第25話『輪っかの部屋と呪いの歌』

 1号車。スイートルームA室が、指揮官であるアントワーヌの部屋だ。扉に丸いステンドグラスが嵌め込まれていた。

「きのう砂の精が吸い込まれていったのって、この扉だったんだ」リクはうなずいた。

 レアは3度ほどノックをすると、返事を待たずに扉を押し開けた。

 アントワーヌの部屋に入ったリクが最初に発した言葉は、「わお」という、驚きからくるものだった。

 ステンドグラスから差し込んでくる月明りに映し出された室内は、洋服と、《丸い物》で埋め尽くされていた。

 丸く縁取ふちどられた壁掛け時計、細身のスーツ、丸い地球儀、ラフなスーツ、ベッドの側には、丸く大きな全身鏡と衣装箱が積み重なって置いてあり、枕元には丸いガラスのボトルが、ステンドグラスからの光を受けて輝いていた。

 ベッドで丸いクッションに頭を埋もれさせているアントワーヌは、顔中に汗を流しながら、しっかりと寝息を立てて眠っていた。

「生きているみたいね」

 レアはリクにそう囁くと、ホッ と溜息をいた。

 すると、ふたりの後ろを黙ってついてきていたミハイルが割って入ってきて、アントワーヌの枕元に立った。

 ミハイルは、唇まで真っ青に染めているアントワーヌの顔をまじまじ見つめると、汗で濡れる額を ぺちぺち と叩き出した。

 ベッドの主がうなりり声を上げた。

「ちょ、ちょっと、ミカ? 」

 リクが驚きの声を上げた。

「こら、ミカっ」

 レアは小さな叫び声を上げ、急いでミハイルをベッドから遠ざけると、「もう。ただでさえ弱っているのだから、いじめないのよ」と、アントワーヌに毛布を掛け直した。

 額を叩かれた赤い髪の指揮官は、寝心地の悪そうに頭を振ると、また、ひと唸りした。唇が小刻みに震えている。

「寒いのかな? 」

 リクが顔を近付けると、弱った彼は ブルブル と、寝言をつぶやき始めた。

「ぼくはいいよ……母さんが掛けなよ……」

「母さん? 」

 聞き返すと、ベッドの主は目を覚ました。

「な、な、何だお前ら! 」

 リクたちを見つけて飛び起きたアントワーヌは、叫び声を上げた。

「“何だ”ですって? 私たちはね、あんたを心配して、こうして看病に来てあげたんじゃない! 」

 アントワーヌから不審者扱いされたのが気に食わなかったレアは、不機嫌に腕を組んでそう訴えた。

「看病? 何で俺にそれが必要なんだ? 」

「え? トニ、何とも無いの? 」

 ぽかんと言うアントワーヌに、驚いたリクがそう聞くと、当の指揮官は自分の両手を見つめたまま、顔をしかめて言った。

「そう言えば、悪夢を見ていた様な気がするな」

「悪夢? 」

 リクが繰り返すと、アントワーヌは「ああ」と頷いて、服の袖で額の汗を拭った。そして枕元の丸いガラスのボトルから水を含み、喉の奥に一気に下した。

「どんな、夢、みたの? 」

 ミハイルが尋ねた。

「ただの悪い夢だ」

「どんな? 」

 ミハイルがもう一度訪ねた。

「何故お前に話さなくてはいけないんだ」

 アントワーヌがイライラして答えても、ミハイルは諦めようとしない。例の、何も映し出さない表情で、「どんな夢、みたの? 」とだけ繰り返した。

「ミカ、トニは話したくないのよ。それに、夢なんて他人ひとのプライベートなことだわ」

 ベッドの端に置かれたデスクからタオルを持ち上げたレアが、聞き分けの悪いスチュワートに注意したが、やっぱりミハイルの興味は逸れないそうだった。

「トニ、なんの、夢、みた? 」

 そう繰り返すだけだった。

 リクはその強情な様子を見て、目を見開いた。そして小声で、「お母さん……」とこぼした。

 ミハイルの左右色の違う瞳が、リクを捉えた。

「トニ、お母さんの夢見てたんじゃない? 違う? 」

「ちょっと、リクまで」

 レアは眉を下げてしまった。一方でアントワーヌは、ベッドの中でリクの顔をにらみ付けた。

 リクはアントワーヌの顔を、めずおくせず見つめ返した。

「たぶんなんだけど、ミカは、その夢に解決方法が隠されてるって言いたいんだと思うんだよね。その、“砂の精”の。トニ、今自分に何が起ころうとしてるか、知ってる? 」

「俺の前で“アレ”の名前を出すなと忠告したはずだが? 」

 アントワーヌはリクの質問に答える代わりに低い声でそう忠告した。しかし こんなことでめげるリクでもなかった。

「メルが言ってた。“砂の精”は、トニを飲み込もうとしてるんだって。私はまだ2回しか“カレ”を見たことがないけど、それでも、きょうは明らかに姿が変わってた。ねえ、トニ。話してくれないかな? きっとそこに、解決策があるんだよ」

 リクの言葉に、アントワーヌがさらに眉間みけんしわを深めた時だった。月明りに照らされたミハイルが、静かに口を開いた。


『砂の精とは手を繋ぎ 丘を目指して歩こうか

 赤毛あかげの道化は橋のもと 母親のろわれ汽車の中

 どんなに足掻あが藻掻もがこうと 僕の夢からでられない──……』


 それは、砂の精が口遊くちずさんでいた歌だった。

 ミハイルはそのままアントワーヌに視線を向けると、表情を変えないまま、「お母さんは、どこ? 」と、ゆっくり尋ねた。

 リクもミハイルの視線を追って、ベッドに座るアントワーヌを見た。

「トニ? 」

 そこには、大きな両手で顔を覆う赤い髪の青年の姿があった。

「もう、ふたりとも」レアは、その冷たい手の甲に手を添えて、険しい表情を見せた。「いい加減にしなさいよ。私も怒るわよ」

「でも……」

 レアから初めて向けられる顔に、流石のリクも視線を落としてしまった。その時、ベッドから強い口調が聞こえてきた。

「レア、灯りをつけてくれ」

 彼はウェイトレスにそう指示を出すと、両手を顔から外した。

「ミハイル。この話は、リクの言う様に、本当に必要なものなのか? 」

「そう。トニのお母さん、どこにいるの? 」

 ステンドグラスの前に立つミハイルは、信念の宿った瞳で頷いた。

「そうか──」指揮官は、その表情を ジッ と見つめると、そう呟き、「お前らの好奇心に、今回は負けてやろう」と上半身を起こした。

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