うのなら、薬品を使った自死が認められるんですよ。
ここでソジュンは、一瞬、言葉を切って、レアを見上げた。レアもリクも、答えられなかった。
「その方が、本人が幸せなんだと結論されたからですよ」
ふたりの表情に頷いたソジュンは、透き通った声で、そう答えた。
「生きたくないのに生き続けなければならない。それは本人の為にならないからです。生きているのに、毎日、死を望んでいる。それは、本当に、生きていると言えるでしょうか? だから皆で、本人が望む、尊厳ある死を、祝ってあげようと」でもね、「僕は、でも、初めてこうして、実際にその問題に立ち会って、知りました」
「ジェイ……」
息が上がりつつあるソジュンに、ゾーイは首を振った。しかし、彼は続けた。
「死んで欲しくない。大切な人には、なんとしてでも、生きていて欲しい! 僕は、アダムさんの意見を否定しません。
そう言い切って、ソジュンは両手で顔を覆ってしまった。
「いいんだよ、ジェイ。答えを出すことだけが、正解じゃないんだから」
席を立ち、ソジュンのもとへと駆け付けたゾーイは、そう言って、彼を優しく抱きしめた。
肩を震わせるソジュンに、掛ける言葉を見つけられずにいたリクは、険しい顔で腕を組んでいるニックに視線を移した。
「ニックは、アダムと同じ意見なんだよね? 」
リクは静かに、ニックに問い掛けた。
「ああ、俺か? 」
できる限り小さな声を心掛けたリクだったが、シン とした室内では、無駄だったみたいだ。テーブルを囲む従業員たちの視線は、ニックに注がれた。ソジュンの頭を胸に抱いたゾーイでさえ、この心優しい大男の回答が気になっている様子だ。
「ああ、ええっと」
皆の視線に気がついたニックは、困った様に
そして、「俺は……そうだな。人の生死について、何か言っていい立場では、ないんだ」とだけ言った。
質問好きのリクが、「どうして? 」と尋ねるよりも先に、アダムが声を上げた。
「皆、色々な意見があると思う。リクやレアや、コリンが言う様に、俺だって、可能ならば、トニに元気でいて欲しい。でもな。生きる希望を無くしたままで、生きなきゃなんねえってのは、地獄みてえに
そう言って、アダムは従業員たちの瞳を、ひとつ ひとつ見つめた。
レアはそんなアダムの態度に涙を溜め、「何もしないということが、トニにとっての救いだなんて、そんなの、酷いじゃない」と、言葉を絞り出した。
「俺たちにできることは、トニがこれ以上苦しまずに、楽にできるかってことだけだ。メルによれば、“砂の精”に乗っ取られつつある今、トニは肉体や精神的な疲労に、常に
だから、と、アダムは続けた。
「リーレル、回復の呪文はもういいんだ。なんて言ったらいいのか、少しでも身体の苦痛を取ってやる
アダムから質問を受けたリーレルは、「あるわよ! 」と、胸を張った。
「それなら、そいつを頼むぜ」
若い炭鉱夫は、柔らかい微笑みを、小さな妖精へと贈った。
先程まで意気消沈していたピクシーたちであったが、ジブンたちにできることが、まだ残っていたことに喜びを覚えているらしかった。「任せて! 今度は上手くやって見せるわ! 」と、甲高い声で答えると、テーブルの端で ぼんやりしていたミハイルに、「ほら、ポンコツ! あんたも行くのよ! アタシたちのとっておきの呪文、教えてあげるから! 」と呼び掛けて、一瞬のうちにその場から消えた。
「ボクも、頑張る」
ミハイルもそう答えると、いつの間にか姿を消していた。
「ど、どこ行っちゃったの! 」
その様子にリクが、あんぐり口を開けていると、涙を拭き取ったソジュンが、「瞬間移動だね。リーレルたち妖精には、距離なんて存在しないんだよ」と、難しく解説して、赤くなってしまった目を細めた。
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