第28話『雨降りと不和』
まだ
その頃には、既にアダムが奏でる美しいピアノの
リクたちが扉を開くと、大男の方が小さく手を上げた。
「お、みんなお揃いだな。どうしたんだ? 」
「話があってきたのよ」
ニックの言葉にレアが低い声で答えた。
「話? 」
「ええ。特に、アディに」
レアから指名されたアダムは、ピタリ と演奏の手を止めた。そして、彼女たちの方へ振り向いた。
リクは、彼の表情に寒気を覚えた。
エメラルドの様なアダムの瞳は、何の感情も映してはいなかったのだ。無機質に、ただそこにある飾り物みたいに、じっとりとリクたちを見つめていた。
リクは、彼のこんな表情を見たことがなかった。それは他の従業員たちも同じな様だ。誰もが言葉を探し出せずにいた。
それを理解してか、彼から声を掛けてきた。
「リーレルから大体の話は聞いてる。俺らも、レアたちに話さないといけないことがあってここで待ってたんだ。まあ、いつもみたいに適当に座れよ」
そう言って、ピアニストは、
ピアノを中心に、従業員たちはそれぞれ椅子に座った。
アダムたちに
「それじゃあ、事故だったって訳ね。何てこと……言葉にならない」
大きな溜息を
「成る程、それでリーレルたちは、8号車にいる客たちから噂を広めようとしてる訳だな」
一方でニックたちは冷静にそう解説した。
「そう。だから、私たちも何かできないかなって! 」
ニックの言葉にリクがそう返した。
「そう、ですね。僕たちに何かできるのであれば」
頭を抱えていたソジュンも、何とか声を絞り出して言った。
「で、あんたたちが言わなければいけないことって何よ」
話が終わったレアは、早速アダムに言葉を投げた。
アントワーヌの話を聞いても尚、鍵盤蓋を見つめたまま、表情ひとつ変えない炭鉱夫は、何かを思い巡らせている様な沈黙の後、重たい口を開いて、次の様に述べた。
「話の結論から言うと、俺たちはこれ以上、トニに関わることはしない」
「へっ? 」リクは思わず声を上げた。「どうして? 」
しかしそれは他の従業員たち──ニックとメル=ファブリを除いて──の言葉でもあった。
リクから疑問を投げつけられたアダムは、チラリ とメルの顔に視線をやると、深く頷いて話を始めた。
「リクたちが言っていた通り、トニは非常に危険な状態だ。そのことは、俺たちも把握していた。だから、俺たちも最善の手を尽くそうとやってきた訳だ」
「どういうこと? 」
「8号車の妖精たちに交渉を持ち掛けていた。どうにかしてトニを助けられる方法がないかってことをな」
「アダムが? 」
「ああ」
「ワタシがアダムを、その役に指名したんじゃ」
すると今まで じっ と様子を見守っていたメルが、口を開いた。
「妖精たちに、アントワーヌを救ってくれるよう、説得せよと。妖精相手の仕事は危険を
「でも、どうしてアダムが」
その問いに答えたのは、リクの隣に座るレアだった。
「この汽車は、妖精たちにとって特別な物だからよ。何でなのかは分からないけれど、カレらは、“この汽車は護って行かなくてはいけない”って、よく言っているわ。だから、妖精たちは、どんなに人間が憎くてもこの汽車を護る指揮官だけは
「つまり、指揮官が床に
レアの言葉をソジュンが
「それじゃあ つまり……アダムは……“私たちはトニを助けない”って、言ってるってこと? 」
「そういうことよ。リクは頭がいいわね」
レアはリクを褒めたが、その表情は険しいものだった。
「理由を聞かせて貰えるかしら。怒るのはそれからにしてあげるから」
美しいウェイトレスは、次期指揮官に向けてそう尋ねた。
従業員たちからの厳しい視線を向けられても涼しい顔でいるアダムは、易々とその問いに答えて見せた。それは、これ以上にない残酷な理由だった。
「無駄だからだ」
