第24話『静かな夕食と口の固い歌うたい』

 その日の夕食は、きのうとは違って静かなものだった。

「あら、きょうは早いんだね」と眉を上げるゾーイから出された、ベーコンとチーズのたっぷり乗ったピザを、リクはニックと一緒に食べた。

 ニックは他の従業員たちとは違い、随分ずいぶんと無口な性格の様だ。リクが話し掛けない限り、この大男は黙ってピザを口に運ぶだけで、自分の話は全くと言っていいほど話さないのだった。

 リクは「これじゃあ、分からないことが多いのはアダムだけじゃないみたい」と思ったものの、代わりに「ゾーイとレアって料理上手だよね」と言うだけにした。

 大男は何も言わずに、笑顔でうなずいた。


 その夜もリクは、また寒気に襲われて目を覚ました。

 重く垂れさがってくるまぶたこすりながら、部屋の扉を開くと、目の前を白っぽい明かりが通り過ぎて言った。

「わっ! 」

 思わずリクが身を引いた時、光の去った方向から聞き覚えのある歌が聞こえてきた。


『愛し愛せよ 誰もいない

 歌い歌えよ 誰もいない──……』


「アダム⁉ 」

 扉から身を乗り出したリクは早足で去っていく後ろ姿に声を掛けたが、やはり歌うたいは振り向こうとしなかった。

 歌うたいの周りではリーレルたちピクシーが、楽し気にねまわり、次の瞬間には5号車へと消えていった。

「何なの! もう」

 勇ましく地団駄をんだリクだったが、思い出した様に ブルルッ と震え上がると、アダムが出て行ったのと反対側の貫通扉かんつうとびらに振り返って、「あ」と声を出した。

「ニック? どうしたの? 」

 廊下に現れた大男にリクが声を掛けると、彼はまゆを下げてリクに片手を上げた。

「何だ、起きてたのか」

「この寒気にね。また“砂の精”が出て来てるんでしょ? 」

 リクがそう言うと、ニックは首を縦に振った。

そして「ああ、それもそうなんだが……アダムを見なかったか? 」と聞いてきた。

「アダムなら、さっき5号車の扉を開いて行ったけど、ニックは何してるの? 」

「俺か? 俺はついさっきまで運転室で仕事してたんだ。ほら、マリーとマークに休憩時間をやらないといけないだろ? 」

 それを聞いてリクは、「ああっ、ごめんね。私、手伝わなくって」と言った。

 それに対してニックは、「いや、いいんだ。これは俺の仕事だし、アダムにもやらせてないからな」と笑顔で言うと、また真剣な表情に戻った。

「アダムは あっち に歩いて行ったんだな? 」

「うん、そうだよ。リーレルたちも一緒だった」

「そうか」

 ニックはそう言いながら コクコク と頷くと、リクに、「俺はアダムを追ってみようと思う。リクはすまないが、トニの方を何とかしてくれないか? 食堂でレアとすれ違ったんだ。手を貸してやって欲しい」と指示して、大股でその場から去っていった。


 食堂車に行くと、きのうの晩と変わらぬ姿のレアが立っていた。

「リク! きょうも来てくれたのね、嬉しいわ。アディもニッキーもどこかへ行ってしまったの。私だけしかいなかったのよ」

 網無し虫取り網を両手で握ったレアはリクに向くと、キラキラ した表情でそう言った。

「アダムは きのうの通りだったよね。ニックはその後を追ってみるって言ってた」

 リクがそう報告すると、レアは ふん と鼻から息を吐きだして、「全く、“こんな時”にアディったらちっとも役に立たないんだから! 」と、吐き捨てる様に言った。

「そうだね。トニが“砂の精”になってる時に限って──」

 リクがそう言うのを、レアが「違うのよ」とさえぎった。

「違う? 」

 リクが首を傾げると、レアは首を縦に大きく振って、「そう、違うの」と低い声で言った。

「様子が可笑しいのよ、“砂の精”の。何て言うのかしら、濃くなった、と言うのかしら? とにかく、いつもと違うのよ」

「いつもと違う? 」

 リクが言葉を繰り返していたら、不意に食堂の扉が開いた。

「ひいっ! 」と身構えたリクとレアだったが、部屋に入ってくるジンブツの頭を見て ホッ と肩を落とした。そのジンブツは、ロバの頭を持つ2号車の住人、メル=ファブリだった。

 ロバ頭の衣装係は食堂に入って来て早々、口を開いた。

「“砂の精”の力が強まってきているのじゃ。トニが飲み込まれつつある」

「どういうこと? 」

 リクとレアが聞くと、メルは自分が入ってきた方の扉を見つめて、「“アレ”の真の力が目覚めつつある。早く“アレ”を捕まえなければ、トニの身体がもたん」と思い詰めた様に言った。そしてジブンは反対側の扉の方へと歩いて行った。

「ねえ、ちょっと、どこ行くのよ」

 レアがその小さな背中を呼び止めると、メルは寸の間 立ち止まり、「探りたがりがいるみたいでな。ワシは注意しに行かないといけないのじゃ。力になれずに、申し訳ないのう」と言って、そのまま扉を開いて出て行ってしまった。