その言葉に立ち上がったのはレアで、彼女はそのままピアノの前に座る冷酷な次期指揮官の
「無駄だから、ですって⁉ トニの命を救うために私たちが働くのが、“無駄”⁉ どういう生き方したらそんなことが言えるのよ! トニは、トニは死ぬかも知れないのよ! 」
「言っただろう。俺らは今まで最善だと思われる手を尽くしてきた。しかし結果は実らなかった。これ以上踏み入るのは得策じゃねえ。これは妖精たちの問題だ。俺らが入れる隙は、もう無いんだよ」
次期指揮官は平然とした態度でそう答えた。
「でも、トニは、人間なのよ。私たちと同じ。それでも無関係だって言うの? 妖精たちだけの問題だって言うの? 結果は実らなかったって言っていたけれど、ねえ、今なら違うかも知れないじゃない! そうではないの? ねえ」
レアはアダムの表情に気がついて、その場で泣き崩れてしまった。
一方でアダムは、そんな彼女に手を差し伸べることもせずに言った。
「決定は変えない。俺らは、トニに関わることはしない。仕事の用事以外で8号車に近寄ることも許可しない」
「見殺しにしろって言うの? 冷酷な人間ね」
レアが嗚咽交じりにそう言った。
「おい、レア──」
ニックが制止しようとする横で、冷酷な次期指揮官は足元の彼女に言葉を掛けた。
「勝手に言ってろ」
「ちょっと、アディ。その言い方は無いわよ」
今度はゾーイがアダムの態度を
「喧嘩は嫌だよ」
ずっと黙っていたコリンが呟いた。
「リリイ、どこに行くの? 」
ボロボロ と涙を流しながら立ち上がり、部屋から出て行こうとしたレアを、ゾーイは引き留めた。が、彼女は行ってしまった。
「私はリリイを追う。アディ。私はあんたの置かれてる状況は分からない。あんたを信じたい。だけどね、目的の為に誰かが傷つくのを見たくないの。それだけ」
そう言って、ゾーイも部屋から出て行ってしまった。
「僕も、もう部屋に帰るよ」
ゾーイの足音が消え切らないうちに、小さなスチュワートのコリンも立ち上がった。
「皆どうしちゃったんだよ。僕は分からないよ、何が正解で、何をしたら皆が幸せでいられるのかなんて。でも、僕は、僕の気持ちは、レアと一緒だよ。アントワーヌを見捨てるのだけは嫌だ。でもそれも、今晩寝てみて考えるよ。眠れれば、なんだけど」
それからコリンはピアノの前で項垂れるアダムの横を、ゆっくり通り過ぎて出て行った。
サロンの扉が閉まったのを確認して、ニックはソジュンに視線を向けた。
「お前はどうする? 」
するとソジュンも静かに立ち上がり、扉の方へと歩き出した。しかし、アダムの横で立ち止まると、青年は冷静に話し出した。
「僕の考えを申しますと、僕はレアさんやコリンさんと同意見です。アダムさんは、指揮官を救う行為は無駄だと仰いましたが、行動を起こさずにそれ以上の結果は見込めません。状況は変わっているのではありませんか。指揮官の無実が立証されたのですから。挑戦無くして成功無し。僕はアダムさんの決定に、素直に頷くことはできません。しかしアダムさんの決定も尊重すべきだとして……僕も、深く考えてみたいと思います。どうしてアダムさんがここまで冷酷にならなくてはいけないのかを。では、おやすみなさい」
初めて自分の意見を述べ切った新米料理長は、アダムに一礼すると、扉を開けて出て行った。
その背中を見送っていたリクは、ニックが自分を見ているのを感じ取った。
「リクは、どうするんじゃ? 」
しかしリクに直接尋ねてきたのは、ロバ頭のメルだった。メルは祈る様にしてリクを見つめていた。
リクはピアノの周りに座る3人を見比べた。
「聞きたいの」
「何をじゃ? 」
「アダムが諦める理由。ジェイたちの言った通り、状況は変わってるんだよね? リーレルたちが他の妖精たちに、トニのあれは事故だったって噂を広めてるんでしょ? なのに、どうしてアダムは諦めるんだろうって」
リクの問いにも歌うたいは顔を上げようとはしなかった。ただ苦しそうに下を向き、まるで溺れた人のするみたいに、鍵盤蓋に強くしがみついていた。
「私はアダムとの関りも薄いし、他のみんなとも。まだ知らないことがたくさんある。けどね、アダムがどういう人なのかって言うのは、なんとなく分かるつもりでいる。アダムは凄く意地悪で、よく人のことを おちょくったり、素直じゃなかったり、口も悪いけど。でも、人のことを見捨てる様な人じゃないと思うの。ねえ、そうでしょ? 」
「──自分でもそうだと願いたいよ」
俯く歌うたいは、ようやく口を開いて、呟いた。
「ひとりにしてくれないか? 」
リクとニックとメル=ファブリは、倉庫室の扉の前に立っていた。
「アダム、大丈夫かな? 」
リクが誰にでもなく言った。
それはニックも同じ気持ちらしい。力無く溜息を吐くと、今度はブンブンと首を横に振って、リクたちの方を向いた。
「俺はここにいるよ。だからリクとファブリさんは、部屋に戻ってくれ。夜も遅いし、疲れているだろうから。いいか? 」
ニックの提案に、リクもメルも異論は無かった。
「ニック。その、何かあったら起こしてくれていいからね」
リクはお人好しの大男にそう言うと、メルと一緒に歩き出した。
背後から、雨降りの曲が聞こえてきた。星の瞬く、こんなにいい天気の日なのに。
「ねえ、メル」
「なんじゃ? 」
シャワー室からA寝台に抜ける扉を開きながら、リクは言った。
「アダムは、何に悩んでいるんだと思う? ううん、何かを怖がってる様な、そんな感じがした。ねえ、アダムはどうして、あんなに冷たい態度を取るのかな」
「あの子が何かを恐れているとしたら、それは君たちを失うことじゃ」
リクの問いに、メルはゆったりと答えた。
「私たちを失う? どういうこと? 」
「アダムの言ったことを、よくよく思い出してみるのじゃ。アントワーヌの件に関しては、これは、もう妖精たちの問題。人間がこれ以上関わって、いいことなんてありはしない。妖精たちは、
「何? 」
「妖精たちは
「──ということは、トニが、いなくなることを望んでいる……ってこと? 」
リクの言葉に、メルは重たい頭を縦に振った。
「直接的に言えば、そうなるな」
「でも、でも」と、リク。「トニの無実は証明されたんだよね? リーレルたちが他の妖精たちに噂を広めてるって! それでも
「協力しなくはない」と、メル。「しかし最終的な意見は一致するじゃろうな。ワレワレは“砂の精”を優先するだろう。妖精たちにとって、人間は替えがきく存在じゃ。それはリーレルからも聞かされたじゃろう? だから、妖精たちの取る行動は、どうやってアントワーヌの延命をするか、これにかかってくる。“砂の精”がうまい具合にアントワーヌの肉体を乗っ取ることができたなら、あの子も命までは落とさずに済むからな」
「でも、それなら、トニの意識は? トニはどこに行っちゃうの? 」
リクの問いに、メルは目を閉じた。そしてどっしりと告げた。
「残らない。肉体は生きていても、あの子は死んだと同じになる──」
「そんな。なら──」
急いたリクを、メルは手で制した。
「リクはいい子じゃのう。アントワーヌがどうして欲しがったのか、分かる気がするわい。じゃが、今回の件ではアダムの決断を尊重してやってくれんか。これは妖精たち、そしてアントワーヌとの問題じゃ。その他の人物は
メルは黒く沈んだ瞳でリクを見上げた。
「あの子が何を
メルの言葉に、リクは頷くことしかできなかった。
ベッドの中に潜り込んでも、リクは眠りにつくことができなかった。
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