 「もう! みんな揃って何なのよ! 」レアはそう叫んで、虫取り網の先で床を叩いた。


 リクとレアは、それぞれ虫取り網を抱えて扉をのぞいていた。

 扉の向こうには、月明りに照らされ輝く様に光を放つ“砂の精”がいて、その周りには相変わらず騒がしい子供たちの姿があった。

 しかし“ソレ”は、昨晩見たものとはまるっきりと言っていいほど違っていた。

 髪の毛の色は、玉蜀黍色とうもろこしいろから、その肌と同じ雪色に変わり、深い青色だった瞳は黄金色こがねいろの不思議な光を帯びていた。体にまと燕尾服えんびふくの色も、今では真っ白になびいている。

「何、あれ」

 思わずリクが漏らすと、レアは「分からないのよ。けれど、もしさっきメリーが言っていた通り、トニがあの妖精に乗っ取られようとしているのなら、きっと“アレ”が、“砂の精”の本当の姿ってことになるのよね? 」と言った。

 リクも頷いて、「きっと、そういう意味になるんだろうね」とささやいた。「とにかく、捕まえなくちゃ」

 「行くわよ」と、レアは自分に言い聞かせる様に言って、扉を開けた。途端とたん、身体の中から寒気が込み上げてきた。

 リクは全身に鳥肌を立てながら、虫取り網を構えた。

「“砂の精”! 大人しくトニの中に戻りなさい! 」

 リクが叫ぶと、目の前から“砂の精”が消えた。

「リク! 逃げられたわ! こっちよ! 」

 次にレアがリクの背中にそう叫んで、ネグリジェをひるがして駆けて行った。

 リクが後ろを振り返ると、白い“砂の精”は、滑る様にして食堂の扉を開けるでもなく、すり抜けて入って行くところだった。

「待て! 」

 リクも“砂の精”を追うレアの後を追って、走った。


 リクたちはそのまま5号車の共通シャワー室を通り過ぎ、倉庫車も走り、7号車のサロンに乱雑に置かれた椅子もけて進んだ。

 光り輝く“砂の精”は、そのまま7号車の扉もすり抜けようとして、突然立ち止まった。

 リクたちはそれを見逃さなかった。虫取り網を頭上高く掲げると、「逃げられないよ! 」と大きな声を出した。

 瞬間、“砂の精”の姿はまた目の前から消え、後ろから歌が聞こえてきた。


『僕は輝く砂の精 赤毛の道化は橋のもと 母親のろわれ汽車の中──……』


 リクたちが振り向く時には、“砂の精”は貫通扉をすり抜けた後だった。

「また逃げられたわ! リク、大丈夫? 」

 息を荒げるレアがリクに聞いた。

 リクも額を汗でぐっしょり濡らしていたものの、なんとか頷いた。


 リクたちは、今度は来た道順を逆戻りしなければならなかった。サロンの椅子たちを華麗に避け、倉庫車を走り、共通シャワー室を通り過ぎた。

 そして4号車の扉を開いたその時、どこから現れたのか、大きなフラフープを構えたミハイルが目の前に待ち構えていた。「おいたは、だめ」

 その《輪》を見た砂の精は、急に怯えた様に体を くねらせると、頭の上から、閃光せんこうはじける赤い液体を降らせた。

 ミハイルの持つ《輪》が白く光り始め、そうかと思うと、どす黒い渦を巻き始めた。

「何度見ても慣れない」リクは呟いた。

 液体で真っ赤に染まった“砂の精”は、耳をつんざく様な悲鳴を上げながら、《輪》の中に吸い込まれていった。

 “砂の精”が吸い込まれていった《輪》は、また元の何の変哲もないフラフープに戻った。

「ミカ、ありがとう」

 リクが言うと、ミハイルは ぼんやりした表情のままで首を縦に振った。

 それから ゆったりとした動作で貫通扉を指差すと、「こわい こわいね。カレもかわいそう。自由になりたい、みんな 一緒、でしょ? トニはだいじょうぶ? 」と言った。

「そうよ、トニ! 」

 ミハイルの言葉にレアは大きな声を出し、リクに「トニの様子を見に行かなくちゃ! あれだけ長い時間追いかけていたんだもの」と言った。

 リクは、「そうだね」と頷くと、ミハイルの顔を見た。

「“砂の精”は、自由になりたいって思ってるの? 」そう聞いた。

 すると《入れ替わりの精チェンジリング》の青年は、何も映さない表情のまま口を開いた。

「誰だって、そう。自由、求める。リクは、囚われてないから、カレらの気持ち、わからないだけ。トニ、目を覚ましてる? とっても危険。心配」

「私が、自由だから──」

 ミハイルの言葉を聞いて、そう繰り返すリクの手を引いたのはレアだった。彼女は ソワソワ した様子で、「早く行きましょう、リク。ミカも来るのよ」と言って、歩き出した。

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